仁木稔『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』

仁木稔『グアルディア』 - logical cypher scape仁木稔『ラ・イストリア』 - logical cypher scape仁木稔『ミカイールの階梯』 - logical cypher scapeに続くHISTORIAシリーズの短篇集
「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」「はじまりと終わりの世界樹」「The Show Must Go On!」「The Show Must Go On!, and...」「...'STORY' Never Ends!」の5編を収録。
このうち、「The Show Must Go On!」「The Show Must Go On!, and...」「...'STORY' Never Ends!」は続き物となっている。
HISTORIAシリーズは、基本的には未来世界を舞台にしているが、歴史改変ものでもある。
ダーウィンがメンデルを独自に再発見、というところから改変されている。
遺伝学とカトリックが融合して、この世界よりも、遺伝子改造技術などが進歩している。
「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」は2001年が舞台となっているが、この世界では911が起きていない。起きていないが、テロとは全く別の形でツインタワーは姿を消すこととなる。
「はじまりと終わりの世界樹」は、HISTORIAシリーズに何度となく出てくるコンセプシオンの誕生についての物語
「The Show Must Go On!」「The Show Must Go On!, and...」「...'STORY' Never Ends!」は、絶対平和の時代から、大災厄の始まりの頃まで。
『グアルディア』『ラ・イストリア』『ミカイールの階梯』の長編3作が全て大災厄中ないし大災厄以後の世界を舞台にしていたのに対して、こちらはどの作品も大災厄以前が舞台となっているので、雰囲気は異なっている。しかし、もちろん、HISTORIAシリーズの他作品と色々とリンクしているのであり、HISTORIAシリーズの他の作品とあわせて読んで、より面白くなるものだと思う。

ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち

反知性主義陰謀論によって毒された国の物語。作中では、「偉大なる祖国」という表記しかないが、アメリカ合衆国のことであることは分かる。
のちに「亜人」と呼ばれることになる人工生命体の「妖精」が、人間に代わる労働力として少しずつ進出されてきた時代。主人公のケイシーは妖精撲滅派として活動している。
中流白人の鬱屈とネットに渦巻く陰謀論キリスト教系超保守、みたいな奴)とに突き動かされて、ケイシーは妖精を密かに捕まえて虐殺する。


亜人というのは、人間社会から暴力をなくすために作られた存在
遺伝子改造も亜人も、アメリカ以外の多くの国では当然のように受け入れられているが、アメリカではケイシーのように反発する者が多い。
とはいえ、ケイシーの属する宗派の上層部は、既に妖精企業と癒着している。
実のところ、ケイシーらの妖精撲滅派の活動は、亜人を導入し「絶対平和」をもたらすべく活動しているオブザーバーやディーラーと呼ばれる謎の存在によってコントロールされているものでもある。
オブザーバーは金髪美少女の姿をしている(中身は違う)

はじまりと終わりの世界樹

1985年生まれの男女の双子の話
双子の片割れ(男の方)が語る、コンセプシオンの物語
コンセプシオンというのは、亜人を生みだす人工子宮のもととなった女性の異名。ムリーリョの「無原罪懐胎」から取られている。
彼女は、免疫異常で、あらゆる菌に感染しているが、発病もしない。
彼らと彼らの家族は、やはり陰謀論に惑わされて、米墨のあいだを行き来する。
舞台はさらにイラクにも飛ぶ。湾岸戦争の頃の話で、イラクにアルグレイブのような捕虜収容所があってそこで虐待が行われている。
彼女は、免疫不全で肉体的に自他の区別が崩壊しているだけでなく、精神的にも自他の区別があまりついていなく、さらに彼女には多くの人を魅了させてしまう能力がある。これらが組み合わさって、家族の悲劇やイラクでの出来事が引き起こされている。
コンセプシオンのこうした特徴は、『ミカイールの階梯』に出てくるゼキに似ている(というか、ゼキがコンセプシオンに似ている。ただし、コンセプシオンよりも程度は低いのだと思われる。作中でも、ゼキとコンセプシオンについては言及がある)。


「The Show Must Go On!」「The Show Must Go On!, and...」「...'STORY' Never Ends!」

絶対平和が訪れた世界
戦争や暴力がなくなった世界だが、その代わりに、亜人による代理戦争が行われている。人類社会で起きた何らかの利害対立は、この代理戦争によって解決される。この代理戦争は、19世紀までの戦争を模して行われる。代理戦争に参加する亜人の戦闘種は、遺伝子設計者によって記号(キャラクター)を付与されるており、スタジオによって演出されている。この戦争を題材にして、映像作品や同人作品が作られていく。
また、人類は、施されている人体改造によって等級がわけられている。等級の数が高くなるほど、人間離れしていき様々なサービスを受けることが可能だが、低い階級の方が人間らしい生活を送っているとして称賛されている。労働の多くは亜人が肩代わりしている。低い階級の人々は、「伝統的な」町で暮らしているが、これらも21世紀以降に人工的に作られたフェイクの町である。
「名無し」の亜人を一躍人気者へと押し上げた記号設計者のアキラを主人公に、この絶対平和の時代を描いた「The Show Must Go On!」
同時多発的にウイルス禍が発生し、人心が荒廃しはじめて絶対平和の時代の終焉を感じさせるようになった頃、アキラはランギという同僚に半ば煽られるようにして、この時代の流れに流されるように、あるいは抗するように、亜人の代理戦争の暴力と悲劇が過激化させていく「The Show Must Go On!, and...」
亜人の代理戦争では、歴史上の人物がキャラクター化されたりもしているのだが、次第にケイシーがキャラクター化されて人気を博するようになったりする。
そして、アキラがずっと担当してきた「名無し(JD)」がついに廃棄処分され、しかしそれを、ランギがオブセルバドールに提供する。JDが生体甲冑ウイルスに感染させられて野にはなたられる「...'STORY' Never Ends!」


亜人のキャラクターや、絶対平和を支えるダブルシンクの本音と建前などに、日本文化が強く影響した云々とかあったり、遺伝子改造やフェイクの伝統生活を送るなど、サイバー未来社会的な作品で、文明崩壊後を描く他のHISTORIAシリーズ長編とは、一見雰囲気が異なる。
でも、戦争を物語とするというのは、『ミカイールの階梯』でヨシフが英雄譚を作ろうとしていたこととも通底しているところがあると感じた。


HISTORIAシリーズ長編では、絶対平和の時代や大災厄のことは、歴史化され、あるいは口承文芸化して語られているのだが、これらの短編を読むと、実態はまた違っていたように見えてくる。
今まで全ての作品で、絶対平和は遺伝子管理局による統治の時代と描かれていたが、「The Show Must Go On!, and...」では、遺伝子管理局というのが、陰謀論者がでっち上げた組織だと述べられている。
絶対平和の時代を作り上げた、様々な組織の緩やかな紐帯はあったが、遺伝子管理局なる組織はない、とされている。


コンセプシオンが金髪美少女であったためか、その後、遺伝子管理局のエージェントとして金髪美少女の姿が使われているという噂が発生しているのだが、実際、「ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち」に出てくるオブザーバー、「はじまりと終わりの世界樹」で双子の弟を訪ねる2人組の片割れ、「...'STORY' Never Ends!」に出てくるオブセルバドールは金髪美少女の姿をしている(ただし、遺伝子改造や若返り技術でそのような姿になっているだけで、中身はそれなりに年齢のいった男性と思われる)。