積読消化。
芥川賞受賞作「石の来歴」
奥泉というとSFとミステリーが入り交じった小説のイメージが強いけれど、この作品はそうではない。
すごく感覚的な話だけど、純文学っぽい雰囲気でなおかつリーダビリティも高い。
終戦して、レイテ島から戻ってきた主人公は、実家の古本屋を継ぎ、また結婚もして普通の生活を始める一方で、石の採集にのめりこんでいく。
それは、レイテ島で逃げ込んだ洞窟の中にいた兵士たちの1人の上等兵が、死の間際に地学の話をしていたことの影響もあってのことだった。
生まれてきた長男は、父親と趣味を同じくするが、小学生の時に、石を採りに行った先で殺されてしまう。
それを機に、もともと冷め切っていた夫婦仲は決定的に壊れ、妻は実家に戻り、次男は叔母のもとへと預けられる。
主人公は端から家族などいなかったかのように、石に益々のめりこむのだが、一方で悪夢を見るようになる。レイテで、地学の話をしていた上等兵を、病で助からなかったとはいえ、殺したのは自分だったのではないかという悪夢である。
いつしか時は流れ、次男は学生闘争の中で活動家となっていく。
活動が過激化していく中で、ついに一線を踏み越えた次男は、人を殺して逃亡中のさなか、実家へとふと戻ってくる。
次男は、主人公の石に対する入れ込みようを嘲笑する。そして、長男が死んだあの場所に主人公がいたのではないか、と訊ねる。
結局、次男もまた死んでしまう。
主人公は、長男が死んだ採石抗を訪れ、そしてその奥はあのレイテ島の洞穴へと繋がり、上等兵と再び相まみえる。
最後の最後の、舞台が非現実的な時空へと繋がる様は、奥泉のその後の作品のSFっぽい感じとも似ているかも。
第二次大戦、というのも、奥泉がずっと書き続けているもの。
同時収録「三つ目の鯰」
大学生の主人公の父親が亡くなる。墓に父の骨を納める際に、自分もいずれここに来るのだと思って穏やかな気分になる主人公。
生前、父から骨は墓に納めず川にでも撒けばいいと言われたことを叔父に話すと、思いの外叔父が真剣な顔をして考え込んでしまった。
田舎の「家」の繋がりと途絶について。
主人公の父は、三兄弟の長子で、戦争中は海軍にいて、家は上の弟に譲っていた。戦後、日本に戻ってきたあとも田舎には戻らず、東京で暮らし始めた。夏休みにはよく帰省していたので、主人公にとっては父の田舎は気心の知れた場所ではあったが、それでも主人公は東京の人間である。
「三つ目の鯰」とは、優秀で風習にも囚われない合理的精神の持ち主である父が、さらにその父(主人公にとっての祖父)が亡くなった後、釣りをしている時に見かけたという鯰で、彼にしては珍しく気が動転したままで家に戻ってきたので、上の弟はその話をよく好んでするのである。土地の言い伝えによると、亡くなった者は魚になって戻ってくるのであり、三つ目の鯰はそれを警告するために出てくるのだという。
さて、父の下の弟の方は、実は牧師でやはり田舎を離れていたのだが、父の葬式の時に会った時にはどうにも生活が苦しくなっていたようだった。
彼が言うには、父はかつてキリスト教に接近していたことがあるのだという。そして、その父が、骨を墓に納めなくてもよいと言っていたことは、かつて家を弟に譲りもう家の者ではなくなったということを示す、深い意味があったのではないかと深読みする。
主人公は必ずしもそこまでの意味があったとは思わないのだが、父が家を譲った上の弟(主人公の叔父)には子どもが居ず、彼が自分に跡を継がせようとしている雰囲気が出てきたために、「家」について意識しはじめるようになる。
「家」とキリスト教についての話。
これもまた純文学っぽい話といえばいいのかな。