読んだ本の感想とか書いていくよー(4)

第13回文学フリマで買った本の感想と言うかメモ

『floating view 郊外から生まれるアート』

floating view展という、今年の2月から3月にかけて行われていたアート展についての評論集。
藤田直哉、渡邉大輔両氏も、作家としてこの企画に参加しており、行きたいと思っていたのだがいきそびれいてた。
ni_kaのAR詩の噂は聞いていたが、それ以外の作品、あるいは会場の作りそのものも面白そうで、行きそびれたことを後悔した。
郊外論、というものにはそれほど興味は惹かれないのだが、超平面的あるいは過視的といった概念の延長として、(渡邉の映像圏とあわせて)froating viewというアートを位置づけるというのは興味を惹かれた。郊外とARの話。実空間と情報空間が重ねあわせられるものとしての郊外とARを同一視するという考え。

『未来回路4.0』

表紙の写真がfroating view
匍匐前進の話と渋家の話をしている座談会を読んだ

魔法少女のつくりかた』

魔法少女、それから――ミュー・シャ・ノワール インタビュー」
志倉千代丸プロデュースのメイド喫茶でバイトしててそのままアイドルもやってたけど、既にアイドルは引退したミューのインタビュー
木下幸太郎「日常の中の「魔法」を捉えるために――Web動画とアイドルについての諸考察」
大澤真幸の「不可能性」をキーワードに、現代のアイドルがどのように「アイドル性」を備給しているのかを、web動画から論ずる
AKB48、ニコ動における踊ってみたやニコ生主、東京女子流、Bisをそれぞれ取り上げている。
僕は東京女子流はPVを見てるだけで、ustはほとんど見たことないのだけれど、ustではステージと舞台裏がシームレスに流されていて、「アイドル」と「普通の女の子」もシームレスに繋がっていると論じられていたところが面白かった。
この論では、「アイドル」≒「ファン」というところから 不可能性の時代のアイドルを考える。アイドルとファンは非常に近しいところにおり、ファンはそこに積極的に関わっていくことで、微妙な差異を見出し、その差異にアイドル性が宿るというような話。
てらまっと「多層化する世界――魔法少女とマルチレイヤー・リアリズム」
まどマギにおける、いわゆるイヌカレー空間とセルで描かれたキャラクターとのマルチレイヤー表現について。
スーパーフラットとマルチレイヤーとの相違→「スーパーフラットとは、レイヤーとレイヤーとのあいだに広がる隙間を埋め、視線のスムーズな移動を阻害するズレを消し去り、一枚の平坦なイメージへと圧縮・還元することにほかならない。/だが魔法少女は逆に、スーパーフラットな結合の誘惑に抗して、諸レイヤーの多層性こそを守ろうとする。互いに異なった二つの世界をひとつに融合するのではなく、あくまで別々のものとして、ズレや隔たりをはらんだまま重ねあわせること」
うん、やっぱり、いいな、マルチレイヤー・リアリズム。
「座談会:地図と背景を巡る二つの冒険」
「地図歩き」ということをしている超微糖さんと、いわゆる「聖地巡礼」をしている石材店さんの座談会
青緑ねこめし「彼女についてのぼくが知っている二、三の事柄」
文フリの打ち上げ時に、yaokiさんと評論と詩について話した。評論も一種の詩なのか、あるいは詩も一種の評論なのか。この文章は、評論の形式をした詩のように読める。
まだ僕は、詩と評論の区別について考えを持てていないので何とも言えないが。