シュルレアリスム展

国立新美術館
何となく新美術館の展覧会ってよく行くな−。代わりに(?)都内の他の美術館はほとんど行ったことない気がする。上野のあたりとか、ブリジストンとか。
国立新美術館の展覧会は、いつも広くて途中で疲れるけれど、今回は途中で映画を座って見れたりしたからそこまで疲れなかったかも。混み具合もほどよかった。


点数が多く、また範囲も広かった。
自分も不勉強なのであれだが、いわゆるシュールレアリスムというと、20年代後半から30年代のフランスあたりで、ミロ、エルンスト、マグリット、デルボー、ダリ、マン・レイってあたりだと思うのだけれど、時代的にも、地理的にも、作家的にも、それより広い範囲で作品が集められている。その分、有名どころは少なめだが。
ダダから始まり、アンフォルメルや抽象表現主義まで含んでいる。
また、作家としては、自分はこの展覧会で初めて名前を知ったが、アンドレ・マッソンとヴィクトル・ブローネルの作品が点数が多かった。
この二人は、20年代から60年代くらいまでの作品が出ていて、時代を経るにつれて、どんどん作風が変わっていくのが見て取れた。
マッソンに関していうと、20年代キュビスムっぽいの描いていたり、60年代に抽象表現主義っぽいの描いてたりして、ちょっと遅くないかとか思いながら見ていたのだが、最初から最後まで(トリを飾るはマッソンだった)いたので、見終わる頃にはなんか愛着(?)がわいたのだったw


最初の方から順を追って
キリコから始まり、デュシャンのレディ・メイドやピカビアなど。レディ・メイドってかなり早い時期にもう作ってたのね。
映画「眠るパリ」と「ヒトデ」上映。正面の壁と右の壁にそれぞれ別の映画が同時に流れていて、それを両方交互に見るという視聴体験がシュールレアリスムっぽいねとか、アホなことを思ったりしたが、まあ単にめんどいだけだったw
マン・レイの絵とかもあった。
それから「甘美な死骸」。シュールレアリスム詩の方法で、4人が一文ずつバラバラに書いていって、最後にあわせたらなんか変な詩ができてたねって奴なのだが、それの絵バージョン。絵でもやっていたのか
これが何というか、全部「ぼくの考えたばけもの」みたいなのになっている。
ブルトンも参加しているのだが、明らかに一人絵が下手だったw 他もみんな鉛筆で書いているから、全体的に落書きっぽいんだが
オートマティスムのコーナーになって、ミロなど。昔はミロ好きだったけど、今はなんか普通だな。
エルンストの百頭女とか、オブジェとか写真作品とか
30年代のマッソン。「夏の愉しみ」というのが、カマキリがたくさん出てくる絵なのだけど、これはマッソンの絵の中で一番よかった。色合いとか構図とかは、フォーヴィズムっぽいのかなという感じだけど、カマキリなど昆虫ってのは面白いなあと思った。昆虫の絵ってそういえばあんまり見ない。
ジャコメッティの抽象彫刻とか
ブローネル「欲望の解剖学」、ちょっと化け物っぽい感じの女が描かれていて、線が引いてあって説明書きがついている。これもちょっと面白かった。フランス語なので意味は分からなかったが、怪獣解剖図の「○○袋」とかを想起した。
そういえば、当時の本や雑誌、展覧会のポスターやフライヤーなども結構な量あったが、日本で開催された展覧会のチラシとかもあって、フォントが昔の特撮映画みたいだった。
さりげなくピカソが1枚
映画「アンダルシアの犬」と「黄金時代」(抜粋)上映。ここもさっきと同じようなスタイルで上映。
ブローネル「狼-テーブル」、テーブルに狐の剥製の頭と尻尾をつけている、ちょちグロテスクな作品。
エルンストのチェスをモチーフにしたブロンズ。
ポロックの、まだアクション・ペインティングにはなってなかった頃っぽい絵とか、コーネルとかも一作ずつあったりした。
デュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」が、白黒写真とそれに関するメモやデッサンとが一緒になって展覧されていたのだけど、作品知らなかったら全くよく分からない展示方法だった。これに限らず、どの作品も説明のキャプションは全くなかった。
最後、マッタ「ロゴスの透過-仮象
チリ出身の画家、80年の作品。全作品のなかで最もサイズのでかい作品で、まあ抽象画っぽい奴なのだが、サイバーパンクっぽさを感じさせるもので、よかった。