『群像5月号』

諏訪哲史ロンバルディア遠景」

今までの諏訪とはタッチが違うが、しかしやはり諏訪だなあという感じの作品。
マイナーな詩の雑誌の編集者である井崎が語り手となり、若い詩人であるアツシの作品やイタリア旅行が紹介される。
主人公の二人ともが、詩に関わっていて文学好きであるためか、やや難しめの漢字が多い、多少古めかしい文体となっており、現代の話し言葉の雰囲気を出そうとしていた「りすん」とは、その雰囲気は異なる。
しかし、表が裏になって、裏が表になってというか、虚構と現実とがひっくりかえるようなことがテーマになっているという意味では、「りすん」と似ている。
ここで、表と裏の反転ということでモチーフとなるのが、皮膚であったり表面的ということである。アツシのやや偏執狂的な皮膚とか表面とかいったものへの拘りが、様々に描かれている。
どこかに穴が空いていて、ぐるりと入れ替わってしまうのではないかということ。
観念的な話ではあるけれど、日本でアツシが働いている食堂とか井崎の生活とかの貧しい日常的な描写がある一方で、アツシがイタリアで体験する怪しげな神父に連れて行かれた娼館の幻惑的な雰囲気がイメージ豊かに描かれていて、そこに引き込まれるところがある。
変態的な性の話だったのが、女陰というところから、やはり穴とか表面(内面ではない)とか、そういった話へと繋がっていって、具体的なイメージと観念的なテーマがうまく絡み合っていた。
それから、井崎が同性愛者で、アツシの書くものに対して編集者以上の愛情を覚えていて、そういうところでも書く者と読む者の関係(虚構と現実の関係の変奏)が描かれている。
同性愛とか変態性欲とか詩人とか、何というかいわゆる「文学」っぽい、しかもちょっと古めかしいものが使われているのだけれど、そしてそれらがかなりしっかりと書かれているのだけれど、そういったものをモチーフにして諏訪の虚構と現実がぐるぐると変わっていくというテーマが現れていて、読みながら静かな興奮を覚えた。
本当はもっと細かく、それぞれのイメージとかエピソードとかを整理して論じられたら面白そうだなあと思うのだけど、大変そうだし時間もないのでパス。

新鋭15人短編競作

大体面白かった順に並べてみる*1

「絵画」磯崎憲一郎

あの、長い一文でもって描写が続いていく磯崎文体でもって、ある川べりの風景が描かれていく。
基本的には、老画家の視点なのだけれど、途中から、視点がぐいぐいと変わっていって、スケールもぐいぐいと変わっていく。
何でもない描写が続いていくだけなのだけれど、スケールが変わっていくところで世界の広がりみたいなのが感じられる気がして、好き。あと、構成のバランスもとてもよいと思う。

「夏草無言電話」牧田真有子

中学生の「私」がしばらく話すことをやめた夏休みの話。仲がよいと思っていた友達との微妙な関係を軸にして話は進む。
これは、同じ瞬間に、それぞれ異なる時間が流れているということに「私」が気付くという小説で、時間をテーマにするというのは「文学」としてはおそらくベタなんだろうけど、でもやっぱり時間というのはテーマとして面白くて、それが短編としてすっきりとまとめられていてよかった。
主人公が時計を5つ持っているとか、分かりやすいかつ過剰だろみたいな設定もあるけれど、でも無駄なく噛み合っているのでそれもいいなあと思った。
「絵画」とこの作品は、雰囲気も手法も筋も何もかも違うのだけれど、「絵画」は空間にかんして、こちらは時間にかんして、日常的に感じているそれとは少し違う感じを与えてくれるという点で、「小説」であり「文学」であり「リアリティ」を感じる*2

「声の植物」谷崎由依

仕事の出来ない花屋の店員の女性が、ある劇団の演出家兼俳優の芝居を偶々見かけるところから始まる。女は、その俳優に対して強い共感を覚えて、ストーカーちっくにずっと芝居を見続けて、台詞を全部覚えて、それを部屋で育てている植物に聞かせる。
で、この植物というのが何か不気味なもにに育ってしまう、というような話。

「ちびっこ広場」藤野可織

若いお母さんが主人公。ちびっこ広場というのは、小学校低学年の息子がよく遊んでいる公園の名前。
母親の息子への愛情が描かれている。
そのテーマとかには興味はないけれど、話自体がまとまっていて面白く読めた。
母親の息子への愛情とか書いちゃうと何か重たいけれど、別に重たい話ではない。

「猫たちのポスト・フォーディズム時代」宇野常寛

高田馬場探偵局 第315話」
つまり、高田馬場探偵局というシリーズものの第315話として書かれた話という位置づけ。20もの注釈がふられていて、その注釈を読むと、このシリーズの他の話についてだったり、このシリーズによって巻き起こった騒動などが分かるようになっている(つまり、高田馬場探偵局という架空のシリーズについての話にもなっている。第何話について抗議があったとか)。
オタクカルチャー、サブカルチャー、ネット周辺の話題などから様々な固有名詞がぐちゃぐちゃと織り込まれていて、話自体も宇野理論(?)のセルフパロディ(?)みたいな感じになっていて、まあ楽しいといえば楽しい作りになっている。

「約束の夜に」松尾依子

家庭教師をしている女子大生の私が、教え子である不登校の女子中学生に対する距離感を巡って悩む話。
自分が中学生だった頃を思い出すと、教え子に対して上手く接することができなくなってしまう。
中学生の頃の自分はこうはならないぞと思っていたような感じに、今の自分はなってしまっているのではないだろうか。だとすれば、何を言ったってこの教え子に何と思われるか分かってしまう。でも、そこまで突き詰めなくても大丈夫なんだよ、とも教えてあげたい。
中学生だった頃の気持ちというのは全然分かるのだけど、でももうその頃の気持ちからは離れてしまったというのは、個人的に共感するところがある。

「電気室のフラマリオン」間宮緑

間宮緑の小説を読むのは2作目だけれど、何だかこううまく掴みかねるところがある。
SFみたいな感じになっている。
未来のオートメントという建物に暮らすフラマリオンのもとに、他のフラマリオンが訪ねてくる。
雰囲気は好きなんだけど、よく分からないんだよなー。

「台詞」原田ひ香

脚本家の「私」と、彼女の作ったラジオドラマで主演となった子役の少女の話。
自分よりも小さい子役を見て焦る彼女と話して、「私」は子どもの頃に習っていたバイオリンの話を思い出す。そのとき、自分と同じ年でとてもバイオリンの上手かった子が、やはり年下に対して焦りを感じていたことを思い出す。
それで、最後に彼女の台詞を少し変えて、彼女に対してちょっとしたエール(?)を送るというもの。
きれいにまとまっている短編だなあと思った。

「緒方くん」片川優子

就職活動中の「私」は、一学年下でなんかあんまり真面目じゃない彼氏の「緒方くん」にイライラし始めるのだけど、「緒方くん」は「緒方くん」の優しさがあるのだということに気付くという話。

「スパークした」最果タヒ

最後に、虚構と現実がくるっとひっくり返るという話のようなのだけど、そこに至るまでの話があんまりよく分からなかった。
二人の人が、ある文章を読んでいて、その文章は、「あなた」の行動を綴っていて、その上、その書き手はただ行動を記録しているだけではなくてその状況にどうも介入することも出来ている。で、二人はその書き手の正体を探ろうとしている。
でも、最後にはその二人も、その書き手に書かれているっぽい終わり方。

「しずえと岸朗」雪舟えま

しずえは主婦で、何故だか一日の半分くらいを寝てしまう。
岸朗はしずえの夫で、パン屋で働いていたのだが、マッサージの勉強を始めるうちにその才能を開花させていく。
岸朗は、しずえでマッサージの練習をしていて、それが気持ちよくてしずえはさらに寝ちゃう。

「ひとりごっこ」小林里々子

女友達が彼氏と別れるのを心待ちにしている「私」
彼女はころころと彼氏を変える、つまり彼氏は交換可能だけれど、私とはずっと友達だから彼女にとって私は交換不可能な存在だと考えている。
でも、結局その彼氏と結婚すると聞かされて私はショックを覚える。そして、彼女から逆に、あなたこそ私のことを交換可能な存在と見ていたのではないかと言われる。

「うそ」樫崎茜

七夕についたうその話。
小学生の時、おばあちゃんのお見舞にいった病院で会った女の子に、きっと退院できるよといううそをついたという話。

「アーノルド」松波太郎

日本に留学してきたアーノルドが、行く先々で見かけたトラブルを解決していく話。

「マックス・ケース」深津望

感情をダウンロードできる携帯電話が使われるようになった未来社会。
開発者のマックスの声が聞こえるという症例が、時折起こるようになっている。

変愛小説集2(5)「マネキン」ポール・グレノン 岸本佐和子訳

自分の妻が突然マネキンになってしまった夫の話。
マネキンになってしまったことに驚いたり、受け入れようとしたり、そして最終的に焼き払ってしまうという物語で、このとんでもない出来事を、不気味に描いたりするのではなく、冷静に描いていく。
わりと面白かった。

海外文学最前線

あとで読む。
スペイン語圏、イタリア、フランス語圏、ドイツ、イギリスおよび英語圏、ロシア・東欧、アメリカ合衆国、中国、韓国それぞれの研究者が、入門的な話と最近の動向をまとめて、かつ10冊のブックガイドをつけている。

『モンキービジネス対話号』

ぱらぱらと立ち読み。
今号は、古川日出男村上春樹インタビューが載っている。読まなかったけど。
詩人、俳人歌人がそれぞれ詩、俳句、短歌を書いて、それを別の人が英訳して、それをさらに別の詩人たちが日本語訳するという企画をやっていた。
実験だけれど、面白いかもしれない。
最初パスモって書いてあったのに、英訳→日本語訳すると、みんなSuicaって書いてたのが面白かった*3
他にも比較したら、英語にならない日本語というのが色々発見できるのかもしれない。


群像 2009年 05月号 [雑誌]

群像 2009年 05月号 [雑誌]

モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号

モンキービジネス 2009 Spring vol.5 対話号

*1:同程度の面白さの作品などもあるので、厳密な順番ではない

*2:というような論を書きたいなあとか思っている。というわけで、ここで鉤括弧つきで書いた「リアリティ」というのは、一般的な意味でのリアリティとはちょっと違った意味合いで使っている

*3:英語にすると、何とかカードとかになっちゃって、パスモSuicaの区別がつかなくなるので