さやわか『僕たちのゲーム史』

遅ればせながら、各所で絶讃されてるこの本を読んだ。
日本のテレビゲーム*1の歴史を、「ゲームとはボタンを押したら反応するものである」「ゲームは物語をどう扱うかについて時を追うごとに変化した」という二つのテーゼを軸に、語る本。
何で日本と海外で人気のあるゲームが違うのか(TPSとFPS)ということについての説明にもなっているのが面白かった。


この本は冒頭で、言及していないゲームの一覧が並べられている。ゲームについて詳しくない自分でも知っているような有名タイトルもたくさんある。そしてまた、著者曰く「僕が個人的に好きなゲームが、ほとんど登場しない」とも言っている。
つまりこの本は、過去のゲームについて網羅的に言及している本でもないし、あるいは「僕たちの」という言い方から想像されるかもしれない「好きなもの」への想いを熱く語るような本でもない。
当時の雑誌やインタビューなどを引用しながら、上述した二つのテーゼを軸に、ゲームの歴史を物語っているのである。

第1章

スーパーマリオ、というとアクションゲームと思ってしまうが、当時の企画書や雑誌記事を読むと、アスレチックゲーム、アドベンチャーという言葉で売り出されている。
当時、アクションゲームは既に飽和状態にあった。その一方で、裏技ブームというのが起きていた。スーパーマリオは、そのような裏技、謎解きという側面を売りとして売り出された、と。

第2章

第1章で出てきた、アドベンチャーやロールプレイングについて。
アメリカで誕生したこれらのジャンルが元々どのようなもので、そして日本でどのように変わったかについて。
ここで、これからずっと続くアメリカと日本の違いが既に現れている。
アメリカではこれらのゲームは、自分自身がゲーム世界を探索する・体験するものとしてあるのに対して、
日本では、これらのゲームに、物語的な要素が強くなり、三人称視点が導入され、マンガやアニメに出てくるようなキャラクターが主人公になるようになる。

第3章

そのような日本の物語志向が、一見、物語とは関係なさそうなシミュレーションゲームにも現れていることを見る。
80年代末からシミュレーションゲームが流行り始めたと言われるが、厳密に言うとそれは違う。それ以前にもシミュレーションゲームの流行はあり、そしてその流行が一度沈んでから再び盛り上がった。ここに、光栄がシミュレーションゲームという括りを広く捉えて、従来とは違う方向へとシミュレーションゲームを広げていった、ということが挙げられている。
シミュレーションゲームは従来、歴史通りにシミュレートして遊ぶ「歴史派」とデータを重視して遊ぶ「データ派」があったが、光栄はむしろドラマとしての「面白さ」を重視していく。
こうした流れはPCからファミコンへと波及し、ファミコンから、シミュレーションゲームとRPGを組み合わせた『ファイアーエムブレム』の誕生へと繋がっていく。

第4章

今までは、PCゲームとファミコンなどの家庭用ゲームを中心に見ていたのが、この章ではゲームセンター、アーケードゲームが取り上げられる。
ゲームセンターの規模は大きく縮小しているが、その理由として3つ挙げられる
1.風営法による規制、2.家庭用ゲーム機の躍進、3.不況
風営法対策によって大型筐体が導入されるようになり、その中でもセガは「体感」を重視する。またそれと同時に、ゲームが物語を重視し複雑化していったのに対するカウンターのように、テトリスのような単純がゲームを導入する。マニアではない一般層を取り込み、不良のたまり場のようなイメージを払拭することとも繋がっていた。
だが、このようなやり方は、マニア層と一般層を分断しかねなかった。それを繋ぐようなものとして現れたのが、スト2だった。
面白さの中心として「対戦」があったのだが、実はこの「対戦」の面白さを発見したのは、アメリカ。ただ、日本でも対戦が流行るかどうか制作者は半信半疑だった。
結果としては対戦は受け入れられる。
その後、不況の影響もあり、またぷよぷよのように、家庭用ゲーム機から対戦の面白さを入れたようなゲームが現れることもあって、ゲームセンターは苦戦していくことになるが、それでも日本ではゲームセンターが今でも生き残っている。アメリカではもっと衰退してしまっていることを挙げて、これは誇られるべきことだとしめている。

第5章

ここは、半導体ROMから光学ROMへと移り変わっていた時期、プレステやサターン、64といった次世代機が出てきた頃の話。
華麗な映像を見せることとゲームの関係について、当時、任天堂ソニーがどのように考えていて、それがどのようにして、任天堂が勢いを失い、ソニーが天下をとっていったような状況に繋がっていったのか。

第6章

著者は、FF7が出た1997年にゲーム史の切断線があるという。
ここでは、日本のゲームが持っていた物語を重視する路線が達した到達点について論じられる。
物語性重視が頂点に達したFF7は、一本道などのようにも批判されるようにもなる。
その一方で、92年の『弟切草』からノベルゲームというジャンルが現れる。その後、ギャルゲーまで繋がるこの流れで、物語をゲームでどのように扱うかということが試されるようになる。
しかし、ゲームの売上は減り始める。
既に述べたように、海外ではゲームを「自分自身が体験する」ものとして考えているので、日本のような物語を重視したものは売れない。ドラクエやFFは海外では日本のような人気を勝ち得ていない。そして、国内市場も冷え込み始めることで、ゲーム業界が危機を迎えることになる。
この章では、この時期に起きた特徴的なこととしてさらに2つのことを挙げている。
同人ゲームの台頭とゲーム雑誌の衰退である。

第7章

ゲームが売れなくなった90年代後半以降、日本のゲームは「コミュニケーション」がキーワードになった。
この時期、例外的に売れたゲームこそが『ポケモン』である。
実は、第5章で任天堂宮本茂が、映像の高画質化などが進んでいくゲーム業界に対して、「逆に俺はゲームボーイで最高の作品を作るというような人の方がいいものを作るかもしれない」と述べていたことが書かれていて、「ポケモン」はまさにそのような作品であったと取り上げられている。実際、ポケモンを開発した田尻智は、派手なグラフィックなどには批判的なクリエイターだった。
ポケモンは「交換」によってコミュニケーションを取り込んだが、それ以外にも同様の試みとして、ここではビーマニが挙げられている。ビーマニを始めとする音ゲーは、ゲーセンでギャラリーを意識してプレイするといった、独特のゲーセン・コミュニケーション文化を創っていく。
ところで、筆者は、物語性の強いゲームや派手なグラフィックのあるゲーム自体を批判はしない。ポケモン以降も、そのようなゲームは実際に売れていたからだ。むしろ、「ゲームとは何か」といった問いに対する答えが、時代を追うに連れてどんどん拡散しっていったのだという。だからこそ、この本では「ボタンを押したら反応する」という非常にミニマムなものを、ゲームの定義にしたのだ、と。
この時代に生まれてきた、新しいゲームの方向性として、ゲームの外にゲームがあるという特徴を見出し、『ガンパレードマーチ』、『東方』、そして『ひぐらしのなく頃に』などを挙げていく。

第8章

ここでは、海外ゲーム、特にFPSが論じられる。
第2章で既に言われていたように、海外のゲームでは一人称視点、日本のゲームは三人称視点がより好まれる、といった傾向の違いがある。
日本でも、FPSに似たゲームで海外でも人気が出た『バイオハザード』や『メタルギアソリッド』があるが、やはりどちらも三人称視点で、物語性も重視されている。
また、そのもそも日本のゲームと海外のゲームの大きな違いとして、MODがある。海外ゲームはPC用が中心で、ユーザーが内容をカスタマイズできるMODが発展していく。
このようなMOD文化の発展に伴い、ゲームシステムの標準化とゲームクリエイターの増加がみられ、インディーゲームが活発化していった。これらは、ネット販売網の整備にも日米で差をつけることになった。

第9章

ネットゲームについて。
もともと、ドラクエ堀井雄二はネットゲームに注目していたという話から、MMORPGについて紹介される一方で、韓国ではカジュアルゲームが流行るようになったと続く。
堀井がゲームで実現したかったのは、「別世界で別の人生を体験できる」ことで、MMORPGなどはその究極ともいえるが、それに対してもっと短時間で簡単に遊べるようなゲームが人気を集める。
そのような路線で成功したのが、DSであった。だが、それで任天堂が安泰になったかといえばそうではなく、ケータイやSNSで遊ぶソーシャルゲームが台頭し、非ゲーム業界が参入してくるようになる。
しかし、では従来のようなゲームはこのまま衰退してしまうのか。
筆者はそんなことはない、といって、『モンスターハンター』や『ラブプラス』を挙げる。特にモンハンは、従来的なゲームと新しいゲームとの要素を組み合わせるという日本が得意とするような作りをしていて、単なるカジュアルゲームでもない。とはいえ、堀井が目指していたような別世界を志向するようなものでもにあ。現実世界と寄り添うようなものが、現在のゲームなのではないか、として結論づけている。

おわりに

未来については分からないとした上で、今後の展望を考えるためのヒント的なこと。
・ゲームは日本文化の輸出戦略の目玉になりうる
・従来の価値観を覆したものが次のゲームになる(歴史を振り返ると「こんなのゲームじゃない」と言われたものが人気になったりしてきた)
・ゲームを別のものにたとえると失敗する
・「ゲームであること」を守るゲームは生き残る


星海社新書を読むの初めてだったんだけど、結構本の作りで驚いた。
まず表紙が超シンプル。
次に、小口の余白の少なさ。
そして、引用箇所。引用箇所はインデントを下げるというのがよく見られるけれど、この本では、フォントサイズを大きくして、インデントも上がっている。下の方もはみ出しているので、それにあわせてノンブルも潰れたようにサイズと形を変えていたりする。


参考
さやわか『僕たちのゲーム史』書評 - 9bit
さやわか『僕たちのゲーム史』 - 死に舞

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

僕たちのゲーム史 (星海社新書)

*1:PCゲームも含むのでビデオゲーム