宮内悠介『ヨハネスブルグの天使たち』

SFマガジンで掲載されていた4編と書き下ろし1編。
世界各地の紛争地などに、日本製のホビーロボットDX9が登場する連作短編。3本目以降は、〈現象の種子〉という秘密兵器とルイ(隆一)と名乗る日本人を巡る物語ともなる。
SFマガジンで掲載されていた分は既に誌面上で読んでいたけれど、改めて一気に読んだ上で、最後の書き下ろし1編がよかった。
『盤上の夜』の時も、一番最後に入っていた章が書き下ろしで、それがそれまでの章をまとめあげる感じだったのだけど、それと同様、これも最後の章がある種のまとめとなっていた。
『盤上の夜』はとかく壮大なイメージに覆われて「うおーっ」って感じだったけれど、こちらは、より複雑でじわじわっとくる感じ。
宮内悠介『盤上の夜』 - logical cypher scape


ヨハネスブルグの天使たち

ヨハネスブルグのスラムで暮らす、黒人少年のスティーブとアフリカーナーの少女、シェリル。彼らの暮らすビルの屋上からは毎日、DX9が落下する。日本の企業が撤退した、誰も中断をしなかったため、落下実験をひたすら繰り返し続けている。スティーブはその中の一体との通信を試みようとする。
その後、アフリカーナーは、シェリルの残した技術によって民族ごとDX-9に移植されてナミブ砂漠
スティーブは、かつて通信を試みたDX9と再会する。かつての南ア国歌を歌うDX9
『SFマガジン2012年2月号』 - logical cypher scape
SFマガジンで読んだ時は、後半の展開の仕方がピンときてなかったようだが、今回は違和感なかった。

ロワーサイドの幽霊たち

幼い頃にウクライナから移民してきたビンツは、WTCビルで勤務している。
「二つのタワーのあいだには何があると思う?」という母のなぞなぞ。一番最後にビルから落下しながらビンツは未来だと考え、一番最後に書かれている引用では、設計者であるミノル・ヤマサキは希望を見出していた、とある。
このビンツは、9・11再現のためにDX9上で再現された人格であり、9・11実行犯の一人であるモハメド・アタの人格が再現・移植されたDX9と重ねあわせられる。
歌は悪魔の産物だと考える
9・11をいかにフィクションとして語ることができるのか、ということについて、物語内ではロボットを使って再現するという設定によって、ナラティブとしては虚実入り混ざった引用をちりばめるという手法によって取り組んでいる。
この連作短編の中でもっとも面白く、連載時もこの作品を読んでこのシリーズに引き込まれたわけだが、一冊の本としてまとまって読むと、これを連作全体の中でどう位置づけるかというと難しいなあという感じもある。
↓連載を読んだときに書いたもの

9・11の時の証言などの引用を挟みながら、2001年とその数十年後を行き来するような話。

その後、また新たにビルが建てられたのだが、老朽化してスラム化してしまった。これを再開発するためのセレモニー(?)として、アンドロイドDX9たちにそれぞれ9・11の時に貿易センタービルにいた人びとの行動をインプットして、飛行機を再び突っ込ませるということが行われようとしていたのだ。
主人公は、2001年の貿易センタービルにいると思っていたのだが、実際にはそういう行動を埋め込まれたDX9
9・11の証言集から始まって、スキナーの行動分析学、DX9の開発者、再開発関係者、9・11の時に飛行機をハイジャックしたテロリストについての証言、貿易センタービルの設計者など、古今と虚実が入り交じった様々な言葉が引用されて、くらくらする。
SFマガジン - logical cypher scape

ジャララバードの兵士たち

アフガニスタンにやってきた隆一=ルイは、米兵によって新兵器〈現象の種子〉が誤って撒布された事故があったことを知る。
各短編の中では一番物語的というか、犯人は一体誰かというミステリ的なプロットで進む

今度の舞台はアフガニスタン。DX-9は自爆兵器として使われている。
ユダヤ系の米兵ザカリーにカブールまでの護衛をしてもらうことになったルイこと隆一は、女性兵士の死体に出くわす。犯人を捜査することになる。
SFマガジン - logical cypher scape

ハドラマウトの道化たち

アフガンで失敗し、イエメンにやってきた日系人の米兵アキトは、世界遺産級の古い街区を破壊せずにそこに住まう新興宗教を撃退する命を受ける。
そこには、〈現象の種子〉を持ったルイがいる。
言語が混ざり合う
「たとえ自分が、虚無に抗う虚無でしかないとしても」

日系の兵士が、「粘土製摩天楼都市」における二つの思想集団の対立に介入することになる。
かたや自爆テロも敢行する原理主義集団、かたやあらゆる宗教・思想を受け入れる自由主義集団なのだが、その内実を見てみると、原理主義集団の方はむしろ様々な教義のキメラであるし、自由主義集団の方はリバタリアニズムを極端化してしまい画一的な規律に支配されていた。
実は、この集団の二人のリーダーは、かつて同一人物だった。原理主義者であったタヒル自爆テロの前に人格をDXへとコピーしていた。ところが、自爆テロに失敗した。DXは原理主義集団を率いて、自爆テロに失敗したオリジナルは自由主義集団を率いている。
『SFマガジン2013年2月号』 - logical cypher scape

北東京の子供たち

北東京の団地に住む誠(セイ)と璃乃(リノ)
貧富の差が拡大する日本の中でできたエアポケットのような団地、外国人も多く住む。廃墟と団地。
誠と璃乃の関係は、なんとなくスティーブとシェリルの関係のようでもあり、近々帰国するという誠の兄とは隆一に他ならない。そもそも隆一が世界を回っているのは、9・11再現イベントのためであった。
団地の大人たちは、団地の屋上から落下するDX9に同期することを一種の楽しみとしていた。言語が混ざり合う。
璃乃の母親はすっかりそれに依存していた。それを断ち切るために、二人はDX9を閉じ込める計画をたてる。しかし、璃乃の母親を戻すことはできずじまい。
「DX9は歌の不在を歌う」というラストシーンで、誠の描いた落書きに呼応して落書きが増えている。

追記

ヨハネスブルグの天使たち』読書会をして、感想が多少言語化されてきたのでメモ


民族性とか精神性とかが実は虚無であることが一貫して描かれている(これは読書会参加者の指摘)
で、そういうことを実にカラッと描いていたのが伊藤だとすると、宮内はわりとジメッとしているというかw
虐殺器官』は虐殺の言語解き放たれるし、『ハーモニー』は意識なくなっちゃうしだけど、『ヨハネスブルグの天使たち』は決して、じゃあみんなDX9になりましょうという話ではないw
虚無に抗うことを希望として描いている
そういう意味では、わりとベタな話を書いてるのかもしれない。
DX9に関しては様々な使われ方をしていて、その使い方については肯定的とも否定的ともいえないけど、〈現象の種子〉に関しては、わりと否定的なのかな、と
これは、人間の精神がとけあう的なサイケデリック系ドラッグなのだけど、ルイがそれに惹かれたのに対して、弟の誠はそれとは違う方向を向いていて、それが希望として描かれている
誠のは、もう少しささやかなネットワーク(最後の落書き)
骨となっているプロットはわりとシンプルな物語なのかもしれない。ただ、それを覆い隠すように様々な要素がかぶさっていて、わかりにくくしているし、それがこの作品の面白さともなっている。
ルイの物語として読むと、『ヨハネスブルグの天使たち』の一章にあたる「ヨハネスブルグの天使たち」は、浮いてしまうというか読みときにくくなる。実際、スティーブと2713のラストはまだいまいちよくわからない。
連載で読んでいた際には、DX9が歌姫であることという設定がどうして入っているのかよく分からなかったが、まとめて読んでみると、音楽の要素が要所要所で入っているのが分かった。
一方、これは読書会参加者の感想を聞いて改めて意識したことだが、日本であればエンターテイメントロボットないしキャラクター文化の産物として利用されたであろうものが、日本以外の場所に行けば、それぞれの土地に応じて、それぞれの使われ方をされている。
また、DX9は人間の精神を移植できるロボットとして描かれるが、「ヨハネスブルグの天使たち」や「ジャララバードの兵士たち」ではそれら独自の意識があるようにも描かれているのはどう捉えるか、と、やはり読書会参加者から指摘があったが、これについてはまだよく分からない(上述した、スティーブと2713の話がよく分からないというのと同じ話)

ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

ヨハネスブルグの天使たち (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)