大森望編『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』

SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー第2弾・時間SF傑作選
同アンソロジーの第3弾である山岸真編『スティーヴ・フィーヴァー』 - logical cypher scapeは結構前に既に読んでいたのだが、漸く第2弾を読んだ。
いずれ、第1弾も読むのかな?w 何故か逆順で読んでいるw
ちなみに、2010年に出たアンソロジー
古典から新作、初邦訳作品まで色々。
大森によれば、最初の4編が時間ロマンスもの、次の4編が時間奇想もの、次の4編が時間ループものとなっていて、表題作でもある最後の1編がまたちょっと違う感じになっている(あえて言うなら、最後の作品はロマンス、奇想、ループどれの要素もある)。

商人と錬金術師の門 テッド・チャン/ 大森望

テッド・チャンは、グレッグ・イーガンと並ぶ現代SFの旗手だが作品が非常に少ない。今まで発表された作品は、『あなたの人生の物語』収録作品と、「息吹」、「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」と本作で、どれも邦訳されている。ちなみに、全部読んだことがあって、これもSFマガジン掲載時に読んだことがあった。
語り手である主人公フワード・イブン・アッバスが、教主(カリフ)に対して物語るという、アラビアンナイト風の作品。舞台は、バグダッドとカイロである。
フワードが、バグダッドのある店の主人から、時間移動することのできる門を見せられるところから話が始まる。
主人から、実際に時間移動した者の物語を聞かされる。未来の自分と出会って大富豪になった者、過去に遡って将来の夫を助けた者など
店の主人曰く、過去や未来を変えることはできない。しかし、時間移動によってよりよく知ることはできる、と。
フワードは、自分が商売のために旅に出ていたときに事故死した妻に再び逢わんとして、門をくぐる
でも、捕まってしまって、そして教主の前に引き立てられて冒頭に繋がる、と。
07年発表、邦訳は08年。
テッド・チャンは67年アメリカ生まれ、90年デビュー。

限りなき夏 クリストファー・プリースト / 古沢嘉通

これもどこかで読んだことあるなあと思ったら、『20世紀SF<4>1970年代接続された女』 - logical cypher scapeで読んでた。
凍結者という謎の者たちによって、恋人と共に時間を止められてしまった男トマス・ジェイムズ・ロイdが、30年後に1人だけ解凍されてしまう。第二次大戦下、ドイツの爆撃の続くロンドンで、恋人が解凍される日々を待ち続けている。
凍結者と、それによって時間凍結されてできる活人画というものが、具体的にどういうものか分からないのが不気味さを煽る。っていうか、こんなに凍結されて、行方不明者たくさんでてくると、もっと騒ぎになるような気がしないでもないのだが。
76年発表、安田均訳が78年、古沢訳は08年。
クリストファー・プリーストは、43年イギリス生まれ、66年デビュー。

彼らの生涯の最愛の時 イアン・ワトスン&ロベルト・クアリア / 大森望

生涯に1人しか愛さない(ないし愛せない)という信念を持つ主人公の青年ジョナサンは、運命の女性エレナと巡り会うも、彼女はすでに高齢で、初めて結ばれた日にそのまま亡くなってしまう。
主人公は、その後タイムトラベルの方法を開発する。そこの仕組みは大して重要じゃないんだけど、マックドナルドに座って精神集中するとタイムトラベルするw
過去へと戻って、若い頃の彼女と出会う一方で、自分は次第に年をとっていく。最後にうまく会えた時、年齢差が逆転していて、結ばれるんだけど主人公の方が死んじゃう。
で、彼女の方は将来の再会に備えて、時間の勉強を始める、と。
09年発表、本邦初訳。
イアン・ワトスンは43年イギリス生まれ、69年デビュー。
ロベルト・クアリアは62年イタリア生まれ、85年デビュー。03年からワトスンと合作をしている。

去りにし日々の光 ボブ・ショウ / 浅倉久志

時間SFの古典らしい。
スローガラスという特産品(?)が出てくる。光を通すのに極端に時間のかかるガラスで、少し前の風景が見えるというもの。
風光明媚なところでそのガラスを置いておいて、それを自分の部屋の窓につけると、その景色を楽しめるようになるという代物
主人公は、妻が妊娠してから倦怠期に入った夫婦。スローガラスの産地へとドライブに出かけ、ふと目に着いたスローガラスの店(なんか農家の直送販売みたいな)に入る。
愛想のあまりよくない店主に妻はあまり気分がよくないが、夫の方は購入を決める。
帰り際、その家の窓が実はスローガラスで、家の中にいるのかと思われた店主の家族が実はスローガラスに映っていた過去の風景だと知って、なんかしゅんとする話
66年発表
ボブ・ショウは31年北アイルランド生まれ、96年没。50年代から執筆を始める

時の鳥 ジョージ・アレック・エフィンジャー / 浅倉久志

過去への時間旅行が一般的になった未来。
大学卒業・就職祝いにアレクサンドリアの図書館へと時間旅行することになった青年。
管理局の色々な手続きを終えて、いざタイムトラベルしてみたら、そこは明らかに時代考証のちくはぐな変な過去世界であった。
戻ってみて管理局の人間に問い詰めると、過去というのは多くの人々の通俗的なイメージによって書き換わってしまうもので、この時間旅行で行った過去は、そういうものなのだという。
時間旅行を楽しむ(歴史に詳しくない)多くの人は満足して帰ってくるし、時間旅行に伴う問題もこれなら起こらない、とw
85年発表、87年邦訳。
ジョージ・アレック・エフィンジャーアメリカ47年生まれ、02年没。70年に書き始める

世界の終わりを見にいったとき ロバート・シルヴァ−バーグ / 大森望

今度は逆に、未来への時間旅行。
ある夫婦が、世界の終末への時間旅行をしてきて、それをホームパーティで他の夫婦に自慢するのだが、自分たちだけが行ってきたと思ったのに、他の夫婦も行っていて、しかも何故かみんな違うものを見てる。
それぞれが見てきた、それぞれの世界の終わりの風景がどれも壮大で面白いのだが、むしろこの世界の方がやばくて、小さいところでいくとホームパーティに参加している夫婦はそれぞれ不倫ないしそれに近い関係になっているっぽい。さらに、ニュースなどで入ってくる世界情勢が、明らかに不穏。病原体が広がってたり、核戦争起きてたりする。
72年発表、邦訳91年。
ロバート・シルヴァーバーグは35年アメリカ生まれ、19歳の時に処女長編を発表

昨日は月曜日だった シオドア・スタージョン/ 大森望

これ面白かった!
自動車修理工の主人公が、月曜の夜に寝て次の日起きたら水曜日になっていた、というところから始まるのだけど、出勤してみたら、謎の小男が大量にいて、街中を工事している。工事というより、正確には、きれいだったセットを汚して水曜日の朝の状態にしている。
小男たちは、監督官という男のもとで作業している。監督官は、主人公のことを役者と呼ぶ。
監督官と小男たちは、「水曜日」の舞台セットを作っていて、主人公はいわばその時間と時間の狭間のようなところに入り込んでしまった、と。
監督官は、時間軸方向を空間として把握できているらしく、火曜日ならあっちだと指をさしたりする(しかし、主人公にはどっちをさしたのか見えない)。
時間というのが流れていくものではなくて、各日ごとにいちいち作られていて、人間はそのあいだを移動している、という、空間が時空について連続体になっているわけではなくて、時点ごとに分かれているというのを、非常にコミカルに描いている。
小男たちは無数にいるのだが、監督官も複数人数いて、さらにそれを統括しているのがプロデューサー。まあ、特にそういうことは書いてないけど、神様や天使の比喩なのかなあとも思うけど、なんだかむしろ、閻魔大王と鬼たちに見えるw
あと、主人公がプロデューサーに会いに行くシーンで、「あんたがプロデューサー?」という台詞があって、主人公は中年のおっさんなんだが、ここだけしぶりんの声で脳内再生されて困るw
41年発表、84年に風見訳、大森訳は『20世紀SF1』
シオドア・スタージョンは18年アメリカ生まれ、85年没。39年から短編を書き始める

旅人の憩い デイヴィッド・I・マッスン / 伊藤典夫

これも面白かった!
時間の流れ方が南北で異なっている世界の話。
北で数秒しか経っていない間に、南では何十年も経っていたりする。この現象には、時間集速(コンセラレーション)という名前が付いてる。
主人公の名前の呼び方も変わるのも面白い(だんだん長くなる)。
一番北には、越えられないスクリーンみたいなのがあって、そこから正体不明の敵に攻撃されていて、終わらぬ戦争を続けている。
主人公はそこで兵士やってたのだけれど、「解任」されて、南へと向かう。かなり南方の平和な土地に向かうまでの旅程で、時間の流れ方と土地の変化(そして名前の変化)が描かれていく。
主人公は、普通に働き始めて、家族もできて、出世もして順風満帆な生活を送る。ところが、ある日突然、再び軍に呼び戻される。南では数十年の生活を送っていた主人公だが、北の戦地に戻ると、主人公が離れてから数十秒程度しか経っていない。
最後に、主人公は敵の正体について推論する。向こう側に敵がいるのではなくて、こちらの撃ったものが跳ね返って戻ってきているだけなのではないか、と。
65年発表、77年に邦訳(入手困難な時期が続いた)
デイヴィッド・I・マッスンは17年イギリス生まれ、65年デビュー。

いまひとたびの H・ビーム・パイパー /大森望

大森望が発掘した、おそらく最古の時間ループもの。
戦争で今まさに死んだ中年男性が、自分の少年時代に戻ってくる(身体は子ども、頭脳は大人状態)。
(大森は、昔の自分に戻ってやり直すタイプの作品をループものの一種としている)
ループものってこんなにポジティブだったのか、と驚く。
主人公は、検事である父親に、自分が未来から意識だけ戻ってきたということを納得させ、最後に来たる戦争(第三次世界大戦)を防ぐべく、自分の未来の知識をもって父親を大統領にさせるよ!って言って終わる。
タイムパラドックスとか全く気にしている風もない。
ちなみにこの作品では、J.W.ダンの時間理論を援用している。時間の捉え方としては、「昨日、月曜日だった」にも近いかもしれない。つまり、時間は流れていないというもの。それぞれの時点は、同時に*1存在している。意識が、次々とそれぞれの時点を移動していくから、時間が流れていくように感じられる、と。それで何らかの衝撃で、自分の意識がこの時点に飛ばされてきたんじゃないか、と主人公は推測している。予知能力との関わりで説明されているのも興味深い。
47年発表、本邦初訳
H・ビーム・パイパーは、04年アメリカ生まれ、64年没。47年、本編でデビュー。作品の多くは、プロジェクト・グーテンベルクで無料公開されている

12:01P.M. リチャード・A・ルポフ / 大森望

打って変わってこちらは、絶望的な雰囲気の漂うループもの
主人公は、決まった1時間を延々とループし続けている。ループした記憶を持っているのは自分だけ。1時間しかないので、やれることはたかがしれている。
ある時、とある大学教授が時間が巻き戻る現象が起こることを発表していたのを知り、その教授に既にその現象は起きていてループしているということを何とかして伝えようとするのだが、何度やっても全く相手にされない。
死んでもまた同じ時間、同じ場所からループする。
73年発表、本邦初訳
リチャード・A・ルポフは35年アメリカ生まれ、67年デビュー

しばし天の祝福より遠ざかり…… ソムトウ・スチャリトクル / 伊藤典夫

主人公は売れない役者。脇役をやっていたハムレットの芝居中、異星人が地球に現れる。学校の社会科見学に地球を使いたいから、数千万年ほど同じ日をループしてくれ、報酬は不死。1日2時間の休憩あり。
で、全人類強制ループに突入したという、アホSF的な作品。記憶は全部引き継がれているのだが、身体は1日2時間の休憩時間以外は自分の思うように動かすことができない(同じ行動を繰り返す)。
でも、時々意志の力でちょっとずつ変えることもできて、いつか見てろよ異星人、みたいな話。
81年発表、83年邦訳。
ソムトウ・スチャリトクルは52年タイ生まれ

夕方、はやく イアン・ワトスン / 大森望

これまた、全人類が1日をループする話だが、ただの1日ではなく、1日の間に人類の歴史も再現されるというもの。
朝起きると家が石器時代の住居になってて、午前中は農耕やって、夕方頃に産業革命が起こって、夜は現代的な生活ができる、と。
なんで午前中はこんなことしなきゃいけないのーと子ども達に不満を言われながら、夜を楽しみに一日を過ごす。
96年発表、98年邦訳

ここがウィネトカなら、きみはジュディ F・M・バズビイ / 室住信子

時間シャッフルもの。主人公は、人生を時系列順ではなくランダム順に体験している、というもので、設定は『スローターハウス5』的。
タイトルは、朝目覚めたときにウィネトカに住んでいたなら、一緒に暮らしている女性はジュディだろう、という意味で、主人公は朝目覚めたときに今一体自分が「いつ」にいるのかということを、周辺の状況を探りながら推測していくところから始まる。
主人公は、生まれたときからこのような体質だったらしい。肉体の年齢と意識の年齢がもちろん別々で、しかし、子どものころから時間シャッフルされているので、意識の年齢が正確に何歳くらいかはよく分かっていない。主人公は既に、肉体の死亡時を経験しており、精神の死亡がどうやってくるのか分からないと不安がっていたりする。
このような体質のせいで、結婚生活も何度か破綻しているのだが、50代くらいのころに連れ添っていた女性が同じ体質であったことが、その女性とはまだ結婚していない時期に、分かる。ちなみにその女性は、乳がんで若くして亡くなるということを、既に2人とも知っていた。
それまで彼らは、なるべく出来事を変えないように振る舞っていた。タイムパラドックスとかを恐れていたというよりは、ランダムにあちこちの時間に飛ぶので(つまり記憶が飛ぶので)、ただでさえ周囲との齟齬が発生しがちなので、それを防ぐ処世術的に、なるべくおとなしくて今どういう状況なのかをいちはやく察知して、その状況に適応する能力を身につけていったという感じ。
しかし、2人が出会い、お互いの記憶を付き合わせたりした結果、今までの自分たちの記憶にあったのとは異なる行動を行う。
その結果、次に時間が飛んだとき、彼女が乳がんで死なずに、結婚生活が長く続いている、今までに経験していない時間軸へと到達する。
タイトルも見事だけど、設定もうまく出来ていて、結末もなかなか感動的で、アンソロジーの最後に相応しい作品だった。
74年発表、82年邦訳
F・M・バズビイは21年アメリカ生まれ、05年没。会社を定年退職したのちに、クラリオンSFワークショップに参加。


ここがウィネトカなら、きみはジュディ 時間SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

ここがウィネトカなら、きみはジュディ 時間SF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)

*1:この言い方よくないけど