高階秀爾『20世紀美術』

高階秀爾『世紀末芸術』 - logical cypher scapeの続き。

序章 現代美術の課題

ピカソの言葉「人はみな絵画を理解しようとする。ではなぜ人は小鳥の歌を理解しようとはしないのだろうか。(...)人はなぜ理解しようとはせず、ただひたすらそれらを愛するのだろうか」を受けて、筆者はこう述べる。

ピカソのこの有名な言葉からただちに「だから絵画は理解しなくてもよい」という結論を導き出すのは、いささか性急といわなければならないだろう。まして、だから絵画はただボンヤリと眺めていればよいということにはけっしてなるまい。むしろ逆に「愛する」ということくらい積極的な努力を必要とするものはほかにないのではないだろうか。おそらく、人は愛することすらもやはり学ぶものなのである。


印象派が、感覚主義・写実主義の限界に行き着いたことから、現代美術は始まる。
ルノワールは、ラファエルロの聖母子像を見て「何と見事な絵具の塊だろう」と言った。現代美術は絵画を「見事な絵の具の塊」と見るところから始まる。しかし、ルノワールにおいてそれが「聖母子像」であることは、「見事な絵の具の塊」であることを両立した。あるいは互いに互いを必要としていた。
しかし、カンディンスキーにとってはそうではなかった。「描かれたもの」(主題)は、彼にとって「見事な絵の具の塊」であることと関係ないばかりか、妨げるものですらあった。ここに、「描かれたもの」と「見事な絵の具の塊」であることが「分離」する。


以下、論じられる20世紀美術の歴史は、そのような「分離」の歴史といえる。

第1章 オブジェとイマージュ

ここでオブジェというのは、三次元の物、実物のことを指し、イマージュとは、二次元の平面に置かれた色と形のことを指す。
絵画というのは、オブジェをイマージュへと移したものである。それは実物の「写し」かもしれない。つまり、オブジェとしての性質を失ったものかもしれないが、代わりにイマージュとしての性質を持っている。「イマージュの世界は、われわれにとって無限の感覚的喜びの源泉である」。
絵画や彫刻と言った造形芸術は、イマージュから換気されるイマジネーションによっている。ところが、絵画と彫刻では事情が異なる。彫刻はやはりオブジェの世界に属するものであり、よって「写実」はありえないからだ(芸術としてつまらないものにしかならない)。写実主義の時代には彫刻は衰えている。
絵画はイマージュでありオブジェではないからこそ、オブジェの「写実」かできた。しかし、印象派にいたり、様々な要素が「写実」されるようになり、オブジェの要素が次々とイマージュの世界に入ってきたのが限界を迎える。イマージュはイマージュでしかない(ドニによる絵画の定義を参照)。
ピカソとブラックのキュビスム。彼らは、オブジェを追求しようとしたが、結果的にはオブジェを消滅させることになってしまった。セザンヌの「自然を円錐と、円筒と、球体によって」という言葉がよく引用され、実際ここに影響されているが、ピカソやブラックとセザンヌとは異なっている。セザンヌは、対象がどのように見えるかに関心があったが、キュビスムはどのようにあるかに関心があった。対象がどういう形を正確に把握して二次元の平面に描こうとした結果、逆説的に対象は解体していってしまった。
こうしたオブジェの消滅の先には、イマージュだけからなる世界、モンドリアンの「新造形主義」が待っている。しかし、ピカソとブラックは「分析キュビスム」から「綜合キュビスム」への転身を遂げる。彼らは再びオブジェを持ち込もうとする。それも「二次元的オブジェ」を。すなわち「コラージュ」という技法の登場である。新聞紙や楽譜、装飾用紙などオブジェの世界に属するが、二次元なものを張り合わす。これは、シュビッタースの《メルツバウ》へと受け継がれる。
イマージュを否定しオブジェを取り上げる運動として、ダダが挙げられる。イマージュの否定ということについて、モナ・リザに髭を書いたデュシャンの《ジョコンダ・L・H・O・O・Q》と、デ・クーニングのデッサンを消しゴムで消したラウシェンバーグの《消されたデ・クーニング》が挙げられる。
イマージュは、想像されることによって背後にオブジェの世界か喚起される。この背後の世界をサルトルは「アナロゴン」と呼んだが、そのためにはイマージュがオブジェであることを忘れなければいけなし。ところが、デュシャンによって描かれた髭は、イマージュがイマージュ以前にただのオブジェでしかないことを見せつける。一方、ラウシェンバーグは手法としては近いが、目的は異なる。デュシャンがイマージュを否定することに力点を置いたのに対して、ラウシェンバーグはオブジェを肯定することに力点を置いていた。
このような状況は、絵画と彫刻の歩み寄りをもたらした。
イマージュのオブジェへの転化の典型例として、ラウシェンバーグジャスパー・ジョーンズが挙げられている。ジョーンズは「虚構のオマージュ」を作り上げる。「綜合的キュビスム」とは反対の方向から、イマージュとオブジェのつながりを作ろうとする。
最後に、イタリアの空間派運動に属するフォンタナの試み*1が紹介される。イブ・クラインのモノクロミスム(単色主義)という試み*2は絵画の非物質化へと向かった。フォンタナの試みは、それを再び物質化することにあった。二次元の画面にとどまりながら三次元空間を規定しようとする。

第2章 構成と表現

抽象絵画というのは、一つの流派や運動を指すものではない。あらゆる可能性を試みたと言われるカンディンスキーも、モンドリアンのような試みはついにしなかった。
モンドリアンが「キュビスムの分派」だとするならば、カンディンスキーは「フォーヴィスムの分派」である。
ここでは、ユトリロによるパリの絵とモンドリアンによるニューヨークの絵が比較され、キュビスム以後と以前が論じられる。ユトリロはパリの風景の一部を切り取って描いているが、モンドリアンはニューヨークという街そのものを観念として捉えて描いている。
モンドリアンが空間の「純粋性」を求めたとするならば、カンディンスキーは色の「純粋性」を求めた。「純粋性」を求める動きは、「音楽性」を求める動きともなった。例えば詩の世界では、意味のない語句を用いて音の美しさだけを求める純粋詩の試みが見られた。彫刻では、ブランクーシが純粋彫刻を作った。
芸術というのはもともと「重層性」があった。例えばシェークスピアであれば、筋立てや韻律、あるいは人生に対する洞察の深さなどの様々な魅力が結びついて出来ている。「純粋性」を求めるということは、そのような「重層性」を破壊するということである。印象派から主題が重要性を失っていくということが注目される。印象派の名前の由来は《印象・日の出》であるが、この作品は元々《日の出》だったのだが、ルノワールの弟がカタログを作る際に、あまりにも短いので変えてくれと言ってこのようなタイトルになったらしい。従来の絵画であれば《ル・アーヴル港の日の出》などと名づけられたかもしれないが、それはモネの意図するものでなかった。印象派は、主題ではなく「モティーフ」という言葉を使うようになる。また、色彩分割という手法は、色の「純粋性」への志向が見られる。
ドラクロワにおいて「色」にも「重層性」が見られた。つまり、色に様々な意味があった。ゴッホではそれが破壊されて純粋な色の強調になっている。
モローはその弟子であるマティスに対して「君は絵画を単純化するだろう」と予言したらしい。実際、マティスは色彩が形態から分離して独立するようになり、その流れはレジェによってさらに推し進められる。
ドラクロワも色彩の重要性は既に理解していたが、例えば赤を使いたいと思ったら、そのための主題とモティーフが(火災や殺戮の情景)必要だった。ゴッホやゴーガンであれば、多少とも赤みがかったモティーフがあればよかった。フォーヴィズムに至って、どのような形態であっても赤で塗ってもよくなったのである。
イギリスの批評家リードは、現代絵画に二つの流れがあることを指摘する。筆者はそれを受けて、一方を「構成と造形の芸術」、他方を「表現と幻想の芸術」と呼ぶ。前者はセザンヌから始まり、モンドリアンや新造形主義、ロシア構成主義などが挙げられる。また、一見モンドリアンとは全く違うように見えるマティスやレジェといった画家達も、造形的関心によって(それは意味への無関心と裏腹の)絵を描いていた点でやはりこの同じ潮流に属する。
後者は、ルドンやギュスタブ・モロー、そしてシュルレアリスムなどである。自己の内面を描こうとした潮流であり、ゴッホやルオー、あるいはムンクなど、内省的で自画像を多く描いた画家達がまず挙げられる。そしては特に「エコール・ド・パリ」の画家達が注目される。シャガール、クレー、モディアリニなど、多くがフランス以外の国からパリに集まり、ユダヤ系の血を引いていた画家達。彼らは「エコール・ド・パリ」と呼ばれているが、決して一つの流派となっていたわけではない。

第3章 新しい伝統

戦前の美術は「造形」を関心事としていて、あくまでも「絵画」を前提としていた。一方、戦後美術はその前提への疑いから始まる。戦前において、その前提を疑っていたのはダダのみであった。そしてそれゆえに、ダダは造形の面では何も生みだすことがなかった。しかし、それゆえに戦後の美術はネオ・ダダをはじめ、ダダを精神的始祖とする。
本書では(元々は1965年に書かれている)、戦後美術を戦争直後から1952年までを第一期、1952年から1959年までを第二期、1959年以降を第三期としている。
第一期は抽象派と具象派の論争の時代だが、筆者はどちらも「分極化」という一つの流れにあるとする。
そして第二期以降、分極化に対する「綜合」が始まる。それが「アンフォルメル」と「アクション・ペインティング」である。この二つの名称はともに1952年に生まれる。彼らは「絵画」という前提を否定する。作家の前に作品があるという形がなくなり、ポロックの言葉にあるとおり、作家が作品の中に入るようになる。
ところで、筆者は創造性はある制約の中でこそ強く発揮されると論じる。印象派は、絵は自然に向けられた窓であると考えたが、自然そのものが強い制約として働いた。ところが、そのような自然という制約、あるいは作家の前に自律的に存在している絵画作品という制約がなくなった、戦後美術の画家達は、自己自身による制約を課すようになる。例えば、ポロックだけでなくロスコやスーラージュなどが、大きなキャンバスを使うのもそのような制約の一種だろう。
そこでは、ブラックやマティスのような「造形的法則」による理知的な世界から、混乱と狂乱の世界に変化している。
筆者は、分析的・理知的なものから、人間全体という綜合を求めるような傾向になったことに注目している。
アンフォルメル」や「アクション・ペインティング」は「動き」を生け捕りにしようとした試みである。
コルダーの「モービル」とティンゲリの「動く彫刻」が比較される。これはともに「動き」を取り入れている点で似ているが、しかし「モービル」は実は動かなくてもよい。「動き」は作品を構成する要素の1つなので、動かなくても完成形として成り立っている。一方、「動く彫刻」は「動き」そのものが重要となっている。そのため、最終的には「機械」である必要もない。ティンゲリの探求は、ニューヨーク近代美術館の庭でスクラップを積み上げて爆発させ花火を打ち上げた《ニューヨーク讃歌》につながっていく。
アンフォルメルやアクション・ペインティングは、単に不定形だったり行為だったりするわけではなく、不定形や行為をオブジェ化する。そして生まれた作品が、「オブジェ化された行為」の「イマージュ」となっている点で、絵画芸術たりえていてる。伝統と繋がっているのである。
最後に、ポロックから民族性と国際性について論じられている。
ポロックピカソと共に「西部のインディアン」からの影響を口にしている。筆者は、ピカソがいなければポロックの美術は生まれなかったが、インディアン美術とポロックが出会わなかったとしても、ポロックはあの絵を描いただろうという。その上で、なおポロックがインディアンについて触れたことに注目する。ポロックは自身が「アメリカ絵画」であることを意識敵には否定していたが、インディアンに対して同じ風土の中に生きる者同士の連帯感を持っていて、それが彼を「アメリカ絵画」にしたのではないかと論じている。

第4章 今日の諸潮流

これは1993年の文庫化にあたって付け加えられた章である。
50年代が抽象表現主義の時代ならば、60年代はそれへの反発の時代である。一方は、「抽象」への反発としての「ポップアート」「新しい写実主義」であり、他方は「表現主義」への反発としての「オップ・アート」「ハード・エッジ派」「ミニマル・アート」である。70年代はそれぞれはさらに先鋭化されて、前者は「スーパーリアリズム」、後者は「コンセプチュアル・アート
」となった。
「ポップ・アート」「新しい写実主義」を筆者は、現実復帰の流れという。彼らは、日常的なオブジェを材料として、それらのオブジェ性を際立たせるということで作品とした。
もう一方の流れは、モンドリアンの新造形主義の流れを受け継ぐ「冷たい抽象」で、偶然性を許さない明晰な秩序のもとの表現を目指した。動いて見える錯視を利用した「オップ・アート」。これは、「動く芸術」の流れと、ミニマル・アートの流れという2つの流れとも結びついている。「動く芸術」は、コールダーの「モビール」、アガムによる、画面に凸部を並べることで見る位置に画面が変わる絵画、ティンゲリの「動く彫刻」、シェフェールの「ライト・アート」がある。ミニマル・アートには、フランク・ステラ、ソル・ルィット、ドナルド・ジャッド、ダン・フレイヴィン、リチャード・セラなどがいる。
20世紀の美術はイズムの時代と呼ばれる。かつては、様式とは移り変わっていくものであった。しかし、ロマン主義以降、イズムや様式は移り変わるのではなく、どんどん増えていくようになった。ロマン主義新古典主義が生まれても消えることはなかった。
筆者は、「分化」と「拡散」の傾向を指摘する。
写実主義復権によるスーパーリアリズム、写実とは無縁なニューペインティング、あるいはヴィデオ、コンピュータ・アート。インスタレーションにランド・アート、コンセプチュアル・アートに至っては、作品の輪郭さえ曖昧となっている。
最後に筆者は、造形以外の表現に賭けた作品としてボルタンスキーの記憶の「モニュメント」作品を挙げる。記憶はオブジェでもイマージュでもないが、オブジェやイマージュなくしては存続されない。ボルタンスキーの作品は造形性ではなく喚起力によって衝撃を与えると論じている。

終章 芸術の意味

太古の、祭司・呪術的な舞踊から始まる芸術の流れを紐解きながら、芸術が「分化」「分離」していったことを論じる。


20世紀美術 (ちくま学芸文庫)

20世紀美術 (ちくま学芸文庫)

*1:単色の画面に切り込みをいれたもの

*2:展示会場のあらゆるものを青くする「青のモノクロミスム」。そして、最後の個展ではついに何も飾らないという極致に達する