フランシス・ベーコン展

近代美術館
当初、行こうと思っていた日に熱を出してしまい諦め気味だったところ、やおきさんが「明日行くけど誰か一緒に行く人います?」って言ってたので、やおきさん、じゅんさんと3人で行ってきた。


近代美術館の入り口の前で待ち合わせしていたのだが、スタジオ・ムンバイの「夏の庭」というところで、音楽聞きながら本読んでるのがとても居心地よかった。天気も良かったし。


ベーコン自身が絵画をガラスで覆うことを望んでいるため、今回の展示会でもほとんどの作品がそのように展示されているのだが
このガラスがやたら反射する(ベーコン自身も、本来なら反射しないガラスを望んでいたようだが)。
絵を見てる人たちがやたらと映り込む。特に、50年代までの作品は背景が黒く塗られている絵が多いため、いっそうよく映り込む。これは見ていて、ちょっとつらかった。少なくとも最初のうちは。


50年代の作品は黒い背景に、線だけで矩形が描かれて、その中に肖像などがあって、なんだかサイバーな感じ(ワイヤーフレーム感あるw9を漂わせていて、かっこよかった。
特に、教皇枢機卿を扱った作品の、黒っぽいスーツ着て叫んだりなんだりしている男が、初期の弐瓶勉なんかを思わせたりもして。
サイバー的という意味では、スフィンクスシリーズも。
60年代になってくると、フランシス・ベーコンと言われて思い浮かぶイメージどおりになってくる感じ。
《横たわる人物像No.3》が個人的には好きで、手と足の先がしゅっと消えていく感じ。他の部分を見ていると、手と足がちゃんと描かれているように見えるんだけど、そちらの方に目を動かすと消えている、というか。挙げられた腕が炎のようにゆらゆらしている。
《横たわる人物像No.3》は背景黒いけど、この頃にはもうかなり背景とかカラフルになっている。インテリアデザイナーだったこともあるらしく、部屋とか家具とかオシャレ感漂う絵になっているのだけど、でもどこか不思議空間になっている。
最後の部屋*1は、基本的に70〜80年代で、あと死ぬ前年である91年に描かれた絵もある。三幅対の作品が4つくらいあって、どれもでかくて、部屋を取り囲むようにかけてある。
70年代以降は、絵の中に文字とか矢印とかも入るようになっている。
最初はふーんって感じだったんだけど、一回また最初の方まで見直してまたこの部屋に戻ってきたら「やばい!」ってなった。
初期の頃のがかっこいいなーとか思ってたけど、晩年の方がやばかったw
《人体による習作》の黒いもやもやとか、闘牛を描いている87年の《三幅対》とか、91年の《三幅対》とか
ここの章タイトルは「物語らない身体」となっていて、キャプションでは、ナラティブを拒否しているということが説明されている。それはたとえば、視線が交差しないとか、三幅対になっている三枚の絵が時間的、空間的に連続しているように見せていないとかそういうことなんだけれども、でもやっぱりなんか物語的なものがあるように思えた。

*1:正確に言うと、最後から2番目の部屋。最後の部屋は、ヴェルツ/フォーサイスインスタレーション。klovが「ベーコン踊ってみた」と言ってたけど、まさにそんな感じだった。あ、ついでに土方巽の感想をちらっと書いておくと、あんなのガリガリだと、あんまりベーコンっぽくないなと思った。ベーコンってもっとなんか肉感ある感じする