2010年はSFアンソロがやたらとたくさん出ていた割には*1、あんまり買っても読んでもいなかった*2。
NOVAは、しかし、よかった。外れがない感じだった。
以下ネタバレ気にしない感じで各作品のあらすじと感想
あ、でもとり・みきは省略w
小川一水「ろーどそうるず」
主人公は、走行データを報告する人工知能の搭載されたバイク。報告を受けるのは、バイク設計のためのシミュレーションモデルのバイクの人工知能。
何故か意識のようなものを持ってしまっている彼らの会話で話は進んでいく。
視覚情報は持っていないのだが、重量や傾き、位置情報から二人(?)で今どんな人間が持ち主なのかを話している。
そして彼(?)は、他のバイクには想像も出来ないような数奇な運命を辿る。
森岡浩之「想い出の家」
ARもの。
何でも屋の営業担当である「おれ」は、常連のおばあさんに、想い出の家を頼まれる。
それは過去のビデオ映像を家のAR環境に投影するというものである。
しばらくして、彼女は亡くなってしまうのだが、そのビデオが全ておそらく他人のものであることが判明する。
長谷敏司「東山屋敷の人々」
抗老化技術が出来た未来を舞台にした、アンチ『サマーウォーズ』
叔父よりも若々しい大叔父が家長になった東山家。
一族の中で一人、遺産などを使って抗老化技術を施している大叔父は、他の親族との間に確執がある。
「ぼく」の父親は東山家から逃げるように東京へと出てきたので、「ぼく」は時折帰省するだけで東山家とはそれほど縁がない。そんな彼を大叔父は跡継ぎへと指名する。
「ぼく」は大学の学費を援助してもらう条件で、夏休みの間東山家で過ごすことになる(日本でも大学が9月入学になっている)。
抗老化技術に伴い、「家」というものの意味が完全に失われていく。
「ぼく」は、人間関係を調べてくれる(「○○からは息子のように思われています」と判定してくれる)ケータイアプリに頼っていたりして、面白い。(ありとあらゆるものが検索できるようになる未来の一つの帰結だと思う。ちなみに、「昔の血液型占い程度には利用されて」いるらしい)
円城塔「犀が通る」
そういえば、円城塔読むの久しぶりかもしれない。
あ、『ぼくのマシン』に「Yedo」が入ってたか。まああれは再読なのでおいとくw
ピロリ菌のピロリが人名じゃないということに一番驚いてしまったw
内容はSFではなく、喫茶店の店員と常連の話
まあ最後の方で、喫茶店に貼ってある星図が、星図に描かれている犀と話を始めるという展開もあるが、まあそれだって別にSFってわけじゃないしな
東浩紀「火星のプリンセス」
ああ、これは「クリュセの魚」も読まなきゃなあ
読まなくても分かるようになってるけど。ただし、これは明らかに次に続くようなところで終わってる。
テラフォーミングされた25世紀の火星。
もともと火星と地球の経済圏は半ば独立していたが、ワームホールゲートが発見されて一気に一体化が進み、地球の国家が火星への進出を開始した。火星植民地育ちの火星人は、地球との重力の違いの関係で簡単には地球には行けず、また地球型の国家システムや文化にもついていけなかった。火星ではテロが頻発するようになる。
前作「クリュセの魚」において、主人公の葦船彰人は幼い頃に大島麻里沙と出会う。彼女はのちに火星出身のテロリストとなり、火星独立運動の象徴となる。そして、Lと名乗る男が彰人に、彰人と麻里沙の娘だという少女を引き渡す。
Lは地球で大企業を経営する一族の一人で、火星でのドンパチが地球に飛び火することを怖れており、麻里沙の娘をうまく利用できないかと考えている。
彰人は彼女――栖花を普通の女の子として一人育てていくが、栖花は一方で音楽の才能を発揮し、火星・地球の両方のネット上で匿名シンガーとして人気を博していくことになる。
そしてある日、再びLか彼らに接触してくる。
栖花が、麻里沙の娘であること、そして天皇家の末裔であることの公表が迫る(日本という国はこの時代、既に消滅している。地球はいくつかの巨大な連邦国家に再編成されてしまっているよう)。
その場所は、なんと皇居跡で行われているコミケと思しきイベントなのだった。
つづく!
瀬名秀明「希望」
ある時期から瀬名秀明の小説は難しくなってきたなあと思う。これも難しかった。しかし、なにかずしっとくるものがあった。
これは確かに「二読三読する価値はある」
『第九の日』に入っていた「決闘」も再読したいな。
このシンプルな2文字タイトルの決して負けていない。
ある少女が、ジャーナリストの「私」にその半生を語り最後に自殺する物語。そして「私」は再び繰り返そうとしている、のか。
彼女は、自動車の衝突実験用ダミーロボットの開発者を養父に、彼と不倫している天才宇宙物理学者を養母として、小学校に通うこともなく衝突実験についていた。
ヒッグス粒子と質量。衝突と加速度と質量。質量とコミュニケーション。
養父はコミュニケーションの定性・定量化モデルを作り上げ、養母は宇宙のエレガントな理論がないことを証明する
そして渋谷で若者の爆弾テロが起こる。
CP対称性の破れ、コミュニケーション、シンパシーとエンパシー、キリスト教、オーラル・ヒストリー、さらには昨今のサイエンスコミュニケーションへの批判なども入り交じり、ちゃんと説明することもできないし、うまく理解できたとも思えないのだが、何かすごかった。
ところで、「真の名前は鈴木ではなく、さらにありふれたものだった」って一つしかないんだけど、何でその後出てくるとき伏字なんだ? この人物が重要人物なだけに。