テッド・チャン「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」(『SFマガジン1月号』)

SNSみたいなところで動く育成型AIの開発者の話。開発者で、かつそのユーザーでもある。
育成ゲームとしては結構難度が高く、またユーザーによってかなり性格や能力が変わってくるので、ユーザーのコミュニティが強固。
メーカーは廃業してしまうが、その後も数は減りながらもずっとユーザーは残りつづける。
ところが、あるときプラットフォーム自体が他のサービスに吸収合併されてしまい、互換性を持っていなかったそのAI達は孤立してしまう。他のメーカーのAIや人間達は別のプラットフォームを使い始めてしまい、彼らと友達となっていたAI達にとっては、物寂しい日々が始まる。
新たなプラットフォームへの移植は、プログラマを雇えばできるが、それにはお金が必要。企業であれば出すのに困難ではない額だが、既に数を大きく減らした個人ユーザー達では集まってもなかなか出せる額ではない。
そんな時、セクサロイドのメーカーが資金の提案をしてくる。
そのメーカーのAIのユーザーは、他のメーカーと比して、非常に粘り強く育成し続けていたので、とても個性豊かな存在となっており、セクサロイドメーカーがそのデータに目をつけたのであった。
ユーザー達はもちろん、コピーとはいえ我が子ともいえるAIを性的な玩具として売り飛ばす気にはなれない。
ところが、あるAIは自分たちからそれに志願しようとしていた。
「親として」その決定を阻み守るべきなのか、それとも彼らの「自己決定」を尊重すべきなのか。


テッド・チャンってこういう話も書くのかーってちょっと意外だった
テーマ的に瀬名秀明っぽい気がした。
AIが人間のようになっていったらって話はよくあるけど、そのベースとなっているサービスがネット上のソーシャルサービスだったりするのが現代っぽいなあと思った。
プラットフォームの企業がつぶれちゃって互換性云々とかが特にw


テーマ的には、もろ自分が以前書いた亜人間論ど真ん中でもある。


S-Fマガジン 2011年 01月号 [雑誌]

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