北野勇作・鈴木志保『どろんころんど』

北野勇作&鈴木志保『どろんころんど』: 21世紀、SF評論を読んで、気になっていた一冊。
まとまった内容紹介にもなっているので、詳しくはこちらの記事を読んでください、でもいいくらい


この本の魅力はやはりなんと言っても、活字と絵の絡み合いであり、活字がうねうねと動き出すさまは単純に楽しい。
普通、小説を読むというのは、活字を読むことを通して書かれていることを想像するということであって、文字そのものよりも文字を通して想像されたものに注目するが、ここでは文字そのものへも注目がいく。
というよりも、文字そのものも想像の中に入り込んでくる。例えば、主人公のアリスが風で吹き飛ばされるシーンで、文字も一緒に風に吹き飛ばされたかのように配置されている。
こういうのは確かに絵本的で、福音館書店の面目躍如というところなのかもしれない。
ところで、ここで描かれる世界は、どろんこの世界で、そして実はこの泥というのは情報のことでもある*1
この世界は全て泥で出来ている。泥は組み立てて何にでも変わる。というこの世界のあり方と、活字そのものが小説世界の中に組み込まれているこのタイポグラフィというのは、呼応しているように思える。
言葉にまつわる考察・思弁みたいなのもなされていて、そういうのも絡めて考えられるかもしれない。
ただ、この作中で行われる考察・思弁は、なんかちょっと子ども向けみたいな感じがしてしまった。
そのテーマ自体は面白いもの(ロボットである自分は本当に考えたりすることが出来ているのだろうかとか、「うまい」とか「きれい」とかはどういう意味なのかとか)なのだけど、そこで何かSF的なアイデアが開陳されるわけではないので、この本を読む小中学生とかに教育的なものにも見えてしまう。
ただ、そういう部分はまあ一部で、物語はずんずんと進んでいき、ぐいぐいと読み進めることが出来る。
またその一方で、非常に細かく章分けされていて、ちょっとずつ読んでいくのも可能になっている。上述の記事によると、北野が「キリのいいところをたくさん作ろう」と思ってこうなったらしい。
そういう点でもなかなかリーダブルに出来ている。
あと、電車、会社、地下鉄、そしてデパートなどの、人間の世界にあったものの再現が、似ているようで何かおかしいものたちは面白かった。道路と信号とかデパートとかが特に好きかも。
現代社会の風刺・寓話としても読めるけれど、ちゃんとそういう世界が存在しているのだなあという感じがあるのがよい。


SFならではのすごいアイデアとか、不思議な存在がいることの不気味さとか、そういうのはあんまりなくて
やはりちょっと易しめなんじゃないか、とは思う。
ただ、良質な作品であることは確かだとも思う。


あらすじを書いていなかったのを忘れていたけれど、上述の記事にやはりうまくまとまっていたので一部抜粋

 アンドロイドのアリスが長い眠りから目覚めた時、人類はどこにもいなくなっていて、世界は一面の泥に覆われていた。アリスの目的は万年1号を販売するデモンストレーションショーを行うこと。だから本当は、アリスは既に無意味な存在ということになる。だが、アリスはちっとも悩まない。

「観客がいないんなら、観客を探しに行く。そして、そこで自分に与えられた仕事をきちんとこなす。それがプロってものよね」

 なんとすがすがしいまっすぐさだろう。人間の消えた世界でアリスは人間を模倣して生きるヒトデナシと出会い、人間たちはテレビの向こう側の世界に行ってしまったらしいと知る。ならば「都会」にあるというテレビ局に行ってみようじゃないの。いざ都会へ、デパートへ、テレビ局へ。アリスはひたすら前へ前へと進む。
北野勇作&鈴木志保『どろんころんど』: 21世紀、SF評論

どろんころんど (ボクラノSFシリーズ)

どろんころんど (ボクラノSFシリーズ)

*1:これだけだとよく分からないだろうが、ネタバレになってしまうの注釈の中で書いておくと、人類補完計画みたいなのが行われて人間が全て情報と化して泥になってしまった未来、らしい