ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』

スリップストリームとか呼ばれるジャンルの短編集
SF系の賞(ネビュラ賞とか)の受賞が多いけど、SFというよりは、エブリデイ・マジック系のファンタジーかなあという気もするけど、まああまりどこか特定のジャンルに属するような作家ではない。
各作品のあらすじなどは後で述べるけど、あらすじよりは文章の雰囲気などを楽しむ作品ではないかとも思う。
ネットにある感想をざっと見たところ、人によってあう、あわないがだいぶ分かれている感じだった。
自分としては、これは面白かったし、ぐいぐいと読めたので、決して「あわない」側ではなかったと思うのだが、何がどう面白いのかとかを全然説明できないなあと思った。
れっきとした小説であるし物語もあるけど、一方で、詩のようなところがあるのかもしれない(詩なんて普段全然読まないのでテキトーなこと言ってるけど)。
例えば、「蟻が時のかけらを運ぶ」というような一節があったりして、物語の中では、文字通り、蟻が時のかけらを運んでいるシーンなのだけど、「時のかけらを運んでいる」というのが具体的に一体どういう状況なのかはさっぱりわからない。でも、読んでいると、何だか納得させられるというか、そういう文章としてするっと読まされる。


なんというか、語りの構造の仕掛けみたいなものもあるんだろうけど、あまりそういうのが力点にあるわけでもない。
例えば、表題作の「マジック・フォー・ビギナーズ」だと、登場人物たちが見ているテレビドラマ「図書館」の中に登場人物たちが入り込んでしまうような形で書かれている。
入れ子構造になっていて、さらにぞの構造が歪んでいるみたいなのは、個人的には好きなんだけど、この作品についてはそういうことを語っても仕方ない気がする。
この前読んだクリストファー・プリースト『夢幻諸島から』 - logical cypher scapeはむしろ、そういうことをこそ語りたくなる作品で、「この小説=ガイドブックは一体どういう仕掛けものになっているんだ? これがこうだとすると、こっちがおかしくなるけど、そっちにはああ書いてある、むむむ」と言いながら楽しめるというか、夢幻諸島というレベルでの虚構世界があり、それについて語るガイドブックというレベルでの虚構世界があり、その相互にズレがあって、そこが面白い、みたいなふうに言っちゃったりできる。
でも、「マジック・フォー・ビギナーズ」はそういう言い方はできない。そういう話をしても、この作品の面白さは特に伝わらない。
さっきも書いたけれど

蟻たちは森を抜けて行進し、町に降り立って、あなたの家の裏庭に、時のかけらで巣を作った。もしあなたが、蟻がのたうって焼け死ぬのを見ようと巣に虫眼鏡をかざしたら、時そのものに火が点いてしまい、あなたは後悔するだろう。

みたいな文章を楽しむものかもしれない。


しかし、それだけではない。
ここまでだと、物語より文章・文体みたいな感想になってしまっているけれど、そんなことはなくて、物語も面白い。
訳者あとがきで、ケリー・リンクは、日常的な、リアリズム小説で書かれるような素材からはじめて、だが、おとぎばなしやSFやファンタジー、ホラーといった非リアリズムな要素を取り込んで、どこへ連れて行かれるかわからない話を作る、と書いている。
どこで連れていかれるかわからない、というのは全くその通りなんだけど、非リアリズムな要素に気を取られるも、物語の中心には、人間がいるなあという感じ。
話の内容は、グチャグチャしているし、決してさわやかではないけれど、ラストまで読むとなぜだかよく分からないけどさわやか、というかさっぱりした読後感になるような作品もいくつかある。


他の人の感想を探してググった時に見つけたブログ。
『マジック・フォー・ビギナーズ』ケリー・リンク【1】 - DOUBLe HoUR
『マジック・フォー・ビギナーズ』ケリー・リンク【2】 - DOUBLe HoUR
『マジック・フォー・ビギナーズ』ケリー・リンク【3】 - DOUBLe HoUR
結構詳しく、各話の紹介をしている。


以下、各話紹介はネタバレ、というか完全に結末に触れているものなどもあり。


妖精のハンドバッグ*1

「あたし」のおばあちゃんゾフィアは、バルデツィヴルレキスタンの出身だという。そして、彼女のハンドバッグの中には、バルデツィヴルレキスタンが入っている。そのハンドバッグの中と外では時間の流れ方が違う。彼女の夫、つまり「わたし」の祖父はハンドバッグの中にいて、時々出てくるだけだから、年齢が大きく違ってしまっている。
というような話は、全部ゾフィアの作り話かもしれないけど、本当の話として書かれている。でも語り手の「わたし」は、この話を信じないでほしいとも書いている。
でもそれはどちらでもよくて、10代の少女である「あたし」の恋の話であり、家族の話であるのだ。

あたしは留め金を操ってハンドバッグのなかに入って、自分も冒険をくぐり抜けてジェイクを救い出すだろう。(中略)私はあなたの父親なのだよ、とラスタンはあたしの母親に言うだろう。母親が信じるかどうかはわからないけど。あなたがこの話を信じるべきだってこともないし。約束してほしい、こんな話、一言も信じないって。

ザ・ホルトラク

コンビニバイトのエリックと、店長(?)のバトゥ、毎晩、マウンテン・デューを買いに来る女の子、チャーリー。
このコンビニの隣には、聞こ見ゆる深淵というのがあって、そこからゾンビが出てくる。人間よりもゾンビの客の方が多い。
在庫品室に住んでるバトゥは、パジャマをたくさん持っていて、彼なりの経営方針と人類を助ける使命でもって、コンビニをやっている
チャーリーは毎晩違う犬を車の助手席に乗せている。動物シェルターで犬の殺処分をしている彼女に、チャーリーは思いを寄せているがあまり話すことができず、バトゥはトルコ語を教えている。
バトゥの謎のパジャマや、元CIAだという話とか、コンビニにやってくるゾンビたちの謎の言動とかそういうのを楽しみつつ、エリックはチャーリーと一緒になれるのかという話。チャーリーはいつかこの街を離れたいと思っている。エリックはチャーリーと一緒にいたいけど、バトゥのことも気になって離れられないけど、バトゥからは、お前、ちゃんとチャーリーのことを追いかけろよって言われているような関係。

大砲

Q&A方式で書かれている。
これがいちばんよく分からなかったw
大砲の話であり、結婚の話。

石の動物

とある、4人家族が新しい家を買う。しかし、その家が変な家で、庭に大量の兎が出てくるわ、家電や家具が憑かれて使えなくなるわ、と
夫のヘンリーは、鰐というあだなの上司に使われてて、なかなか家に帰ってこれない。
妊娠中の妻キャサリンは、やたろ壁にペンキを塗りまくる。色って美味しそうだなとか思いながら。
これだけ書くととてもホラーな感じだけど、幽霊とか怪奇現象とかそういう点では怖くない。むしろ、どこかコミカル。コミカル?

ヘンリーは自分の隣人たちが好きだ。会ったらすぐに好きになるはずだ。妻にはいまにも赤ん坊が生まれようとしている。娘は夢遊病が治るだろう。息子は霊に憑かれてなんかいない。月が光を注ぎ、見たこともない色に世界を塗る。ねえキャサリン、見ろよこれ、きらきら光る芝生、きらきら光兎たち、きらきら光世界。兎たちは芝生に出ている。彼らはヘンリーを待っていたのだ。(中略)でももう待つこともほぼ終わった。もう少ししたら、ディナーパーティーは終わって、戦争がはじまるのだ。

このラスト、好き

猫の皮

今にも死にそうな魔女がいる。魔女には子どもが3人いる。子どもといっても魔女は子どもが産めないので、どこかからさらってきた子ども(その代わり、魔女は家を産む)。魔女は猫を沢山飼っている。
で、三男には、「魔女の復讐」を名乗る一匹の猫(そう、こいつは人語を話す猫)が残されて、魔女を殺した魔法使いへ復讐をしにいく。
「魔女の復讐」は猫なんだけど、二本足で歩いたりするし、一方の三男の方は、「魔女の復讐」が繕った人間大で中がちょっとぬめぬめしている猫の皮をかぶって猫のふりをしてたりしている。
赤い蟻たちが出てきて時のかけらを運ぶのも、この話。
童話ふうの話で、あちこちグロテスク。

いくつかのゾンビ不測事態対応策

過去に刑務所にはいっていたある青年が、深夜に、見知らぬホームパーティーに紛れ込む。
そこで出会った女の子と色々話したり、話さなかったりする話。
その青年はいつも、ゾンビや芸術のことを考えている。
女の子の方は、両親がちょっと変わっていて、突然フランスに連れていかれたり、今も彼女と彼女の弟をおいてどっかへ旅行か何かに行ってしまっていて、それでホームパーティーを開いている。
女の子は何度も青年になぜ刑務所に入っていたのか訊ねるかなかなか答えない。父親の話とかゾンビの話とか氷山の話とか、女の子の方の家族の話とかをする。
でも、結局、刑務所に入った理由を話すのだけど、かつて彼は友だちと美術館に勤めていて、夜に酔った勢いで冗談で部屋に忍び込んだら、特に何も起きなくて、段々ふざけて、絵を触ったり、絵を持ち出したりする遊びをはじめてしまって、最後、ピカソを家に持って帰ってしまって逮捕、と。
でも、彼が持って帰った絵は誰も知らなくて、当の美術館も知らなくて、結局、今はずっと車に乗せて持ち歩いている。

大いなる離婚

霊媒師を仲介にして、死人と結婚する習慣が生まれた時代
生者の夫と死者の妻の話。ちなみに子供も死者。夫からは、彼女らの姿は見えない。ヴィジャボードとか霊媒とかを通してじゃないとコミュニケーションできないけど、夫婦をしている。
でも、夫の側が離婚しようとして、妻は離婚したくなくて、それを取り持つ霊媒によって、家族そろって遊園地連れていかれる話。

マジック・フォー・ビギナーズ

テレビドラマ『図書館』を巡る青春ストーリー。
「『図書館』のある回で、ジェレミー・マーズという十五歳の少年が、ヴァーモント州プランタジネットの自宅の屋根に座っている。」なんて冒頭に書いているけれど、このジェレミーという少年が主人公で、彼が好きでいつも見ているテレビドラマが『図書館』で、冒頭からジェレミーの話がドラマの中の話なのかなんなのかよく分からない感じで始まる。
ジェレミー、エリザベス、タリス、カール、エイミーという5人の少年少女は友人で、彼らの友情を繋いでいるのが『図書館』
『図書館』は変わった番組で、放送日時が決まっていなくて、突然流れたりする。それに気付いた誰かがすかさず録画して、ジェレミーの家とか誰かの家に集まってみんなで見ている、と。
内容も不思議で、すごい巨大な図書館の中が舞台で、その中でプリンス・ウィング、フェイスフル・マーガレット、そしてフォックスが、海賊−魔法使いとかと戦っている。マーガレットとウィング以外は、役者がいつも変わっていて、前回モブを演じていた役者が今回はフォックスになってたりする。
見終わったあと、いつも5人やあるいは家族とドラマの内容について話しているんだけど、フォックスが本当に死んでしまったのかどうか、というのかこの物語中では重要になってくる。
一方、エリザベスはジェレミーが好きで、カールはタリスが好きで、ジェレミーはエリザベスとタリスのあいだで揺れていて、みたいな恋愛模様も初々しい感じで繰り広げられている。
ジェレミーは、母親が図書館員で、父親は巨大蜘蛛が出てくる小説を書く作家。母親の大伯母から、母親はチャペルを、ジェレミーは電話ボックスを相続する。
両親の不仲がきっかけで、ジェレミーは母親と一緒にそのチャペルと電話ボックスを見にラスベガスに行かなければならなくなる。不仲になったきっかけというのが、父親がジェレミーを小説に書いてしまったことだったりする。なので、互いに愛情はある、でももう一緒にいることはできない、みたいな状態になってる。
ラスベガスまで行ってまた戻ってくるという話なんだけれど、両親の不仲ということがあるので、ジェレミーとしてはこのままずっと離ればなれになってしまうかもしれない予感もある。
で、相続した電話ボックスに電話をかけてみたら、ある時、フォックスが電話にでて、ジェレミーにある依頼をする。
ジェレミーはその依頼を達成し、ラスベガスのチャペルに着くと、エリザベスたちが電話がかかってきて『図書館』の新しい回がやってるよと言われて、テレビをつける。果たして、フォックスは生きているのか、ってところで終わる。
自分ではどうしようもないこと(両親とか恋と友情とか)に翻弄されつつも、最後にみんなでフォックスは生きているのかを(つまり、ジェレミーのやった行動に意味があったのかどうかを)待つところで終わるのが、さわやか感(?)
表題作だけあって一番面白い

しばしの沈黙

エドは、仲間と地下室でビール飲んだりカードに興じたりしている。彼らはみな、夫婦生活などもろもろあんまりうまくいってない。エドは、妻のスーザンと別れて、なんか変な家を新しく買ったりしてる。
それで、彼らはある時テレフォンセックスに電話をかけるのだが、それは普通のテレフォンセックスではなくて、希望通りの話をしてくれるサービス。
そこで彼らは、「悪魔とチアリーダー」という話をしてもらう。
「悪魔とチアリーダー」の世界では、時間が逆に進んでいる。死んだ者が生き返り、段々若くなっていって、誕生していなくなる。そんな世界で、チアリーダーはホームパーティーをしていて、そこで悪魔から頼まれて、話をする。
チアリーダーが悪魔に話したのは、エドとその妻、スーザンの話。スーザンは、謎の機械を作ったり、屋根裏にエイリアンを呼んだりして、弟のアンドルー生き返らせようとする。そのために、スーザンは数が増えていく。緑っぽいスーザン、老いたスーザン、幼いスーザンなど。
やり直すことを願いながら、実際にはやり直せないエドたちの話。

ベッドルームの二つのドアはどっちも開けてあって、どこにも通じてないドアの方から夜風が入ってくる。スーザンをここに呼んであのドアを見せてやれたら、とエドは思う。夜風はリンゴみたいな匂いがする。きっと時間というものもこういう匂いなんだろう、とエドは考える。(中略)五分。そうしたらもう一度電話するのだ。時計の針は動いていないけれど、待つことはできる。

切ないエンディング。

マジック・フォー・ビギナーズ (ハヤカワepi文庫)

マジック・フォー・ビギナーズ (ハヤカワepi文庫)

*1:ちなみに、妖精の「精」の字が旧字体になっていて、それはどうしてかということが『マジック・フォー・ビギナーズ』ケリー・リンク【1】 - DOUBLe HoURに書かれていて、そうだったのかと驚いた