アンドレアス・グルスキー展

国立新美術館
ディテールとスケールに圧倒されて、とても楽しかった。
見に行く前にたまたま「アンドレアス・グルスキー展」 : Living Well Is the Best Revengeを読んでいたのだが、この記事では、崇高概念や抽象表現主義絵画と絡めて論じられている。
実際見てみると、これを読んでなかったとしても、やはり崇高概念や抽象表現主義と結びつけて考えたくなるものだった。
まず、サイズがでかいということ。
それから、ディテールについて。桑島秀樹『崇高の美学』 - logical cypher scapeにおいて、崇高概念は、断片を凝視することと結びつけられているのだが、グルスキーの作品は、写真ならではだと思うのだけど、ディテールにすごく目がいく。
とにかくめっちゃデカイ作品なのだが、細かいところまでくっきり写っていたりなんだりするので、巨大さと細かさの両方に目が向かうのだ。
そしてこれは、ピントが全体にあっているということでもある。上の記事で、奥行きがないというようなことが書いてあったけど、実際に見てみると、遠近感がよくわからなくなってくらくらしてくる。これはあらゆる箇所にピントがあってるせいではないかと思った。他にも、デジタル加工によって合成が行われていたりするので、それもあるだろう。
デジタル加工というのもグルスキー作品の大きな特徴で、写真ではあるが、虚構性が大きく入り込んできている。あるいは、絵画との境界を揺るがしてもいる。
例えばバンコクシリーズの川面は、なんだかとてもCGっぽい。最後まで僕には、CGに小さい写真を貼り付けているようにしか見えなかった。
カタログにのっていた評論をちらちらっと読んだのだけど、そこで、とある美学者か誰か*1の、「再認して見ること」と「見ること」だったかいう概念が引用されて論じられていた。前者は、「〜として見る」とかSeeing-inとかのようなことで、後者は、絵だったら色の配置とか素材とかを見るとかそういうことだと思うのだけど、普通の絵は前者ばかりで、現代アートは後者ばかりだけど、グルスキーは両方だよねみたいなことが書いてあった。
そういう両面性を持っているのはグルスキーには限らないと思うけど、グルスキーは確かにその両面がある。ビルディングとか牧場とかを写していて、全体で見ると、まるでモンドリアンか何かかと思うような色と形の配置のパターンに見えるのだけど、実際には人とか牛とかがすごく細かく写っていて、決して抽象的な何かではない。


それから、今回の展覧会は作品の並べ方も大きな特徴となっている。グルスキー自体がキュレーションしたということが宣伝文句として使われているけれど、作品が時系列順やテーマ順では並んでいない。以前、時系列順で並んでなく作品展を見たときにすごく見難かったという記憶があるんだけど、今回は全然そんなことはなかった。
空間をリッチに使っている感じがした。順路もはっきりとしていなくて、結構客の動線が自由になるところがあるのだけれど、それがけっこううまくはまっていた。中間の休憩室を越えて、後半の展示スペースは特に。


久しぶりに音声ガイド借りた。
書いていない情報とか、いくつか面白いのがあったので聞いてよかったけど、すぐにグローバル化する世界がどうのこうのとかそういうこと言い出すのが、ちょっといやだったw

印象に残った作品などについて

これ、建物のどの部分なのかがよく分からなくて*2、じっと目を凝らしていると、どうなっているのかよけい分からなくなってくるのだけど(この絵に限らず、なんか時々エッシャーのだまし絵的に見えてくるものがあった。合成のせいなのか何なのか分からないのだけど、こことここの繋がりのつじつまがあってないような気がするんだけど、どうなってんだ、頭くらくらする、みたいな)
しかし、パッと見た瞬間、モノクロの配列がかっこよくて、これはこの建築物のかっこよさでもあると思うのだけど、写真として切り取られることで、抽象絵画のようになっていた。
それから、建物のかっこよさという意味では《北京》とか
あと形状の面白さとして、砂漠の中のレース場をヘリから空撮した《バーレーン1》とか

  • 《ニャチャン》、《ベーリッツ》

何本もの列が並んでいる作品
《ニャチャン》は工場かどこかで藤かごか何かを編んでいるアジアの労働者たちが、何列にも連なっている。工場の梁みたいなのが彼らの上にやはり何列も並んでいるのだけど、梁と労働者たちのあいだの奥行感が薄れていて、平面的になっていて、やはり、どうなってんだって思った。
《ベーリッツ》は何かの畑で、多分合成して、まるで地層のように並べられている。本来は、平面上ににそれぞれの畑が並んでいるのだろうけど、写真に撮られて、その写真が壁にかけられているので、あたかも垂直方向に(=地層のように)並んでいるように見える。この作品を見た瞬間に、なんかとても楽しくなって、「グルスキー、面白いぞ」となってきた。

  • 《パリ、モンパルナス》

遠目から見ると、モンドリアンな感じなんだけど、近付いて見るとアパート
ところで、これに限らずビルとかを写している写真がいくつかあって、近付いてみると窓の中の家具とか人とかまでよく写っているのだけど、、何故だか本城直季思い出したりした。やってることはもちろん違うんだけど。ミニチュア感があるからだろうか。

  • 《フランクフルト》

フランクフルト空港の、表示板と待合客が写っている、横長のかなりでかい作品。F1の奴とあわせて、今回展示された作品で、ツートップのでかさ(というか長さ)。
違う時間の表示板が合成されていて、左から右にみていくと、表示されている時刻も朝から夜へと変わっていく。複数の時刻が、同一平面に写っているというもの。
何故かこれを見て、小倉涌さんの絵を思い出したりした。絵画の虚構性的な意味で?w

  • 《南極》

衛星写真合成している作品がいくつかあったけど、その中で一番好き。まあ、分かりやすく南極だからってことだけどw
これも見てるとなんだかCGに見えてくる

この2つは、どこかもやのかかったような感じがあって、幻想的な風景のように写っていて、かっこよかった
どちらもサイズは小さい作品。

  • 《99セント》

いやおうなく、藤村龍至を想起してしまうw

  • 《ルーン渓谷》

初期の作品
ところで、上で紹介した記事では、《カミオカンデ》についてフリードリヒとの類似点を論じていたけれど、オーディオガイドでは、この作品についてフリードリヒと似ているみたいな言及があった。

  • 《トイザラス》

小さい写真が4枚並べられている細い通路で、振り向くと、大きいこの写真がばんとある、という配置がよかった

  • 《F1ピットストップ4》

F1カーがピットに入っているところを写した、非常に横長な一枚*3
ピットがまるで祭壇のような、あるいは解剖台のように見える
ピットクルーにだけ光があたっているのが、レンブラントの絵のような感じ。
とても絵画的な写真だった。
あと、振り返ったところに、《プラダ2》という作品があって、この配置もよかったなあと思う。うまくいえないけど。

  • 《マドンナ》

マドンナのライブの写真なんだけど、これもおそらく合成していて、画面上方に広がる観客席がどうもありえないような広がりをしている。



Andreas Gursky|アンドレアス グルスキー 作品など まとめ - NAVER まとめ
グルスキー展にある作品もない作品も含め、かなり載ってる


グルスキーのインタビュー記事を見つけたので、気になったところを一部抜粋。
アンドレアス・グルスキー インタビュー – ART iT アートイット:日英バイリンガルの現代アート情報ポータルサイト

私の作品は非常に現実的であり、合成されているとはいえ、すべてが想像上のものというわけではありません。

(《クラウゼン峠》について)この登山客が風景に馴染んでいる様が、非現実的かつ異様で構図も非常にバランスが取れています。

*1:立ち読みだったので完全に忘れてしまった。美学者なのか美術評論家だったのかも分からないけど、注を見たら引用文献は未邦訳っぽかった

*2:壁か天井で光を内部に取り入れる部分だと思う

*3:最後、これの絵はがきを買ったのだけど、残念ながら絵はがきは左半分しか入っていない