『ボカロクリティークvol.01』 - logical cypher scape2の第二号
発起人の島袋八起さんからご恵投いただきました。どうもありがとうございます。
今回は、GUMIさんのおっぱいが表紙です
今回もやっぱり作品論がねえっていうのが、物足りないポイントでした。
最近ブログに割いてる時間が長いので、今回はちょっとさらっといきたい
- 雑賀壱「ダークメルヒェンとVOCALOID」
熱さはあるのだけれど、論としてはすごく物足りない
「不気味」という概念出すなら、批評家としてはフロイトに言及しないのはちょっとなんじゃないのとか思ったりなんだり。
それはなかったとしても、VOCALOIDって括りは大雑把にすぎるのではないかと思ったりした。VOCALOIDの持ってる不気味さという大きな話と、ダークメルヒェンを扱った個々の作品の話があまり繋がってないというか。
むしろ気になったのは、鏡音作品が多いということで、鏡音にまで絞って論じる、とかした方が面白くなったのではないかと思う。その場合、『人柱アリス』は省く方向で。
ボカロ論って広すぎるから、鏡音論とかそういう方がいい。というか、鏡音の声質って論ずるに足るものでしょう、きっと。
- 黒井心「ワンダフル・動画ライフ」
これは、vol.1で読んだHazardLampさんのアルバム論と同じことを思った。
なんでそんな分類から始めるのだ、と。
この本を読むような人はたいていニコ動でボカロ動画を見ているだろうし、そういう人はこれくらいの分類は既に知っているのでは。
実写PVというのは、ボカロ動画の中でマイナーだとここで言われているが、確かにそうだと思うし、それなら、本人も実写PVのPらしいし、実写PVに絞って論じるとかした方が面白くなったのではないかと思う。
ページ数が限られているんだから、無理して全体をカバーしてるっぽいことを書かずに、ぐぐっと絞ってしまった方が、読者によって読み応えのあるものになると思う。
「このジャンルの魅力は底知れないものがある」と書かれているだけでは、そのジャンルの魅力は分からないので、そのジャンルの魅力をずっと書いてほしかった。
作品論がないなあって自分は嘆いているけど、ここでは例えば、同じ曲から2つの動画が出来た例というのを紹介されている。これをどこがどう「近い解釈」で「対極的」なのか説明してくれたら、読みたいものが読めたなあと思えたんじゃないかなと思ってる。
最後にボカロ以外の世界にも目を向けて欲しいと書いてあったけれど、それならボカロ作品とボカロ以外の作品との比較論とかがあったらよかったなあと思った。
そこをもっと深く書いてくれれば、みたいな面白そうな論点が色々あったのに、そのどれもが論じられていなくて残念だった。
- 石原茂和・南将貴「VOCALOIDを喋りの研究ツールにしたい」
これはマニアックすぎるww
こういう世界があるんだーと知れて面白かったけど。
あえて言うなら、導入として、喋りの感性工学的研究ってそもそも何なのって話があるとよかった。
- トモ「「初音ミク」の法律問題」
藤田咲の権利について、本論の考察からは外されているので、本論からずれるんだけど
初音ミクと藤田咲の関係については、哲学的に気になるところだったりする。
ここでは、初音ミクの使用法によっては藤田咲の名誉を毀損する可能性があるって注にあるんだけど、藤田咲と初音ミクってやっぱ「別人」じゃないかと。そこは、人力ボカロとは違うところだよなと思う。
くぎゅロイド作っている人は、くぎゅに歌って欲しいわけだけど、ミク使う人は藤田咲に歌ってほしいわけではないだろ、と。
くぎゅロイドは、くぎゅ本人の声に聞こえたりもするわけだけど、ミクと藤田咲は別の人の声なわけで。でも、なんで別の人の声なんて言えるのか、とw
ここで「別人」だということが哲学的に正当化できるのであれば、初音ミクそのものの権利というものを考える道も開くんじゃないかとも思うので、法の問題にもやっぱり繋がるはずw
追記20120220
SFっぽいっていうブクマコメもらったので補足しておくとSFですw
新城カズマの「架空人」って概念を念頭に置いてた。
法人のアナロジーでキャラクターの権利も捉えられるかという思考実験?
まあでも、やはり現実的な法の問題にはなかなかならないとは思うw
ミクと藤田咲は「別人」問題については、釘宮と伊織だって「別人」じゃないかという問い返しはあるなあと思った。しかし、前者の「別人」と後者の「別人」は何かが違うと思う。
ただ、この中間に、雪歩の声とは一体という問題を挟むと*1、違うのか違わないのか分からなくなる
- myrmecoleon「誰がボーカロイドを歌わせるのか」
さすがありらいおんさんだなー。
ボカロPが何人いるのか数えるという作業によって、ボカロPってそもそも何なのかって考えさせられる。
今まで何気なく使ってたけど、この言葉。
今回のボカクリは、
感性工学から見たボカロ、ゲーム業界から見たボカロ、法律から見たボカロ、同人即売会から見たボカロ、とボカロ現象の広がりというのを感じさせる構成になっていて、知らないことも多いし、興味深い内容であったなあと思っている。
でもやっぱり、ボカロ批評としては、ボカロ現象論ではなくて、ボカロを使った個々の作品についての論を読みたいというのは、vol.1の時から感じている。
いやだってやっぱり、ボカロ現象が色んなところに広まってるからボカロが好き、なんじゃくて、ボカロの個々の作品の中に好きな作品があって好き、だからなんだけども。
一方で、編集長の中村屋さんがイントロダクションで書いている「パズル」というのも確かにわからなくもないのであって、色々と幅広くパズルのピースを集めてくるのは決して悪いことではないと思う。それをすることで開かれていく、というのがあるわけだから。