生誕100年 ジャクソン・ポロック展

初期から晩年までの作品、63点を集めた企画。
普通の企画展と比べると、圧倒的に外国からのお客さんが多かった。


Chapter1 1930〜1941年 初期 自己を探し求めて

まだ、ポロックの絵がポロックになっていなかった頃。
とはいえ、個人的にはわりと好きだったところ。
《西へ》は、西部へ向かう馬車が幻想的に描かれた作品。渦を巻くような構図が印象的。
《四つの図柄のあるパネル》は、個人的にかなり気に入った作品で、ポストカードがあれば買おうと思ったくらいなのになかったw かなり抽象化された形象が描かれているのだが、一番左にはフラスコがあり何らかの実験室のようであり、また左から2番目は翼のようなもの、3番目には人型のようなものが描かれている。《頭蓋骨のアーチの前でひざまずく人物像》や《右に馬のある構成》も、同じようなスタイルの絵。抽象画に至る前に、デザインっぽい絵が好きなのかも知れない。
このあと、ネイティブ・アメリカンの影響を受けた作品群が続くのだが、こちらはそこまで惹かれず。
わりとキュビスムっぽい感じというか、キュビスムからの展開の一つがモンドリアンだとしたら、もうひとつ別の展開がポロックなのかという感じはここらへん見てると思ったりする。

Chapter2 1942〜1946年 形成期 モダンアートへの参入

ポーリングと呼ばれるポロックポロックたらしめる技法が導入され始めた頃の作品群。
ここでは、《ポーリングのある構成2》がとても気に入った。ポーリングを全面的に導入した記念すべき作品らしいが、オレンジの線と飛び散った白い絵の具がきれいだった。すごくテキトーなことを言うが、飛び散った絵の具というのはグリッチノイズのように鑑賞すればいいのではないだろうかということを考えたりした(そう考えたものの、実際の鑑賞体験はかなり違うものだったのだが)。
《トーテム・レッスン2》という大きめの作品は、グリーンバーグが絶賛したらしいけど、あまりよさが分からなかった。


ポロックの記録映画の上映もされていた。
ポロックにガラスの上に絵を描かせて、その下から撮影したもの。
わりとカメラワークが激しかったように記憶してる。BGM含めた演出によって、ポロックの制作風景が、実際よりも劇的なものに見えるようになっているのではないかという感じもしないでもない。

Chapeter3 1947〜1950年 成熟期 革新の時

もっともポロック的な作品が描かれていた時期。
そういえばポロック作品は、意外なことにそれほど大きくない。《インディアンレッドの地の壁画》などは確かに大きいが、それ以外の作品は、大きいものも小さいものもあり、大きいものであってもロスコやニューマンなんかと比較すると特別に巨大という感じはしない。
あと、図と地がなくなるというような言い方がされるけれど、図と地は一応あるにはあるんじゃないかなーと思ったり。
ここではまず、《ナンバー25,1950》が気になった。オレンジの絵筆の跡が左から右にジグザグとリズミカルに置かれている。サイズは小さめなのだが心惹かれた。ところが、あとでもう一度見に行ってみた時、少し離れたところから見ると全くのぐちゃぐちゃに見えてしまうことに気付いた(個々の線が見分けられなくなった)。これが、《ナンバー11,1949》だったり《インディアンレッドの地の壁画》だったりすると、遠く離れて見ても個々の線を見てとることができる。距離によって見え方が違うというのは絵ではよくあることなのだけど、《ナンバー25,1950》はちょっと離れてしまうと全くよくないものになってしまった上に、他の作品は必ずしもそうならないので、驚いた。
《インディアンレッドの地の壁画》は、大きな部屋に一枚だけどんと置かれていて、今回の目玉となっていたわけだが、最初に見たときははあまりぴんとこなかった。その後、他の所を見てまた戻ってきたり、遠くから見たり、部屋の後ろの方に置いてあるベンチに座りながらぼーっと見てたりしたら、段々気に入ってきた。これは壁画なので、部屋の後ろくらいの距離から何となく眺める、くらいの感じで見るとよいような気がした。
《黒と白の連続》(だったと思うが)は、横長のキャンパスを4つにわけて、黒い絵の具を散らしているのだけど、セリフも具体的な絵も何もない、効果だけの4コママンガのようなものとして見れるんじゃなかろうかと思ったりした。
《カット・アウト》は、人のような形に切り取る前のものが見たかったなあと思ってしまった。なんか結構よさそうなんじゃないかと思ったんだが。なんで切り取ってしまったのかはよく分からないなあと思った。


見本としておいてあったパンフレットの中で、どこかの美術館の人の文章が載っていた。すなわち、批評家たちは「美的」に見たが、画家たちは「物質的」に見た。つまり、前者はキュビスムシュルレアリスムの流れの中にポロックを位置づけようとするか、あるいはセンチメンタルな批評を書いたりし、後者は絵の具が重力によって流れ落ちることに着目した画家として捉え、自分たちの表現の中でもポロックを非−美的なものとして批評した作品を作った(ホフマンか誰かの布を垂れ下げた作品とか)、とそんなことが書いてあった。書いた人は、後者寄りであるらしい。
個人的には、しかし、ポロックは結構「美的」に見えてしまうのではないかと思った。


わりとどうでもいい英語のお勉強
時々、ポロックや関係者の言葉が日本語と英語で壁に書かれているのだけど。デ・クーニングの「ポロックが口火を切った」という言葉を見て、「口火を切る」というのが英語だと"break the ice"だと知った。

Chapter4 1951〜1956年 後期・晩期 苦悩の中で

ブラック・ポーリングという技法を使っている晩年のポロック
形象が復活し、一般的には退行したとされた時期。ただし、美術館の解説では新しい表現を模索していた時期として肯定的に書かれていた。
とはいえ、個人的には全体的に惹かれるものがなかった。

常設展

国立近代美術館の常設展も見てきた、ただし駆け足で。
日本の明治以降から現代までの作品。時々、海外の作品もあり。これ、ポロックの技法のパクリだよなあというようなのものあったり。
明治期とかはあまり興味がなくて完全に流してたのだけど、大正期あたりから面白くなってきた。戦争画とかもあったし。女性と潜水艦の図解みたいなのが並んで描かれているの(古賀春江の《海》)面白かっこよかったなー。あと、佐伯祐三の《ガス灯と広告》とか

事前に

『ART TRACE PRESS 01』 - logical cypher scapeを読んでいたのだが、例えばルービンのポロックの神話を解体する旨の論文は結構意識してみていた。
ネイティブアメリカンからの影響について、展示では当然のように書かれていたが、ルービンは疑問視していた。
また、ポロックにも、よい作品もあれば悪い作品もあるという指摘。
ルービンのいう作品のよしあしがどういうものを指しているのかまでは分からないが、個人的な好みにヒットするものとしないものは確かにあった。人によっては、どの絵も絵の具をむちゃくちゃにまき散らしただけのようなものにしか見えないだろうが、何か秩序のようなものが見えるものと、(少なくとも自分には)見いだせないものがあった。
この秩序について、松浦・林対談や沢山論文は語っているのだが、いまいちそこで言われていたことを実際の作品の中にうまく見いだすことはできなかった。
で、これだけの作品数が一同に集まるのはすごいことらしいので、以下はないものねだりでしかないのだけれど、《ラヴェンダー・ミスト》は是非見たいと思っていたので、なくて残念だった。
あと、この雑誌に図版が載っていたものとして、《蜘蛛の巣を逃れて》や《ブルー・ポールズ》も見たかったなあ。