アメリカン・ポップ・アート展

新美術館
ポップアートは、なんか分かったつもりでいたけど、実際見てみたら全然そんなことなかった


まず、ロバート・ラウシェンバーグ
初っぱなから圧倒された。
何が、とはいわく言い難いのだけど、この前、宮下誠の『20世紀絵画』で具象と抽象について読んだあとだったこともあって、「これは一体何だ?」となった。
既存のイメージをコラージュして、リトグラフとして刷っている。その個々のイメージはもちろん具象だけれど、それらのコラージュによって作り上げられる画面は抽象画的である。
ラウシェンバーグを始めとするネオダダあるいはポップアートというのは、抽象表現主義への一種のアンチとして位置づけられるらしいけど、しかしラウシェンバーグの筆致はどこか抽象表現主義的な感じもする。そう、ただコラージュしているわけではなくて、筆致がある(表現主義的なところがあると解説されていた気がする)。
《突破2》、《霧雨》、《守護者》などが印象的だったが、特にこれはいいなと思ったのは、〈リール(B+C〉シリーズの6点。これらは、映画『明日に向かって撃て』のスチール写真が使われていて、また先にあげた作品がいずれも黒で描かれているのに対して、こちらはポップな色合いになっている。車とか死体とかの配置が印象的。
《ブロードキャスト》とかは、コラージュというかアッサンブラージュというかというものになっていて、分析的キュビスムとかを想起したりもするのだけど、抽象的でキュビスムとは明らかに違う。本物のラジオが埋め込まれているのは、何というかちょっとやりすぎではないかとちょっと思ったけど。
リボルバー》とか《パスポート》とかいった、アクリル板を使った大きめの作品もあったのだけど、これらはあまりひかれず。透明な支持体を使うという意味では、デュシャンがやってるし、イメージの重なり合いという意味ではリトグラフの方がきれいだったなあという感じ。
《キル・デヴィル・ヒル》というのが、2枚の紙を並べて1つの作品としているのだけど、画面としては三幅対のようになっていて、突然三幅対だったので驚いた。描かれているのは、布をぐしゃっとした感じのと、自転車。


続いて、ジャスパー・ジョーンズ
ダーツか何かのターゲットを描いた《標的》シリーズや《旗》シリーズは意外と普通。紙に描いてあったのがちょっと面白い点か。解説には、お決まりの話として、絵というのは三次元のイリュージョンを描くものであったのが、二次元のものになってしまったというようなことを書いてあったけれど、ウォルハイムが論じたように、やっぱり再現としての絵になっている。旗そのものである、というよりは、やっぱり旗の絵になっている。でも、絵だなあと思うのは、(再現的・イリュージョン的だからというわけではなく)絵の具の垂れとかが目に入るからだったりする。あと、地図の絵とかもあるけど、これもやっぱり地図そのものではなくて地図の絵になっているのは、相対的充満性があるからかなとか思った。
宮下誠は、マレーヴィチの《黒い正方形》を「黒い正方形」ではなく「黒い正方形を描いた絵画」で、それは何故かといえば四辺に白い余白があるからだと書いていた。ジョーンズの作品は、紙に描いてあるものは余白があるのだけど、カンヴァスに描かれているものは余白がなくて額も簡素なものしかついていない。特に、《白いアルファベット》とかは真っ白に塗り固められたカンヴァスに、うっすらと文字の刻印が押されているだけというもので、結構すごい。
ジャスパー・ジョーンズに限らないのだけど、額が簡素ないし額がないという作品が多い。途中にあった映像の中で、キミコ・パワーズは、「ジョーンズが「額も自分がつける、額も自分の作品だから」と言っていた」と言っていた(もっとも、どういう意図の発言かはいまいちわからんけど)
《出足の遅れ2》何か流れるような溶けるような感じで黒が塗られていて、文字がランダムに配置されている絵。何故か印象に残った。
《エール缶》缶は立体的だが背景は平面的。宮下本に載っていたマティスの作品の試みをより簡易にやった感じ
《翼》これも二次元と三次元が同居しているような画面。クラウチングスタートをとっている時の手形、足形の上に、S字フックとひも、カラトリーや缶詰(?)が重ね合わされている。よかった。
あとは、《おとり》とか《夏》とか
70年代後半から80年代前半の作品は、ひたすら同じパターンを色々なやり方で繰り返している。


ジム・ダイン《ロング・アイランドのスタジオ》
超でかい。一番でかい作品だったのではないか。パレットを描いたもので、あたかも色のパターンを配置した抽象画のようにも見えるけど、パレットのイリュージョンになっている。絵の具の塗りあとというのが、従来であれば絵画のイリュージョン性を解除して絵の具の物質性をあらわにするものとして機能したわけだけど、こっちはむしろ絵の具の塗りあとがパレットっぽさを増している感じになっていて面白いと思った。


クレス・オルデンバー
ソフト・スカルプチャというのが面白かった。《ジャイアント・ソフト・ドラム・セット》というもの。ぐにゃぐにゃに柔らかくなったドラムセット、という立体作品。
で、そのあとに、《幾何学的なネズミ》《片耳のミッキー・マウス=ティー・バッグ》《ティー・バッグ》を見て思ったのだけど、ソフト・ドラム・セットやティー・バッグは、ディズニーランドとかに置いてそうな質感なんだなと思った。


アンディ・ウォーホル
こいつはよくわからんなー。
電気椅子》とかはいいなあという感じがした。ネガっぽくなってる感じとか、画面上の方の横線がノイズっぽく見えたりとかで。
それ以外はあんまり。キャンベルのスープ缶とかモンローとか毛沢東とか、実物はでかくてそれが並んだ部屋は迫力はあるんだけど、実物を見たことによる「お、こうなってたんだ」というのがなかったような気がする。普通、美術作品って多かれ少なかれ写真では分からない、実物を見ないと分からない部分があると思うんだけど、ウォーホルはそういう感じがしない。あと、ラウシェンバーグとかリキテンスタインとか過去の美術を引用したり意識したりしているのがすごいよく分かるんだけど、ウォーホルがどうなのかよく分からない。あと、絵を描いてない。いや、描いてるんだけど、複製されているので描いているように感じられなくなる。
キミコ・パワーズの部屋とでもいうべき部屋があって、あそこはなんか迫力あったけど、でもやっぱりよく分からなかった。


ロイ・リキテンスタイン
俺、リキテンスタインのこと舐めてた。ほんと、有名なコミックをそのまま写したものくらいしか知らなかったので。
あの絵柄のままで風景画を描いている。《日の出》とか。そして、ロウラックス・フィルムという素材を使ったなんかきらきらした風景画も描いている。さらにそのキラキラがもっとチラチラしている《キネティック・シースケープ》というのもある。
モネの《大聖堂》シリーズをオマージュした《大聖堂シリーズ》。ドットがうがたれていて、それによって近付くと何描いているかよく分からないけど、遠ざかるとちゃんと何描いているか見えてくるというモネ的な体験までできる。
それから、《静物》、《化学による平和》シリーズ、《エキスポ67のための習作》は、ロシア・アヴァンギャルドとかのポスターデザインのパロディっぽい感じがする。


ジェイムズ・ローゼンクイスト《ラナイ》
これまたでかい。《ロング・アイランドのスタジオ》に次いででかい。もともと広告美術をやっていた人で、キャンバスのサイズに拡大された果物とか、逆さまになっている自動車とかが描いてあった。


トム・ウェッセルマン
《グレート・アメリカン・ヌード#50》が、これでもかという引用を行っていてすごい絵
どこかの部屋を描いていて、右上はアッサンブラージュになっていて、なんかのボトルと本物のラジオが置いてある*1、画面の左側は部屋の壁に絵が掛かっていてその絵がルノワール。で真ん中らへんはソファだかベッドだかになっていて金髪の女性が横たわっている(おそらくコラージュ)のだが、その横にはセザンヌ調の果物が転がっている。ルドン風の花もある。さらにこのベッドだがソファだかは、赤くべたっと塗られていて平面であることを強調している。という、何ともてんこもりで笑ってしまいそうになる作品だった。
他にも、モンドリアン風のパターンが背景になっている絵とかもあった。
しかし、びっくりしたのは、《横たわるエイミー》。レーザー・カットしたスティール、つまり黒い針金みたいなものを線にして女性を描いて壁にはってある作品で、遠目から見ると壁に直接絵を描いたかのように見える。解説には、線=支持体と書いてあった。むろん、額などなく、作品と壁の境界もない。ここまで、どの作家についても、額が簡素、もしくはない、というのばかりだったのだけど、ついに行き着くところまで行き着いたという感じ。
展覧会の最後の最後、出口近くって、まあそんなにそんなに「おおっ」となることもないんだけど、これは最後の最後まですごいものがあるなあという感じだった。

*1:ん、これ最初の方で見たぞw