下條信輔『サブリミナル・インパクト』

作者の9年ぶりの一般向け書籍。あとがきによると、「(一般向けの本の)十年間断筆宣言」をしていたらしいので、ほぼ宣言通りということか。
一般向けの本書き始めたら学者はやばいなどという話もあるが、下條信輔は何というかそこの絶妙なバランスを保とうとしている感じがある。
下條の専門は心理学・神経科学であり、特に潜在認知の研究を行っているが、そうした潜在認知の研究と、現代社会のマーケティングや政治、あるいは創造性とを関係づけるという本書のテーマからも、その絶妙なバランスが窺えるような気がする。
タイトルはちょっとなーという感じがするけれど。
そういうことを言い出すと、文章のすごく細かいところで気になるところがちまちまとあったりする。そこらへんは何というか、新書ブームとかで新書のレベル落ちとかがあったりなかったりしているのではないだろうかとかなんとか、考えてしまったりする。


第一章と第二章は、実験結果とかがだーっと紹介されていく感じで、
この本のメインテーマが始まるのは第三章からという感じ。
第一章では最初に、音楽と言語は共通の起源から進化した2つなのではないかという話がなされ、さらに音楽と「快」の関係が語られる。
音楽の起源の話とか、進化心理学的には今ホットな話題だったりするのかな*1。あんまり知らないので、面白かった。言語と対になっているのかもとか*2
それから第一章で「快」にとって重要視されるものとして、新奇性と親近性が挙げられる。これは、変化と反復という形で、音楽などにも現れている原理だろう。
この本の扱っている内容は、結構人文系、つまり哲学・思想系の話とも相通じるところがあったりもする。変化と反復などというのは、哲学・思想ないし表象文化論といったジャンルでは、前々から言われているようなキーワードでもあると思うが、そこと進化心理学神経科学が繋がっていったりするのは、それなりに面白いことなのではないだろうか。
そして、第三章と第四章では、広告と政治を舞台に潜在認知についてさらに論じられていく。
そこで問題になっているのは、人間とは本当に「自由で責任ある主体」なのかということである。
近代の経済学や民主主義政治の前提となっているのが、この「自由で責任ある主体」であり、しかし一方で現代思想を通じて批判されてきたのもまた、この「自由で責任ある主体」である。
今度は、心理学・神経科学の側からも、こうした主体像が脅かされているというわけである。
環境管理という言葉は出てこないまでも、「一説によれば」という注釈付で、マクドナルドの椅子の話が出てくる*3
もう少し具体的なコントロールのテクニックや、それが神経科学の実験結果から見てそれほどおかしい話でもないことなどが述べられていく。
人間の判断にとって、いかに「意識」とか「理性」とかよりも、潜在認知と情動が重要となっているかということでもある。
一方で、第五章ではそうした領域と創造性の関係について、下條の仮説が展開される。
ここでは独創性というものを、今まで誰も思いつかなかったのにもかかわらず一度発見・発明されると誰もが理解できるものとして仮定される。
つまり、「知っているのに知らなかったこと」を引き出してくるのが、独創的な仕事だということになる。
知識というのは一般的に、知っているか知らないかのどちらかだと思われている*4
しかし、実際には「知っているのに知らない」という潜在的な知がある。この潜在的な知については、実験で確かめられている。一度学習したことについて、本人は意識して思い出すことはできないのだが、学習の効果はあがっているのである。
また、独創というのは環境とも密接に関係しているのではないか、と下條は考える。
創造というと、天才の頭脳の中で完成しているように思われているが、むしろ環境との相互作用の中でこそ発揮されるものなのではないか。
(例えば、ある分野で天才的な仕事をした人でも、他の分野にいくとてんでダメだったりする。これはその人とその周囲の環境との相互作用というものが、そうそう簡単にできるものではないからではないか、と)


第四章、第五章を通じて、下條さんは繰り返し「私は決して危機感を煽っているわけではありません」と繰り返す。
科学者として、価値判断を留保して事実の分析に努めるという理由が一つと、
潜在認知には良い面と悪い面の両方があるからという理由が一つであり、そうした理由自体は至極真っ当であるし、そういう態度を表明するのも決して悪くない。
とはいえ、もう何度となく「危機感を煽っているわけではありません」と繰り返すのだから、何というか逆にその「危機感」が気になって仕方がなくなってくるw
それから、意識的に忘れようとした事柄の方が逆に記憶されているという実験結果を紹介しつつ、別のところで、本書のキーワードに関して「決して忘れないで下さい」などと言ってたりする。
これはツッコミ待ちなんだろうか、天然なんだろうか、と下條さん萌えというか、別の意味で面白かったりもするw
そういえば、下條さんはマクドナルドをマクドと略していたので関西人のようだ*5

サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代 (ちくま新書)

サブリミナル・インパクト―情動と潜在認知の現代 (ちくま新書)

下條関連過去エントリ
『サブリミナル・マインド』下條信輔 - logical cypher scape
『<意識>とは何だろうか』下條信輔 - logical cypher scape
環境知能シンポジウム2006 - logical cypher scape
東浩紀と意外な繋がり - logical cypher scape

*1:音楽だか芸術だかは適応的じゃないじゃんというピンカーと、いやいや適応的だよという人たちみたいな対立があるという話を聞いたことがあったような

*2:言語は意味を、音楽は情緒をみたいな感じで

*3:大澤真幸東浩紀の『自由は考える』などに出てくる、環境管理を説明するときによく出てくる話

*4:本書でも触れられているが、それがメノンのパラドックスと呼ばれるものを引き起こす

*5:と思って略歴を確認したら、東京都出身の東大卒だよ。大学院はMITと東大で、今はカリフォルニア工科大学だし。学生が関西人だったのかなー