今日は午前中、オアゾではやぶさのカプセルを見に行ったのだが、ついでに午後はどっかの美術館にでも行こうかと思って、当日に決めた。
恐竜展に行って科学デーにしようかなとも思ったのだが、恐竜は混んでそうだなあと思ったので。そういう意味ではオルセー展も大差ないが。
久しぶりにあんな混んだ展覧会行った。
川村美術館で、モネは少し距離をとって見た方がいいと教えて貰ったことがあったので、遠くから見たり近くから見たりするのがいいんじゃないかと思うのだけど、こう混んでいるとなかなか。まあ、気になった絵はそうやって見たけどw
とりあえず、まずスーラを見る。
81,2年の頃はまだあの特徴的な点描になってなくて、83,4年頃の習作からでてきてるなあというのが分かった。スーラはデジタルな感じがしてなんか面白い。
それからセザンヌ。
この人は目が悪かったら、自分にとっての見たままを描いただけじゃねみたいなことが描かれているのをどっかで見た気がするのだけど、確かに目が悪い人の視界かもなあと思った。
あと、これは授業で習ったことだけど、確かに静物画は上から見たのと横から見たのが混ざってて、確かに奇妙な感じになっている。
で、ピカソが一枚置いてあったけど、やっぱピカソすげえわ。なんでセザンヌからこれに移行できるのかっていうのが。
セザンヌの中では岩を描いた奴が好き。抽象一歩手前まで来てて。
この時代が好きなのが、抽象絵画になるかならないかのところで色々やっているところだな。それを飛び越えていった人たちはやっぱりすごいなと思う。
ロートレック、ゴッホ、ゴーギャンはとばしたww
だって一番混んでるし。その割に、個人的にはあんまり好きじゃないし。
そして、ポン=タヴェン派とナビ派。
ここらへんはなんかとても画面がフラット。
結構太い線で輪郭線が描かれていて、色がベタって塗ってあって、画面がフラット。
特に、ナビ派のドニがおもしろかった。
ここらへんは解説に平面的とか装飾的とか説明されているんだけど、なるほどこういうのが「平面的」「装飾的」というんだなーというのが分かる感じがした。
木の葉っぱとか水面とかが唐草模様みたいもので描かれているあたりが、「装飾的」なのかなと。ああいう表現はどこから来たんだろうか。東洋由来なんだろうか。
で、そんなドニの中に「カルヴァリオの丘」(ゴルゴダの丘のこと)ってのがあって、これもやっぱり同じように平面的に描かれているのだけど、これだけ唐突に宗教的モチーフで、でも十字架と修道女たちの黒がなにか抽象画の如くで、神秘的な雰囲気が漂ってくる。
それから黒くないルドンを見て、
ルソーを見た。
ルソーの絵ってでかいな。
「蛇使いの女」はこの展覧会のポスターにもなってるけど、「戦争」の方が好きだった。
色彩がポップで、画面がフラットで、どうしてこの人はこんな絵を描いたんだろって思わせる。1894年の絵だけど、ポップでフラットなんだよ。
最後の部屋は、ナビ派などが室内装飾や舞台美術に関わっていた頃の作品。
私邸の食堂を飾ったというボナールの絵は、まずとにかくでかくて、どんだけでかい食堂だったんだよってのと、絵の回りに額縁みたいな絵を描いていて、まわりの家具なんかと調和するようにさせていたとか。そんなところまで絵に組み込んじゃうあたりが面白い。