太田邦史『エピゲノムと生命』

何年か前に言葉を知って以来、見かけるようになった「エピジェネティクス
なんだか難しそうだし、何読めばいいかよくわからないしで、今まであまり知らなかったのだが、たまたま入門書と銘打たれたこの本を見かけたので読んでみた。
エピジェネティクスというのは、発生学に遺伝学を組み合わせたようなもの。
遺伝と環境の関係というのは、「氏か育ちか」という話ではないというのは、まあ色々と入門書読めば書いてあることだけど、特にそのことがよく分かるのがこの分野かもしれない。
遺伝子の発現がどのようにコントロールされているか、という話
化学用語になれていないせいもあってなのか、結構読んでいて難しく感じた。


一つの細胞の中には、その個体を作るための全ての遺伝情報が入っている
けれど、例えば心臓の細胞は心臓にしかならないし、爪の細胞は爪にしかならない、というように、一つの細胞の中であらゆる遺伝子が発現するわけではない。
また、環境からの影響を受けて、遺伝子が発現したりしなかったりもする。
そういう分野の研究が、エピジェネティクス

第1章 生命をつなぐバトン

遺伝学の学説史
最初は、基礎的なところから。メンデルの法則とか、染色体を発見した「イーグル・アイ」を持つ18世紀ドイツの研究者とか、モーガンショウジョウバエの実験とか、遺伝学的地図とか

第2章 二重らせん上の暗号

遺伝子の基礎知識まわり
DNAの化学的構造とか、ワトソン、クリックとか、遺伝暗号の表とか、セントラルドグマとか、細胞の分化とか

第3章 遺伝子以外のDNA

この章では、タンパク質をコードしていないDNAについて色々紹介される
例えば、遺伝子の発現を制御する領域として、プロモーターとかエンハンサーとかサイレンサーとかインスレ-ターとかいったDNAの配列がある
遺伝子ではないDNAを、かつては「ジャンクDNA」と呼んでいたが、今では「非コードDNA領域」と呼ぶ
タンパク質にコードされない、非コードRNAというのもあって、こちらも遺伝子の発現を制御している。
それから、染色体上を移動する「動く遺伝子」、トランスポゾンとレトロトランスポゾンというのもある。これは、バーバラ・マクリントックというアメリカの研究者によって、トウモロコシの染色体の研究を通じて、発見されたらしい。
このマクリントックは1951年の論文で、遺伝子は活性化されたり不活性化されたりするが、それはクロマチン物質によって覆われていることで生じると述べていて、これは現在のエピジェネティクスの基本的な考え方

第4章 擬装するDNA

で、このあたりからエピジェネティクスの基礎へ
DNAはタンパク質で覆われた「クロマチン」という構造をしている。
DNAを覆っているタンパク質は「ヒストン」という。ヒストンとDNAが組み合わさったものを「ヌクレオソーム」と呼んで、これがクロマチンの基礎単位
クロマチンには、「ヘテロクロマチン」と「ユーロクロマチン」というのがあって、DNAがヘテロクロマチンによって覆われているとその部分の遺伝子の発現は抑制される。
このヘテロクロマチンの拡大を阻止するDNAの配列とかもある。

第5章 DNAの変装法

ヘテロクロマチン化している位置が細胞によって異なると、同じ遺伝子でも細胞によって発現したりしていなかったりする(位置効果)
で、ここから先がむずかったのだが、ヒストンがメチル化するとヘテロクロマチン化するとかいう話で、ここから先はメチル化、アセチル化っていうのが重要キーワードになってくる。
で、このメチル化とかアセチル化とかいった形で、ヒストンになんかメチル基とかがくっつくことを、ヒストンの「化学修飾」と呼ぶ。これが超大事。
この化学修飾は可逆性がある。
「ヒストン・コード仮説」というのがあって、ヒストンの化学修飾がタンパク質をコードしているのかも、という仮説がある。これが遺伝子に対するメタ情報として機能しているのではないか、と。
それから、ヒストンだけでなくDNAに対してもこのような化学修飾はなされる。
シトシンがメチル化するとチミンに変異しやすくなる、とか。
脱メチル化酵素・反応の話になって、トリパノソーマからその触媒が発見された話とか。

第6章 飢餓ストレスとクロマチン構造

栄養状態とエピジェネティクスについて
化学修飾に関わる因子の多くが、代謝や栄養の経路の中間生産物を使っているところに筆者は注目しており、飢餓ストレスに対する応答システムとして、こうした化学修飾が作られたのではないか、と。
ある酵母において、ブドウ糖が少なくなると、解糖系とは逆の働きをする酵素が発現してくる。この酵母を、ブドウ糖が少ない状態にさせると、その酵素をコードしている遺伝子のmRNAが60分くらいで出てくる。ところが、そのさらに前に、「長いノンコーディングRNA」が出てきていることもわかった。で、この非コードRNAクロマチン構造を緩めていた、とか。クロマチン構造が緩むと、その部分のプロモーターが露出して、遺伝子の発現が始まる、という仕組み。
で、クロマチン構造を緩めたりなんだりをする「クロマチン再編成因子」というのが、ATPを使ってクロマチン構造を動かしたりなんだりしているみたい。
それから細胞の分化の話
ある細胞がある器官になると、もうその器官にしかならない。これには、ポリコーム群タンパク質とトリソラックス群タンパク質というのが関わっていて、前者は遺伝子がオフになるように固定してしまう、後者はオンになるように固定してしまう。

第7章 エピゲノムによる生命の制御

この章から、具体的な事例とともに話が進むので、分かりやすくなってくる。
X染色体の不活化と伴性遺伝
男性の性染色体はXとY、女性はXとXだが、女性の場合、片方のX染色体は全てヘテロクロマチン化=不活化する。で、この不活化は細胞毎にランダムに起こる。
三毛猫というのは基本的にメスで、模様が個体毎に違うけれど、三毛猫の模様を決める茶色の遺伝子がX染色体上にあり、これがランダムに不活化することによって模様ができる。なので、三毛猫の模様はクローンであっても異なる。ペットのクローンを作る会社というのがあったのだが、クローンであっても模様までは同じにできないので、結局廃業したらしい。
他にX染色体に関わる話題としては色覚異常がある。X染色体にあるオプシン遺伝子の変異によって起こるのが赤緑色盲。女性のX染色体はランダムに不活化するので、どちらかに変異していないオプシン遺伝子があれば色覚異常にならない。男性は、X染色体が一本しかないので、そこに変異した遺伝子があったら色覚異常になる。いわゆる伴性遺伝。
ところで、女性の中には三色ではなく四色に対応する色覚をもった「スーパー色覚」がいるらしい。
X染色体の不活化に関わっているのもまた「長いノンコーディングRNA


ゲノム刷り込み
伴性遺伝に似て非なるものとしてゲノム刷り込みというのがある。伴性遺伝は、子の性別で決まるが、ゲノム刷り込みは親の生別できまる。
例えば、雄のロバと雌のウマからはラバが、雄のウマと雌のロバからケッティと呼ばれる、全く別の種類の雑種が生まれることが知られている。また、顔の特徴を決める遺伝子や、「プラダー・ウィリー症候群」と「アンジェルマン症候群」を引きおこす遺伝子でも同じことが起きている(この二つの病気の原因となる遺伝子は同じものだが、父親から受け継ぐか母親から受け継ぐかで全く別の症状となって現れる)。
DNAにはメチル化が施されているのだけど、生殖細胞が作られるときにこれらはいったん消去される。しかし、精巣や卵巣の中で、再び雄特有あるいは雌特有のメチル化が施される。これがゲノム刷り込みの仕組み
ゲノム刷り込みは、有胎盤哺乳類にしかない。そしてゲノム刷り込みがあるがために、哺乳類は単為生殖ができない。
何故ゲノム刷り込みという仕組みができたのかという理由はまだよく分かっていないが、胎盤と何か関わりがあるのだろうと考えられている。
ゲノム刷り込みを書き換えることで、雄なしでも生殖が可能にというSF的な話もあって、二母性マウス「かぐや」というのが実際に作られたという話もあった


ES細胞とiPS細胞
細胞はいったん分化すると元に戻らない。これをワディントンは運河上の坂道を転がるピンボールにたとえ、細胞の分化する分岐を「カナライゼーション」と呼ぶ。
で、これを元に戻すのが初期化。
受精卵の中にある分化全能性をもった細胞が「ES細胞
これを人工的に作り上げたのが「iPS細胞」
iPS細胞を作るには、山中因子と呼ばれる4種類の遺伝子が重要で、がんとかに関わっている遺伝子もあるらしい。こいつらが発現すると、ヒストンやDNAの修飾が外れる。これによって初期化がなされる、と。
初期化を初めて発見したのは、ジョン・ガードン。体細胞を初期化するもので、これから作られるのが「体細胞クローン
哺乳類で初めての体細胞クローンは、羊のドリー。これは、細胞を飢餓状態にすることで初期化させた。
体細胞クローンは成功率が低く、成功しても異常が認められやすいが、これはどうも修飾の解除が完全ではないため、らしい。

第8章 環境とエピジェネティクス

医療観点からのエピジェネティクス
遺伝子というのは持って生まれたものだけれど、それを制御するDNAやヒストンへの化学修飾に関して言えば、環境の影響でスイッチのオンオフが切り替わり、可塑性がある
この章では、メタボ・糖尿病、アンチエイジング、がん、記憶力についてそれぞれエピジェネティクスの観点から述べられている。
時折、ニュースになったりする肥満の遺伝子が見つかったとか長寿の遺伝子が見つかったとかの話。基本的には、マウスの実験で見つかったもので、具体的にヒトに効くクスリとかにはまだ至ってない。カロリーの摂取状況といった後天的な要素によって、メチル化が起こったりなんだりで、メタボになったり寿命と関わる某かがあったりとか何とかかんとか。

第9章 世代を超えたエピゲノムの継承

エピジェネティクス的な部分というのは、すでになんども見てきたように、環境からの影響とか後天的な要素によって書き換わる、可塑性のある現象なのだけど、これが親から子へ継承されている部分もあるらしい。
既に述べたように生殖細胞作るときにリセットされるんだけど、それでも残っている部分とかはあって、受け継がれるらしい。


エピゲノムと生命 (ブルーバックス)

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