スコット・マクラウド『マンガ学』

原題はUNDERSTANDING COMICS
マンガ論とか読むと間違いなく言及されている一冊で、いつか読みたいと思っていたのが読めた。
これ間違いなくスゴ本。
マンガ論それほど読んでいないので断言できないけれど、これだけ広範にわたって総合的にマンガを論じている本はまずないのではないだろうか。しかもそれがマンガで描かれている。
色々な話が出てくるし、結構長いし、今日既にブログ記事三つ目だしで、細かく内容をまとめることはできないけれど
クラウドのマンガの定義は広くて、むしろ彼はこの本で、世界美術史をマンガ史へと書き換えようと試みてすらいる。いわゆる絵画芸術というのは、歴史的に見ればかなり特殊な形態に過ぎなくて、むしろ有史以前から連綿とマンガというスタイルが現代まで続いているのだと主張している。
三角形のチャートが出てくるのだけれど、上の頂点が抽象性、右の頂点が意味性、左の頂点が具象性をあらわしていて、マンガの絵柄をこの3つの観点から分類して、その三角形の中にプロットするのだけれど、そこに古今東西の美術作品までも入れてくる。とにかく、この三角形最強だな、と読んでいるうちに思うようになる。
様々な表現技法とその分類や効果を論じながら、マンガ表現のシンプルさと可能性の広大さを示そうとしているばかりか、さらには芸術とは何か、芸術を創造するためのステップといったところまで論じていく。


様々な分析の中で1つ、特に面白かったものを。
コマとコマの繋がり方をいくつかに分類している。例えば《瞬間→瞬間》型だとか、《行動→行動》型だとかで6種類。
そして、それぞれの漫画にこの6種類がどれくらいの頻度で出てきているか数えている。
そうすると、ヒーローもののアメコミとタンタンがほとんど同じような割合になっていることがわかった。6種類の中で、ほぼ3つだけでなっていて、特に《主体→主体》型が多い、というように。
アメリカでもヨーロッパでもほとんどのマンガはこのパターンを示しており、それ以外のパターンを示すような作品は、実験的なものであった、と。
ところが、日本のマンガだけは、欧米ではほとんど見られない《局面→局面》型が一定数見られるのだという。
それをマクラウドは、「日本のマンガは何より……《間》の芸術なんだ!」と結論づけているわけだが、このようなストーリーやテーマ、キャラクターなどには一切触れずに、比較的単純な分析だけで日本と欧米のマンガの違いを析出してみせたというのに驚いた。
もっとも、数値的データがほとんどないし、日本のマンガの中でも手塚や大友など一部の作品に限られているので、これが本当に当てはまるのかは分からないのだけれど、マンガ学の試みの1つとしてありうる方法ではないかと思った。
そういえば、映画の方では、コマ数とかショットの回数を数えて分析するという方法があるらしい*1


マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論

マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論

*1:加藤幹郎編著『アニメーションの映画学』 - logical cypher scapeの第5章「ミッキー・マウスの息吹を計ること 計量アニメーションの学の試み」参照