岡ノ谷一夫『小鳥の歌からヒトの言葉へ』

2010年にこれの新版が出ているのだけど、それに気付いていなかったのと、図書館に置いてなかったのから、2003年に出た旧版の方を読んだ。
筆者のジュウシマツ研究についてまとめられている。
内容も面白かったけれど、事細かに、この実験は学部4年の誰それが行われたとか、この研究は修士2年の誰それが行ったとかが書いてあるのが印象に残った。理系の研究室というのが実際にどういうふうにやっているのか知らないけれど、これを読むと、岡ノ谷研の大きなプログラムとしてジュウシマツのさえずりについての研究があって、各学生や研究員がそれの部分部分に取り組んでいく感じなのかなあと思った。誰それのアイデアがなければこの研究は進まなかった的な言及だけでなく、誰それはこの大変な実験をやりとげたとか、立派な卒論を書き上げた的な言及のされ方があるのが面白い。

1 小鳥の歌とヒトの言葉

導入的な話
小鳥の鳴き声には「地鳴き」と「さえずり」があって、ここで扱うのは「さえずり」
ちらっとスペルベルの名前が

2 複雑な歌をうたうジュウシマツ

アメリカで博士号をとったあと、日本に戻り、上智大の研究員になったあと、いくつかの機関の研究員を経て千葉の助教授になるまでの間に、どのようにジュウシマツの研究が始まったのかという経緯
アメリカでは研究にキンカチョウを使うが、いくつかの理由から、日本で作出された鳥であるジュウシマツを研究対象に変える。
ジュウシマツは、キンカチョウよりも複雑な歌を歌っている。キンカチョウは、大人になると聴覚フィードバックが必要なくなるが、ジュウシマツは大人になってもそれが必要。
歌の複雑さを記述するために、マルコフ分析をおこなう。ある歌の要素から歌の要素へと遷移する確率を行列で示したもの。
千葉大で学生が、同じ講座の言語学の講義をとっていたことがきっかけで、ジュウシマツの歌を「有限状態文法」として抽出する方法ができるようになる。複数の歌要素の固まりをチャンクとして切り分け、チャンクとチャンクの遷移をあらわす。

3 ティンバーゲンの理想

ティンバーゲンの4つの質問、すなわちメカニズム、発達、機能、進化であるが、筆者はこの全てにアプローチしている。この章では、筆者がどのようにしてこの4つの重要性に気付いたか、書かれている。
カニズムと発達はあわせて至近要因、機能と進化はあわせて究極要因といわれる。
動物行動学が発展するにつれて、この二つへと分化していく。前者は神経行動学、後者は行動生態学となる。
筆者は、神経行動学者はインドア派、行動生態学者をアウトドア派と大雑把に分けている。要するに、この両者はあまり相性がよくないw 筆者は自分はもともと前者だったが、両方のタイプの学者に会うことで、融合したいと思うようになったという。
で、ここで神経行動学の話として、鳥の脳の話
鳥の脳はしわがなくてつるつるしている。しかし、これは鳥の脳がヒトなどに比べて未発達だからというわけではなく、皮質ではなく神経核という構造が発達したため、という。哺乳類の場合、基底核の上に皮質が覆い被さっている。昔の研究者は、鳥の脳がつるつるだったので、基底核があらわになっていると思っていたが、実際には鳥の場合、基底核の上に(皮質ではなく)神経核が被さっている、らしい。哺乳類の大脳皮質にあたる機能は、鳥ではこの神経核が担う。
話は戻る。
筆者は上智のあと、筑波の農水省の研究所へと移る。筆者はそれまで、「どのような仕組みで」にこだわっていたが、筑波の研究者は「なぜ」にこだわっていた。筆者にはそれがよくわからないままだったらしい。しかし、千葉大*1に移り、次第に歌の「文法」ということが研究テーマとして確立するにつれて「なぜ」ということへのこだわりがわかるようになった、と*2
最後に、ジュウシマツについて
ジュウシマツはもともと野生の鳥ではない。コンジロキンパラという鳥から、江戸時代に愛玩動物として作られていった鳥。

4 ジュウシマツの歌と四つの質問

具体的な研究内容へと移る。
結果だけを簡単にまとめるが、ここが一応メインの箇所で、岡ノ谷研の学生や研究生が具体的にどういう実験に取り組んでいたのか、詳細に書かれている。

  • 進化

ジュウシマツとコンジロキンパラの歌の比較
ジュウシマツの方が複雑で声も大きい。家禽化され、捕食の危険性がなくなったためか。

歌の制御・学習には、脳のいくつかの部位が関わっているが、これらの部位をそれぞれ損傷させると歌はどう変化するか、あるいは、録音した歌を逆再生、あるいは部分だけ逆再生して聞かせるとどこの部位が反応するかという実験を行い、歌をうたう・聞くの両方について、脳のどの部分が関わっているかを調べる。
歌には、歌要素、チャンク(要素がいくつか集まったもの)、フレーズ(チャンクがいくつか集まったもの)という階層構造があるが、これが脳の構造とも対応していることが分かった

  • 発達

幼鳥から成鳥にかけて、歌がどのように発達するか
それに応じて、脳はどのように発達するか
成鳥になってからの、歌の可塑性・学習可能性

  • 機能

歌が複雑になったことと性淘汰の関係
複雑な歌を聞いた方が、メスの繁殖行動(巣作り)が活発になる

5 四つの質問を越えて

ジュウシマツには、メスに向けて歌う「志向歌」と、ひとり(?)でうたう「無志向歌」がある。何故無志向歌を歌うのかについて、10年前にアメリカで発見があり、志向歌と無志向歌とでは歌っているときの遺伝子発現パターンが違うという*3。無志向歌では、学習に関わる基底核で発現が見られた*4
岡ノ谷研の研究で、無志向歌では聴覚フィードバックをしていることがわかった。つまり、無志向歌では、自分の歌を聞きながら歌っている。練習をしているのではないか、と。


コンジロキンパラのメスも、複雑な歌を聞くと、繁殖行動が活発になることが分かった。
野生種では捕食圧があるため、あまり複雑にならなかったが、家禽化することで、この制約が解け、歌の複雑さが性淘汰されたのではないか。
では、何故歌の複雑さがメスの好みとなるのかを、ザハヴィの「ハンディキャップ理論」で説明する。
複雑な歌をうたうのにはコストがかかる(集中しなければならないので捕食される危険が高い)。コストのかかる歌をうたえるということは、それだけ生存能力に余裕がある、ということのシグナルになる。

6 残された疑問

4つの質問に応じて、現在研究中の課題について書かれているが、この本は03年に書かれたものであり、10年に新版が出ているので、ここにあえてメモしないこととする(そもそもそんなに書かれてない)

7 歌文法から言語の文法へ

ジュウシマツの研究から、言語の意味、つまり内容にあたる部分がなくても、文法、つまり形式の部分だけが独立して進化することと、家禽化は、生存に関わらない性質を進化させる性淘汰を促進させることが分かった。
ここから、岡ノ谷はヒトの言語についても、内容と形式が独立して進化したのではないか、またそれはヒトの集団生活、農耕牧畜の発展による「自己家畜化」によって促進されたのではないか、という仮説を唱える。
この仮説の問題点
性淘汰によるものであれば、言語能力に性差が生じるはず(ジュウシマツはオスしか歌わない)→オスによるメスの選択もあったと考えれば雌雄両方が言語能力を持つ→文法の意味(内容)が加わったとき、コミュニケーションの道具としても使われるようになったので雌雄両方が同じように使うようになった→男女による言語使用の違いが発見できれば、この仮説の証拠となりうる
この仮説は有限状態文法の進化しか説明できていない。自己埋め込み機能を持つ人間の文法は説明できない。*5→確かに現段階で説明する方法がないが、有限状態文法が獲得されたなら、何とかして人間の文法まで引き上げられるのではないか。
(感想)
文法が独立して進化したとしたら、チョムスキー仮説とも相性がよさそうと思った

「泣き声から意識へ」(『サイエンス・イマジネーション』より)

この本は、筆者の千葉大時代に書かれたものだが、なんとなく自分には岡ノ谷さん=東大のイメージがあったので調べてみたら、2010年から東大に行っていた。
ところが、自分が岡ノ谷さんのことを知ったのはもっと前で、どうもその時は理研にいたようだ。
自分がいつどのタイミングで岡ノ谷さんのことを知ったのかはもうよく覚えていないのだが、少なくとも、瀬名秀明編著『サイエンス・イマジネーション』 - logical cypher scapeという本で、岡ノ谷さんの講演録を読んでいる。なので、再読してみた。
ここでは、人間の赤ん坊の泣き声についての研究が紹介されているのだが、『小鳥の歌からヒトの言葉へ』のあとがきで、最近は小鳥と人間の比較のために人間の赤ん坊の泣き声の研究も始めたと簡単に触れられていた。
発声を学習する種とそうでない種がいるという話。
発声を学習する種(鳥、クジラ、ヒト)は大脳皮質運動野と延髄呼吸中枢とのあいだに連絡がある。
呼吸を制御する必要があるために、この連絡ができたのではないか。クジラは海に潜るため、鳥は空を飛ぶ時に呼吸を制御しておきたい。これらが前適応として、発声学習の能力になったのではないか。
ヒト以外の霊長類は発声の学習をしない。ヒトだけが産声をあげる。野生で産声をあげると捕食される危険がある。集団生活をはじめたヒトは産声をあげてきもその危険がなく、むしろ泣き声で親に世話してもらえるようになったから、なのではないか、という仮説。

*1:土屋俊と同じ講座にいたらしい

*2:当時、千葉大に非常勤講師として来ていた長谷川眞理子の影響もあったらしい。ちなみに、この章には長谷川寿一への言及もある

*3:ところで、この当時の研究で、30分間聞かせると遺伝子が発現し、それ以上聞かせると発現しなくなるという発見があったらしい。遺伝子の発現が短いスパンの時間で起きることはゲアリー・マーカス『心を生み出す遺伝子』 - logical cypher scapeを読んだ時に知って驚いた記憶があるが、改めてまた驚いた

*4:この発現は、神経回路を書き換えるタンパク質を合成する

*5:自己埋め込み機能とは何か全く説明が書いていないのでよく分からないが、再帰性のことだろうか