鹿島田真希『ゼロの王国』

気付けば出版されたから2年も経っていたのか。久しぶりといえば久しぶりに読む鹿島田真希だが、一気にぐいぐいと読めて面白かった。
あまりにも無邪気で無垢なゆえに、出会う人全てを愛し、出会う人全てから愛される吉田青年の、愚かしい恋の物語。
聖なる愚者、愚かなる聖者、というのは鹿島田作品には何度も繰り返し登場してくるモチーフ。
吉田青年の無垢でありかつ愚かなところは、人を愛するということについて、博愛主義的な愛しか知らないところ。人びとをみな等しく愛するのであって、誰か特定の人を特別に愛するということがない。そのことによって巻き起こされる悲喜劇。最後の最後で吉田青年も、特別な愛を知る、というか。誰かを好きなことって、周りは気付いてても、自分自身は最後まで気付いてなかったりするよね、的な。そして気付いたときにはもう手遅れ。そういう愚かな物語。


吉田青年に翻弄される人びとが、そして吉田青年自身が、様々な己の思想――結婚観、男性観、女性観、死生観、労働観を延々と語っていくような小説でもあり、地の文は必要最小限しか現れない。ほとんどがセリフか、吉田青年の内言でできている。
そして、現代日本が舞台のはずなのに、彼らの語り口調が全てとても芝居がかったわざとらしい口調となっていて、吉田青年をはじめとした、彼らのちょっとありえないキャラクター造形も、何か自然なものとして受け入れられてしまう。


吉田青年は、大学卒業後フリーターをしている青年である。彼は宛名書きのアルバイトをしており、そこで田中エリという女性から好意を寄せられるも、彼は自らが女性と付き合うことのできるような人間だとは思っておらず、断ってしまう。
その3年後、彼はバイト先で今度は佐藤ユキという女性と出会う。出会った瞬間から意気投合をする二人。吉田青年がかつて働いていた北海道の施設にいたまり子ちゃんという女の子の抱えていた絶望についての話を通して。しかし、ユキは小森谷という医者との結婚を既に決意していた。
エリとの再会。エリは以前とは打って変わって派手な女性へと変わっていたが、彼女への尊敬の念を示すため、吉田青年は彼女と結婚する。
吉田青年、エリ、ユキ、小森谷氏、小森谷氏の弟の瞬、エリに振られた(が後に結婚することとなる)藤原、そしてエリと吉田青年が結成したサークルの人びとが主な登場人物。


あらすじを書きたいが面倒になってきたので省略。そして、あらすじの面白さは必ずしもこの小説の面白さではないような気がしてきた。決して、すじが面白くない、というわけではない。人間関係がややこしいことになっているので、これどうなんの的な感じで(?)
吉田青年に翻弄される人びとと、実際には一番翻弄されている吉田青年と、そういう話(いいのか、そんなまとめで)
吉田青年が最後には無垢でいられなくなって愛により傷つくことを知る。

追記(20111227)

ユキと瞬は、どちらも自分が特別な存在になろうとしつつ、なれないということに苦しみを感じている。二人とも自殺を、運命にあらがう手段と考えている。
が、ユキの場合は、自分が死んだも同然の状態であるという絶望に酔いしれることにマゾヒスティックな喜びを感じ、結婚生活(主婦になること)によりそれをなそうとしている。
瞬は、病気がちであり、医者である兄は否定しているが、余命いくばくもないと感じており、そのまえに自殺することでその運命にあらがおうとしているが、実際には試みていない。
吉田青年は、やはり生まれつきの持病があり、フリーターなので貧しいのだが、自分はとても幸福だと思っている。彼は自分が何も特別なところがないと思っていて、それで満足しているがゆえに、周囲からは特別な人間に見えている。
特別になりたいと思うがゆえに平凡な人びとと、特別ではないと思っているがゆえに特別な吉田青年、なのかなと。
伊藤亜沙が『ReviewHouse02』で『ゼロの王国』について論じていて、そこでは吉田青年の語り方から(普通の人間なら相手の意図を読んでコミュニケートするところを、リテラルにコミュニケートしてしまう/地の文での語り手の存在が希薄なので、結果的に吉田青年による語りが各キャラクターを定めてしまっている*1)、彼が周囲の状況のコントローラーでありつつ同時にキャラクターでもあると論じられている。

ゼロの王国

ゼロの王国

*1:後半になるにつれて相互的なところがあるような気がするが