クリストファー・マガウワン『恐竜を追った人びと』

サブタイトルは、「ダーウィンへの道を開いた化石研究者たち」
19世紀イギリスの古生物学者・地質学者の群像劇的な、恐竜学史
主要人物は、ウィリアム・バックランド、ギデオン・マンテル、チャールズ・ライエル、そしてメアリー・アニングといったところだが、他にも大勢出てきて、19世紀イギリスにおける地質学・古生物学の雰囲気が伝わってくる。
サブタイトルにもある通り、ダーウィンも出てくる。ノアの洪水が信じられていた時代から、徐々にダーウィンの進化説が受け入れられるような土壌が作られていく過程でもある。
バックランド、マンテル、アニング、あとリチャード・オーウェンあたりは、恐竜がちょっとでも好きなら誰でも知っている名前ではあるけれど、どういう人だったのかとかは今まで知らなかった。さらにいえば、彼らが結構交流があったというのも知らなかったので、面白かった。
筆者は、トロント大の教授で、イギリスで魚竜の研究をしていて、当初はメアリー・アニングの伝記を書こうと思ったが、結果的にはこのように多くの人たちが出てくる本となった。



まず、前史としてキュビエとラマルクの話
前史といってもキュビエはこの後も出てくるのだけど、本編の主役達と比べるとかなり年長で、しかもフランスなのでちょっとずれる。
キュビエは、当時の権威で、この本の中でも化石の鑑定なんかで度々登場したりする。彼は、化石の研究を通じて、「絶滅」という概念を唱えた。また、哺乳類が発見される地層と、爬虫類が発見される地層というように、時代毎に主要な生物が違うことから、激変期があったと考えた。
ラマルクは、「絶滅」ではなく「変化」を唱えた。化石で見つかる生物が、現在見られないのは、そうした生物が変化したからだと考えるのである。以後、このようなラマルクの考え方を「トランスミューテーション」と呼ぶ。
だが、このトランスミューテーションという考え方は、長いこと否定的に扱われる。
キュビエを始めとして多くの人は、種には永続性があって変化はしないと考えていた。トランスミューテーションへの反証としては、エジプトから発見された動物のミイラ(現代と同じ姿をしている)がよく挙げられていたらしい。


魚竜だの始祖鳥だのが発見されると、魚類と爬虫類の中間であるとか、爬虫類の鳥類の中間であるとかは考えられるのだけれど、それをもってトランスミューテーションや進化の証であるとはなかなか考えられなかったみたい。むしろ、神が創造した〈生き物の連鎖〉の一部であると考えていたらしい。
また、そのように考えた人たちが非科学的な人たちというわけではなくて、バックランドを始めとする名だたる科学者たちであって、実際彼らの解剖学的な知識などは優れていたし、そうした考え方が当時の古生物学の定説だった、と。
ただ、上述したように、既に「絶滅」という考え方はあって、哺乳類の時代の前に爬虫類の時代があったということも分かってきていた。
また、バックランドをはじめとして、当時の地質学者・古生物学者もノアの洪水があったというふうに考えて、地質学的に洪水の痕跡などを探したりしていたのだけど、そういった人でも聖書を一字一句文字通りに正しいと考えていたわけではなくて、例えば7日間で創造したというのも比喩的に捉えて、実際にはもっと長い期間かかっている(何万年とか)というように考えるようになっていた。


キュビエの激変説やバックランドの洪水説に対して、ラマルクが『地質学原理』で斉一観を打ち出す。これは、現在見られる作用(河川による堆積とか)で過去に起こったことを説明するというもので、完全に地質学から宗教を追い出すようなもので、またダーウィンにも強い影響を与えた。


この本に登場する人びとはほとんど全員、地質学会に入っていて、定期的にロンドンに集まって情報交換をしていたらしいのだけど、アニングだけは女性であっために入会できていない(死後、名誉会員となっているが)。また、彼女が発見した新種についての論文にも、彼女の名前は書かれていない。とはいえ、彼女は化石採集について間違いなくプロで、知識も豊富だったようで、バックランドもよく訪れて話をしていたみたい。
19世紀になって、海辺の行楽というのが流行るようになって、彼女が化石採集をしていたライム・リージスもそのような行楽地の1つとなっていた。それで、化石を売って生計を立てるのが可能になっていたのである。
現在の化石採集では、化石を石膏でかためてブロックとして切り出してくるが(野外ジャケット)、19世紀ではそのようなことはせずに、掘り出されていた。
アニングが発見した新種は、コニベアによってプレシオサウルス(長頸竜)と名づけられた。コニベアは優秀な地質学者だったが、学者とはならずに聖職者となった人である。
このコニベアから影響を受けていたのがバックランドである。バックランドは結構風変わりな人物だったようで、人を引きつけるような講義をしていたらしい。バックランドは、先の述べたように、ノアの洪水など創世記の記述を信じていて、それを科学的に証明しようとしていた。
アニングによって2番目の長頸竜が発見され、バックランドが地質学会の会長に就任した日の公演で、コニベアはその発表を行った(もちろんその際にもアニングの名前は直接言及されていない)。ちなみに、当時野生動物は常にお互いに争いあっていると思われていて、当時の復元図で首長竜と魚竜と翼竜が互いに戦っている図などが人気だったらしい。
そして、同じ日、バックランドは「メガロサウルス」について発表する。


バックランドが大型爬虫類の化石を発見していた頃、医者のマンテルも同じように大型爬虫類の化石を見つけていた。彼は、爬虫類の化石を見つけたと思っていたのだが、証拠が少なくなかなか発表できずにいた。また、田舎に住んでいたためにあまりロンドンに多くは行けなかったし、医者の仕事も忙しかった。ちなみに当時、医者というのはあまり社会的評価の高い職業でもなかったらしい。
その頃、マンテルはライエルと友人になっている。ライエルは、マンテルの発見した化石をキュビエのもとへ持っていくのだが、キュビエはこれを当初哺乳類の化石だと判定している。
ところで、マンテルがイグアノドンの歯の化石を発見した際のエピソードとして、診察の時に外で待っていた妻が拾ったというのが知られているが、これはどうも怪しいらしい。
ライエルを通じて、バックランドがマンテルの化石に興味を示す。マンテルもまた「メガロサウルス」の化石を見つけたのだとバックランドは思っていた。もっとも、のちにバックランドも認めるように、それぞれ発見された地層年代が違っていた。マンテルは、歯だけでなく他の部位の化石も見つけていたのだが、何の歯なのかが分からないでいた。バックランドがキュビエに手紙を出す。改めて、歯を鑑定したキュビエは爬虫類のものだと返信する。さらにマンテルは、ついにイグアナの歯がそっくりであることを見つける。
当初、マンテルは「イグアナサウルス」と名付けるつもりだったようだが、コニベアがイグアナがそもそもトカゲなのにそれにサウルス(トカゲ)とつけるのは変なので、イグアノドンの方がいいと言って、この名になったらしい。
これによりマンテルは名声を手に入れたが、それはそれで大変だったみたい。また、マンテルは公民権運動にも興味があったっぽい。
一方、ライエルは『地質学原理』の執筆に取りかかっていた。バックランドやコニベアのような洪水論者から、彼は河川論者と呼ばれ、論争が起こっていた。もっとも彼の考え方自体は新しいものではなく、彼の貢献はそれを証拠立てたことだった。ライエルによって、キュビエの激変説・バックランドの洪水論は退けられた。一方、ライエルは生物学についても多くをさき、ラマルクのトランスミューテーション説も否定した。


マンテルは、イグアノドンについで、ヒラエオサウルスを発見する。
マンテルは引っ越しをして、講演業なども行うようになっていたが、経済的にはなかなか安定しなかった。また、家族との不和もあり、妻や子どもとは別居状態になっていた。のちに、子どもとの関係は正常化するが、妻とはそうならなかった。


ここで、さらに新たな登場人物があらわれる。トマス・ホーキンズである。彼はこの本の登場人物の中では最も若い。
ちなみに、バックランド1787年生まれ、コニベア1787年生まれ、マンテル1790年生まれ、ライエル1797年生まれ、アニング1799年生まれ、ダーウィン1809年生まれ、このあと出てくるオーウェンが1804年生まれなのに対して、ホーキンズは1810年生まれである。
彼は、自作農の息子で、すごい資産家というわけではなかったけれど、化石を自由に買い集めるだけの遺産を持っていて、化石にたいしてすごい情熱を燃やしてた。ただ、見栄っ張りのところがあり、何よりも問題なのは彼の魔術的な能力だった。彼は、部分的にしか見つかっていないものでも、完全な骨格として復元してしまうのである。つまり、発見されていない部分も、石膏などを使って作ってしまうのである。もちろん、現代でもそのような復元骨格はあるが、当然そのような場合、どこが作られたものなのかということは明らかにするようにしている。彼は、見分けがつかないように作ってしまうのである。
また、筆者は、化石採集者の中にも、高く売りつけるために完全な骨格に見せかける人がいたとするけれど、彼らが知識がなかったのに対して、ホーキングは知識があってそうしていて、詐欺的だったと指摘している。
ホーキングは、アニングとも面識があったようだが、アニングは自分ならホーキンズに標本の仕上げは任せないと書いていて、彼のそうした「復元」は既に業界では知られたものだったらしい。
ところが、事件は起きる。ホーキンズが大英博物館に自分の骨格標本を高く売りつけたのである。その際、バックランドとマンテルが鑑定して価格を出しているのだが、ホーキンズは事前に彼らにも手回しして、自分の求める価格を出させていた。ところがその後、大英博物館の管理官であるコーニグが、ホーキンズの標本を調べて、石膏による修復が数多くなされていることを突き止める。それで、下院の特別調査委員会にまで話がいってしまう事態になったようである。


次に登場するのは、リチャード・オーウェンである。
彼もまた医者であったが、また博物館の職にもついていた。彼の仕事は非常に厳密で、33歳には解剖学の教授となる。その講義の準備も非常に周到なものであった。
オーウェンもまたトランスミューテーション説を否定した。また、下等動物から高等動物へと向かうという考えも否定し、むしろキュビエ的な激変説を支持していた。
その後、ライエルが、オーウェンダーウィンを引き合わせる。動物学について、ダーウィンはおおいにオーウェンを頼ることとなる。ビーグル号の航海で集めてきた標本の多くをオーウェンに送っている。
ダーウィンオーウェンから動物学や解剖学の知識を得ることで、むしろ自分の進化論を固めていった。とはいえ、ダーウィンは自分の考えをライエルなどごく一部にしか教えず、オーウェンをはじめ多くの人には秘密にしていた。
オーウェンは、基本的に実験室で自分の研究をする人だったが、時に旅行していて、画家のターナーのアトリエを訪問したこともあるらしい。また、ホーキンズに会ったり、ライム・リージスでバックランド、コニベア、アニングとも会っている。ロバート・オーウェンと間違われたりもしたらしい。


フランスから、ルイ・アガシという魚類化石研究者がイギリスにやってきて、バックランドと親交を結んだ。アガシは、その後スイスの地質学者ド・シャルパンティエから氷河による地形形成作用について説得される。そして、さらにバックランドが、アガシとともの氷河の巡検をして、氷河説に賛成するようになる。バックランドの聖書に対する信仰はいぜん変わらなかったが、洪水説は確かに衰退していった。


いよいよ、オーウェンが、メガロサウルス、イグアノドン、ヒラエオサウルスをまとめて、「恐竜」と名付ける。彼は、大きな仙骨と脚が胴体の下に垂直に延びていたことを特徴としてあげた。当時あった証拠の少なさから考えると、驚くべき洞察であると筆者は賞賛している。
ところで、このときのオーウェンの発表にとって「恐竜」については実は一部でおおかたは爬虫類についての発表で、そこではトランスミューテーションへの反対を繰り返し述べていた。
また、のちにトマス・ハクスリが進化の証拠として挙げたアルケオプテリクスについても、オーウェンは鳥と爬虫類の両方の特徴を持っているとは認めなかった。
オーウェンはトランスミューテーションを認めず、ダーウィンが進化論を発表して以後はそれに反対し続けたために、後の世の評判はあまりよくないが、彼の解剖学は正確であり、優れた才能を持ち、古生物学に貢献をなしたことを筆者は繰り返し賞賛している。
また、オーウェンはその科学的業績により、時の首相から書簡をうけ、王室からの年金を授かっている。それに対するお祝いの手紙を送った者の中に、ウィリアム・ヒューエルもいた。
オーウェンはその後王立委員会の仕事もするようになり、さらにナイトの称号も打診されたが、それについては辞退している。


その頃、『創造の博物学の痕跡』という本が匿名で出されて、センセーションを巻き起こしていた。トランスミューテーションを大々的に主張していたからである。とはいえ、科学的にはかなり瑕疵の多いものであった。また、種の変化について、その法則は神が作ったものであるとして、宗教と調和させていた。
この本は、科学的には誤りが多かったのだが、非常によく読まれたため、のちにダーウィンの『種の起源』が受け入れられる土壌をつくるのには貢献したことになる。


バックランドは、長年勤めていたオックスフォードを離れ、ウェストミンスターの主任司祭となった。コレラが流行したときには、清潔さを訴えた。彼は変人として知られていたが、晩年には本当に理性を失ってしまった。というのも、結核が脳にまで広がっていたからで、これによって1856年に亡くなった。コニベアはその1年後に亡くなっている。
マンテルは、バックランドが亡くなる4年前に、終生悩まされていた腰痛を緩和するのに、アヘンを余分に服用して意識が戻らなかった。ホーキンズは1889年、ライエルは1875年、ダーウィンは1882年、オーウェンは1892年にそれぞれ亡くなっている。
アニングは、1847年に亡くなっているが、その翌年に地質学会誌に追悼の言葉が載った。彼女は会員ではないので例外的なことである。



恐竜を追った人びと―ダーウィンへの道を開いた化石研究者たち

恐竜を追った人びと―ダーウィンへの道を開いた化石研究者たち