パオロ・バチガルピ『第六ポンプ』

バチガルピ作品の特長は描かれる世界や物語の空気感。一つには、舞台となっている世界の風土的な意味での空気、もう一つには、物語の展開から醸し出される雰囲気という意味での空気。
後者についていうと、以前上田早友里が『ねじきまき少女』をノワールと称していたけれど、それ。バチガルピというと、環境問題とかグローバリゼーションとか言われるし、確かにそうしたモチーフがよく使われているわけだが、そのような、ある種の絶望的な状況に置かれた登場人物たちがどのように振る舞うかという点に、彼の作品の特徴が現れているような気がする。
どれも面白かったけれど、「イエローカードマン」、「第六ポンプ」、「やわらかく」、「フルーテッド・ガールズ」が好き。

以下、あらすじと感想。
ネタバレへの配慮は特になし。

ポケットの中の法

サイバーパンク的な雰囲気のあるデビュー作。
舞台は中国成都。植物のように育つ高層建築を見上げながら、下界で暮らすストリートチルドレンの少年が、ひょんなきっかけで、あるデータキューブを拾ってしまう。
そこには、データ化されたダライ・ラマが入っていて、という話。

フルーテッド・ガールズ

世界の一部で封建制度が復活した未来。主人公のリディアという少女は、女性領主のベラリによって姉妹ともども身体を楽器に改造されている。
リディアは、たびたび屋敷の中で隠れては、他の使用人達が総出で探す羽目になる程度には、リベラへの反発をしているが、かといって決定的に彼女に逆らうというようなことはない。同じくリベラの使用人である少年と親しくしているのだが、この少年は、この世界にまだ民主主義の残る町があることを知っていて、いつか逃げ出そうと考えている*1
一方、リベラの方も、実際にはそれほど自由というわけではない。彼女は女優であり、他の領主から意に反する契約を迫られているのである。この世界は、上流階級の方は自由主義・資本主義経済的なもので動いているようで、中世のような世界というよりは、現代のセレブ的な人たちが領地と領民も持っているという感じ。
リベラは、リディアとその妹――何年もかけて身体改造と練習を積み重ねてきたフルーテッド・ガールズをスターとして売り出すことによって、契約を迫ってくる例の領主からの独立を計ろうとしているのである。
物語は、フルーテッド・ガールズのお披露目パーティを中心に進行する。
この話の一番の見せ場はやはり、彼女たちの演奏シーンであろう。少女2人が裸で抱き合いながら、互いの身体に唇と指を這わすことで、演奏するという、ポルノまがいのパフォーマンスが行われる。
これは、リベラが意図してそのようなポルノ的なショーとなっているのであるが、音楽とポルノの類似性みたいなものも考えてみたくなる(どちらも感官に訴えかける)。
あるいは、楽器化された少女というところに、初音ミクのこともまた想起してしまった。ミクは、少女化された楽器なわけだが*2
見所は、楽器化された少女達の演奏シーンであるとは思うが、バチガルピ的な展開を見せるのはその後だ。
リディアは、自由を得るために(つまり自殺用にと)少年から薬を受け取っていた。その後、少年はリベラを殺すことを試みたのだが失敗して、逆に殺されてしまう。そのことを知ったリディアは、薬を使うことを決意して、リベラのフルーテッド・ガールズを使った独立のもくろみを妨げようとするのである。
そして、最後の最後でリディアはむしろ、自殺ではなくリベラを殺害することにするのである。彼女は、死の甘美さに酔いしれる。
弱い立場の者の反撃という話なのだが、バチガルピのバチガルピ的なところは、そういう者のことも無垢な存在として描かないことで、この甘美さに酔うというのを描くことで少女の欲動というものを加えているのだと思う。

砂と灰の人々

あまりに人体改造しすぎた結果、ほとんど死の星同然となってしまった世界でも逞しく生き続けている人類。彼らは、砂を食べて生きることができ、気軽に腕や脚を取り外すこともできる。
「セスコ社の戦術防衛対応要員」として働く3人は、ある日、生きている犬を拾う。彼らは、その犬を飼い育てることになる(動物学者ですら、遺伝子のサンプルさえ採取すれば生きている動物自体はいらない、というような世界で)。
で、最後に結局、その犬を食っちゃう、あまつさえその感想大して美味くねえなってオチが最高

パショ

グローバリゼーションの寓話
架空の民族や風習の出てくる、ある意味で文化人類学的SF(?)
ジャイ族のラフェルは、ケリ族のもとで学びパショとなって、生まれ故郷の村へと戻ってくる。
ラフェルの祖父は、かつてケリを虐殺して名を馳せたような人物で、ケリのもとで学んできたラフェルのことを、もはやジャイの人間だとは見なしてくれない。ラフェルは、自分はジャイのままであり、知識というものもジャイの役に立つものなのだということを説得しようとするが、祖父は、そうした知識を受け入れるのは、ジャイをケリ化させてしまうものだとして受け入れようとしない。
最終的にラフェルは祖父を殺す(ジャイの血のなせる技なのか、それともジャイのケリ化を進行させる出来事となるのか)。
パショとかハチとかいった単語、あるいはジャイ独特の風習の描写などが、特に何の説明もなく使われており、それが雰囲気をうまく醸し出している。

カロリーマン

『ねじまき少女』と同じ世界のアメリカを舞台にしている。
ミシシッピ川の上流にいる遺伝子リッパーを下流へと連れて行くために、川をボートで遡る主人公。彼はもともとインド出身で、疫病から逃れてアメリカへ渡ってきており、今は古美術商(上流に残る拡張時代の古い看板を下流へと運ぶ仕事)をしている。
ゼンマイ、アグリジェン社、IP(知的所有権)警察、チェシャ猫、メゴドント、足踏み式コンピュータといった、「ねじまき世界」を彩るガジェットが色々と出てきて楽しい。
遺伝子リッパーの男は、アグリジェン社などのカロリー企業の独占を突き崩すような秘策を持っていた。カロリー企業の穀物は、その知的所有権を保護するために不稔性を持っている。彼らの穀物に対して「不純な花粉」をまくことで、豊かな繁殖力をもった種へと変えてしまうという策だ。
その男は死に、彼のコンピュータもIP警察に押収されるが、彼の連れていた少女が彼の持っていた食料こそが「アップルシードの種」であることが告げられる。
「私はジョニー・アップルシードになって、世界に種を播くのさ」

タマリスク・ハンター

カリフォルニアの上流を舞台にした話。
水資源が枯渇しはじめた時代、川に流れる水の権利をカリフォルニア州に取られてしまったがために、上流地域の人びとは故郷を去ったり、州兵になったりを余儀なくされていた。主人公は、地下深くに根を張って水を吸うタマリスクという植物を刈ることで、水の権利を獲る仕事をすることで、その土地での生活をかろうじて続けていた。
彼は一度抜いたタマリスクを再び植えるという反則を行うことで、生活を続けてきた。
そこに州兵となったかつての友人が現れる。逮捕しにきたかと思ったのもつかの間、彼が告げたのはもっと深刻な宣告だった。水の蒸発を防ぐために川を屋根で覆ってしまうストローの工事が進んだために、タマリスクを切ることで水の権利を獲る制度自体が終わりになるというのだ。土地の買い取り価格も安い。
反則という悪知恵を働かせて、上手くやったと思っていたら、むしろ全然ダメな方法だった(とっととその土地を離れていたほうがよかったかもしれない)という
SF的なガジェットや大ネタはないが、現実におこりうるかもしれない近未来を予測するような作品。

ポップ隊

不老不死技術を手に入れた人類だったが、不老術の恩恵を捨ててまで子どもを産もうとする女が後を絶たない。主人公が属するポップ隊は、そのような女達を逮捕して、子どもを「ポップ」する仕事をしている。
広がるジャングルの上に築かれた高層建築で暮らす人びと。
不老技術を手に入れたことで有り余る時間を手に入れた彼らは、例えば主人公の妻は、10年以上ものあいだ1つの曲を練習し続けて、人間ではとうてい演奏することの出来ないような曲をも演奏し、何世紀にも跨がって技術争いを行っている。
主人公は、ある時から子どもを撃ち殺した罪悪感を覚えはじめ、益々偏執的に仕事に打ち込み始める。
ポップ隊の捜査の手を逃れていた女の隠れ家を、1人で突き止める主人公だったが、一度だけ彼女を見逃すことにするのだった。
おもちゃがコレクションの対象になっていたりするのも面白い。

イエローカードマン

「カロリーマン」に続き、「ねじまき世界」の話。こちらは、舞台もタイに移っており、糞の王やねじまき少女も登場する。主人公はタイトルにあるとおり、イエローカード難民の老人。というわけで、非常に『ねじまき少女』に近くなっており『ねじまき少女』を読んだ人なら、是非読んでおきたい作品。
かつて、マラッカでは大企業の経営者であったが、今はイエローカード難民となって食うや食わずの生活になってしまった主人公。再就職のチャンスのある大事な日に寝坊してしまう。それでも一張羅のスーツを着込んで面接会場へと向かうが、そこには既に長蛇の列が出来ている。
これでもかこれでもかと主人公へと襲いかかってくる苦難や屈辱。
バンコクの裏路地のじめっとしてぎとついた空気や、主人公の焦燥感、過去を思い出しながらもそこから決別せねばと考える逡巡。そういった諸々がぎゅっと張り詰めていて、作品全体を形作っている。

やわらかく

土曜の朝、主人公は妻と一緒に風呂に入っている。しかし、その妻は死んでいる。
いわゆるSF作品ではない。
非常に些細なことで妻を殺してしまった男の心理の移り変わりが細かく書かれた掌編。
環境問題もグローバリゼーションも全く出てきておらず、一見すると、他のバチガルピ作品とはずいぶんと趣が違うようにも見えるが、しかしこれもまた紛れもなくバチガルピ的だと思う。
妻を殺してしまった、いずれ逮捕され刑務所に送られてしまうだろう、というある意味で切羽詰まった状況下で。不意に(というか隣人に殺人の告白を華麗にスルーされたあたりから)世界の見方、世界との関わり方が変わっていく。
殺人という出来事が中心に据えられているわけだけれど、決してミステリやサスペンスという趣ではなくて、世界の見方の変化というものが描かれるあたり、やはり紛れもなくSFといえるのかもしれない。あるいは、「文学」。

第六ポンプ

人類の知能が全体的に低下していっている時代。
下水道処理システムで働く主人公は、訳も分からず上に報告するだの解雇するだのわめく上司と、ほとんどシステムのことを理解できずに遊んでいる同僚、あるいはガス漏れを直すためにライターに火をつけようとしてしまう妻などに頭を悩ませながら生活している。
ニューヨークの街並みもずいぶんと荒廃しているが、それでも人びとは普通に生活したり遊んだりしている。
ある日、下水道の第六ポンプが故障してしまう。原因を探るために、長い間誰も足を踏み入れていないポンプ本体がある場所へと降りてみると、そこには大量のエラーメッセージが。
かつての人類は一世紀以上も機能し続けるような機械を作っていたのだが、それでも25年以上エラーメッセージを放置されてきて、いよいよガタがきていたのだ。
しかし、メーカーはとっくに倒産しており、マニュアルを読める人間もいない。主人公はなんとか大学の図書館へと向かうのだが、大学はもはや機能しなくなっており、そこでかつて研究者だったという老女に出会う。
街には動物と化してしまったトログと呼ばれるかつての人間もいるのだが、老女の話によれば、人類全体がトログ化しつつあるのだという。
下水道のみならず、次々と機能を停めていくことが予想される。主人公は、読めない本を図書館から借りてきてページをめくるのだった。


第六ポンプ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

第六ポンプ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

*1:リディアの方は、そもそも民主主義といったものの考え方自体を知らないらしく、その少年の考えを夢物語のようなものと捉えている

*2:一応言い添えておくと、この作品は2003年に書かれている