読んだ本の感想とか書いていくよー(1)

第13回文学フリマ、お疲れ様でした。
といって、もう一週間経っているので、当日のことについて書くよりも、読んだ本の感想を書いていきたいと思う。
ところで、前回は全く感想が書けておらず、本も結構読み残しがあったので、今回の文フリの前に読んでいた。そのあたりを、twitterにちらっと書いていたのでここに引用しておく

前回の文学フリマで読み残していた本を読む企画

左隣のラスプーチン『S.I.』。中沢忠之さんの柴崎友香論を読んで、文芸誌系の小説を最近読んでないことを思い出して読みたくなったり。柴崎、長島有あたりってちゃんと読んだことがないので、あとで読んでみるかなー #bunfree
posted at 22:43:39

同じく『S.I.』 井手口彰典さんの同人音楽批評論。同人音楽を批評することの難しさとどのようなあり方が可能かの展望を論じたもの。アレンジ曲の多さを、同人音楽の批評の困難さとして特徴付けるとともに、聴取体験の報告による批評の可能性とかを。#bunfree
posted at 22:47:26

前回の文フリで買ったけど読めてなかった本を読む企画。『F8号』金持ちと貧乏特集。金持ち本と貧乏本の2冊組みという企画がまずは面白い。金持ち本の方は4本の論考のうち2本がBL論だった。 #bunfree
posted at 22:49:24

『F8号』の貧乏本の方に載っていた満島ひかり論は、満島ひかりにとどまらず映画のリアリティについて論じようとしていた。そこで、リアリティを「金持ちリアリティ」と「貧乏リアリティ」に分ける。それぞれ、例えば『アバター』と『『パラノーマル・アクティビティ』に対応する #bunfree
posted at 22:51:52

もちろん、この論では「貧乏リアリティ」の方に注目し、満島ひかりという女優が「貧乏リアリティ」を体現する存在だと論じる。#bunfree
posted at 22:54:26

リアリティという言葉の用法が分裂してしまっていて、映画であれば、明らかに方向性が違うのがみんな分かっているのにもかかわらず、同じ言葉(リアリティ)を使ってしまっていることについて、整理を試みるというのには共感しつつ、「金持ちリアリティ」とか他じゃ使えないじゃんw*1 #bunfree
posted at 22:56:17

あと、『F8号』では、特集外で、初音ミク論も載っていた。ミクパライブにおいて、現場で見ていた人とニコ動で見ていた人で受容体験が違ったようだという指摘は面白かった。最後に文学とキャラクターということで、朗読するトークロイドが今後活躍することを願って(?)終わる #bunfree
posted at 23:00:02

『KULTURTRIEB-G』vol.2 もようやく読めた。アニメーション特集。『アニメルカ』とは違う方向からのアニメ批評。というか、なんかうまい言い方ができないんだけど、学習院大の表象文化論専攻の人たちが多く書いていて、表象文化論っぽいみたいな感じはしたかも。#bunfree
posted at 23:03:31

それから特徴として感じたのは、自らの体験と絡ませながら書いている書き手が多いこと。サイボーグ009で第二次大戦の亡霊を扱った回を論じたものでは、学内でその回の上映会をしたときのことを論の中で度々挟みこんでいる。受け手側の多様さ(?)を反映させている? #bunfree
posted at 23:06:04

放浪息子』論は、作中に出てくる演劇シーンに着目するが、筆者もまた演劇をしており、『放浪息子』から演劇論へと向かっていく。#bunfree
posted at 23:08:29

twitterで書き損ねたことについて追記
「アニメーションの批評について」は、序文と思わせておいて、序文にとどまらない分量で、アニメ論ではあまり触れられることの少ないと思われる産業や音についての注意を促す。
未来少年コナン』論は、原作とアニメとの違い、他の宮崎駿作品との共通性などを示している。
放浪息子』論は、「パフォーマンス」という概念を重視。二鳥が文化祭の演劇で異性装をするシーンを取り上げて、社会規範との軋轢を生じさせることなく、異性装という欲望を達成するものとみる。しかし、ただの安全な戯れではなく真面目な
主張となっているものが「パフォーマンス」であると論じられている。最後には、『放浪息子』から離れて、「劇場」という「場」についての批評が必要だという提起がされて終わる。
それから、阪神大震災を描いた『地球が動いた日』と『マシンロボレスキュー』を取り上げて、アニメ作品における正義の描かれ方を論じたものもあった。

アニメルカvol.3』は、「レイヤー合成についてのメモ」とか「キャラクターの不定形な核」とか声優座談会とかを読んだ。キャラクター論が、村上裕一の水子論とか、あるいは自分が以前書いたシュピーゲル論とかと繋がるかなあと思ったり。 #bunfree
posted at 23:11:39

前回買って読めてなかった文フリの本読む企画。最後は、『uruza vol2.0』分析哲学とフィクション論について書いているもので、自分に近いジャンルだけど、自分よりはるかにガチに分析哲学。フィクション論と意味論との関係について考察を続けている。#bunfree
posted at 23:14:46

自分は正直なところ、フィクション論と意味論をつなげるという試みを諦めた、というかそれしなくてもいいんじゃないかなーと思っていたのだけれど、読んで考えを改めた。とはいえ、自分は意味論が苦手というか、食わず嫌いというか、そういうところがあって、正直逃げ出したいw #bunfree
posted at 23:16:59

参考文献は、クワインデイヴィドソン、ダメット、クリプキ。うぅ。しかし、意味論についてのまとめに結構ページが割かれていてわかりやすかったし勉強になった。可能世界フィクション論への批判が今回もガンガンされていてよかったw #bunfree
posted at 23:19:30

urzaさんのフィクション論はとても刺激的だったし勉強になったけれども、一方で、いまなおフィクション性とは何かということには到達できていない(また、それについては自覚的でさらに今後も論考が続くことが予告されて終わっている)。フィクションの問題ははまりだすとよくわからなくなっていく
posted at 23:24:50

本文からちょっと引用

おそらく完全に私的なフィクションというものは不可能である。一方で完全に共同体に約定された規則としてのフィクションというのもありそうにない。われわれはフィクションをある場面ではコンテンツ的に消費し、別の場面ではコミュニケーション消費している、という直感的な事実と、正当化主義説を併せて考えると、われわれがフィクションを前者の意味で消費するときの部分は観察不可能な部分のみであり、後者の意味で消費するときの部分は正当化可能性をもつ部分のみで、互いに排他的かもしれないのである

今回の文フリで買ったものの感想

といっても、まだ全部が読めたわけではなく、途中経過。

『これからの「文学フリマ」の話をしよう』

文フリ事務局による10周年記念文集。
自分もゼロアカに一応道場破りとして参加し、文学フリマで批評の雑誌を出し、買う本もほとんど批評系という立場でこういうのもなんだけど、ゼロアカ系の話に偏ってないかと思った。
あずまんのインタビューと、藤田さん・筑井さん・望月さんの鼎談、そして最後の、望月さんがパンドラに寄稿したエッセイとあったので。
まあそれらはそれらで面白かったのだけれど、文フリに参加しているサークル数で考えると批評は実際には少ないわけで。
個人的には、文フリって結構トルタが目立っているというか、毎回面白いことをしているイメージがあって、そういうサークルを色々と拾えたら面白いだろうなあと思うものの、まあ実際にどうやるか、どう文集にするかというと相当難しいというのも分かる。
市川さんと望月さんの対談とか回顧録とかは、一参加者の立場だとあんまり分からない運営の話とか、遠隔地開催の話とかが読めて、興味深かった。

『genkai vol.1』

こっちはまだ、最後の鼎談しか読んでいないのだけれど。
上のに掲載されている、藤田・筑井・望月鼎談と併せて、文フリ批評クラスタについての藤田さん(ら)の批判という感じで、あわせて読んだ。
批評って何か、同人誌って何か、みたいなことを問い詰められているような感じで、文フリ直後の反動(文フリそのものやその後の打ち上げのお祭り感からの反動)とあいまって、なんだかくるものがあったのだけど、一週間経つと薄れてしまったw
藤田さんの批判は、分かるような気もする反面、分からないところもある。つまり、内輪でのグルーミングと化してしまっているのかどうかという点で。

kluster vol.4』

全編、太田克史インタビュー
太田克司が講談社に入ってから星海社に至るまでの話を追っているインタビューで、改めてこの人すごい人だなあと。
ファウスト講談社BOX星海社、とそれぞれどういう考えやらスタンスやらでやっているのかということが分かる。

*1:他の論文書くときに引用しにくいw ところで僕は、「金持ちリアリティ」の方が興味あったりします