中上健次『枯木灘』/『ユリイカ10月号』

中上はいつか読もうと思いつつも読まずにいて、今月のユリイカが中上特集だったので、読んでみた。

枯木灘

思ってたよりは読みやすかったし、面白かった。
最初は人間関係を把握するのが大変かなと思ったが、話としてはむしろ分かりやすかった。
カラマーゾフの兄弟』が、実は読めるし、筋は面白いのと似ているかも。
まあ分からなかった部分も多いんだけど、何が大事なのかはわりとはっきりと書いてある。
愛憎混ざった感情を強く抱いたり、土方をやって自然と一体化したりの繰り返しが、基本的にはあって。
繰り返しということでは、主人公は兄とかがかつてやったことを繰り返しているわけでもあり。
あと、誰かからじっと見られている感じ。それは最初、父である龍造の視線とされるわけだけど、むしろ「路地」からの視線でもある。
それから、白痴の子か。白痴の子っていうのは、どういう意味合いがあるのか実はよく分かっていない。主人公とその妹が、半ば事故、半ば意図的に寝てしまうわけだが、その2人の間にできるかもしれない子どものことも「アホの子」と称されている。
というか、ラストの徹が怖い。
「路地」っていうのは、被差別部落のことらしいんだけど、そこらへんのこともよく分からないのでよく分からなかった。というか、誰が「路地」の人で誰が「路地」の人じゃないのか、という基本的なところでちゃんと分かっていなかったりする。
そういうぐだぐだな感想。
面白いことは面白かった。結構一気に読み進めたし、盛り上がるところはぐあっと盛り上がるし。
あと、文体がシンプルな感じがして逆に新鮮だった。強く短く言い切っていく感じ。
解説は柄谷行人で、フォークナーとの比較。

ユリイカ

この特集を読んで、中上の他のも読みたくなったかも。
とりあえず『地の果て 史上の時』と『異族』あたり。
そういえば自分は大江も全然読んでいないので、そろそろ『万延元年のフットボール』とか読んでみるかなあ*1
中上で文学は終わったとか言われるけれど、この特集を読んでいると、近代と現代(モダンとポストモダン)の継ぎ目にいるような感じなのかなあと感じる。
枯木灘』はなんか近代的な感じがするけれど*2、東・前田対談によれば、『異族』とか『鳳仙花』あたりに、フラットさやキャラクター萌えみたいなものが先駆け的に現れてるんじゃないかとか、そもそも中上と村上って実は同世代の作家だよねとか。
中田健太郎は、中上作品に出てくる「地図」に注目する。そして、単に地理的なものに拘ったというわけではなく、根拠地なき者=故郷喪失者の根拠、歴史を立ち上げる可能性について述べている。
一方、渡邊大輔も、中上作品の「地図」に注目しつつも、それが「私」の全体性・想像的同一化を促すものであるとする。そして一方で、中上作品における「仮面」=演じることにも注目する。ここに二つの言語の論理が機能していることを見て取る。
映画ならびにフォークナーと中上の関係について、ジャズと中上の関係についての論文などがあり、
中沢忠之*3の、中上・阿部和重古川日出男論がある。
これは三人ともが、土地と関係付いた物語を書いているという共通項と、それぞれの物語システムの違いを論じているものだが、とても見通しがよいものになっている。

*1:まあ、読んでみるってブログに書いてから、実際に読むまで結構かかるんだが

*2:まあ、そう単純に近代というわけではないということも、この特集読んでて分かったが

*3:id:sz9