視覚文化をめぐるシンポジウムのための論文と討議を集めた本
マーティン・ジェイ「近代性における複数の「視の制度」」
「視の制度」という言葉は、クリスチャン・メッツ由来
近代における主要な3つの制度
イタリア・ルネサンスにおける遠近法の発見、脱エロティシズム
- 描写術
オランダ美術、ベーコン流経験主義
ジョナサン・クレーリー「近代化する視覚」
視覚に関する歴史の非連続性を指摘する
カメラ・オブスクーラが、映画史や写真史では「祖型」や「初期形態」として挙げられたりするけれど、カメラ・オブスクーラによる視覚モデルは一度断絶している
カメラ・オブスクーラによる視覚モデル=一つの眼から見るモデル
19世紀以降→「身体」が導入される。生理学によって、例えば残像が定量的に研究されたりする
特に重要なのが、ヨハネス・ミュラーの理論(「同じ原因であっても、それがたどる神経によってまったく異なる感覚を生みだす」)
単純化すると、真正な対象をもつ視覚と持たない視覚という二項対立
視覚が身体において作り出されるという認識が、モダニズムの前提条件となっていく
ロザリンド・クラウス「見る衝動(インパルス)/見させるパルス」
ノーマン・ブライアン「拡張された場における〈眼差し〉」
サルトル・ラカンの〈眼差し〉論に対して、西田幾多郎・西谷啓治の〈眼差し〉を対置する
〈眼差し〉を主体にたいする脅迫ととることで、主体化を批判しようとして結局主体を呼び戻してしまう前者
「空」に着目する後者
水墨画や書道の墨の飛び散っている様に、「空」の表現をみる
ポロックは似てるけど違う。ポロックは、無作為性自体が彼のスタイルになってしまう(脱中心化しようとして中心化される)
ジャクリン・ローズ「セクシャリティと視覚」
読んだけど、流し読みしてしまって、よく分からなかった
感想
ジェイとクレーリーは、基本的に歴史の話だから読めるけれど、他は、いわゆるポストモダニズム的な用語を使った議論なので分かりにくい。
ブライアンは、水墨画の話になった途端分かりやすくなったけど、それはそれでどうかと
まあ、とりあえずクレーリーとクラウスを読んでみたかったので。
- 作者: ハルフォスター,Hal Foster,榑沼範久
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2007/04/01
- メディア: 単行本
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