高橋昌一郎『理性の限界』

本書では、「理性の限界」と銘打った架空のシンポジウムが開催されている。
そこでは、大きく分けて3つのテーマについて話されている。
すなわち、「選択の限界(アロウの不可能性定理など)」「科学の限界(ハイゼンベルク不確定性原理など)」「知識の限界(ゲーデル不完全性定理など)」である。
このシンポジウムには、「会社員」とか「運動選手」とか、あるいは「数理経済学者」とか「科学主義者」とか「論理学者」とかが参加している。
著者自身の言葉をあげておく。

一流の研究者に何かを教えていただくには、「雑談」が最もわかりやすいし楽しいのである。(中略)雑談では思いきり飛躍した愚問にもすぐに答えてくださる。
(中略)
本書に登場する多彩な分野の専門家も、「大学生」や「会社員」のような普通の人々も、議論の展開にちょうど都合がよいように適当に登場させた架空の人物像である(何人登場させたか自分でも覚えていない)。彼らの発言の中には、かなりの飛躍や厳密性に欠ける論法も含まれているが、このような話題に興味を持っていただくために、あえて「カント主義者」や「ロマン主義者」的な極論を示した面もあることをご了承いただきたい。

アロウの不可能性定理とハイゼンベルク不確定性原理ゲーデル不完全性定理を、新書一冊で紹介するのだから、まあかなり大雑把な話になってしまっているのは仕方ないとしても、すすーっと読み進めることが出来て、概略も掴めることができて、哲学読み物としては面白いんじゃないかと思う。そもそも、この3つを1セットにする、というのも、ありそうでなかったような組み合わせではないかと思う。
上述の引用で、「カント主義者」や「ロマン主義者」について触れられているが、この2人は、KYな扱いを受けていて、かわいそうになるw
「そんなことはカントがもう言っているんだから、『純粋理性批判』を読め」と、「カント主義者」は何度となく喚くのだが、その度に、「司会者」から「その話はまた別の機会にお願いします」と言われてしまうのだw*1
「急進的フェミニスト」とか「フランス国粋主義者」とかいった、戯画化された人物も出てくる。
*2


第一章 選択の限界
コンドルセパラドックスをはじめとする、投票にまつわる様々なパラドクスが、簡単なモデルと共に紹介される。
投票の話だけではなく、囚人のジレンマなどのゲーム理論の話もされる。
個人の合理性と集団の合理性が違うときにどうすればいいのか、というのが最終的に話の中心となってくる。
囚人のジレンマだけでなく、チキンゲームとかも、ゲーム理論で定式化されているのか、とか、ナッシュってすごい人生送ってるなあ、とか。
民主的な投票方法はない、というアロウの不可能性定理がやはり面白い。
民主的な条件として、個人に関して2つ、集団に関して4つの条件を挙げ、その条件を全て満たすような投票法はない、ということを示している。
この条件の一つに、非独裁性というのがあるのだが、他の5つの条件を全て満たすとき、この条件を満たすことが出来ないらしい。このことを言い表している部分がちょっとかっこよかった。

個人が二つの条件を満たし、社会が第一から第三の条件を満たす社会的選択関数*3は、必ず第四の条件に矛盾します。すなわち、その社会には必然的に独裁者が存在するということです。

「必然的に独裁者が存在する社会」というのを、数学的に証明したってすごいな。
この章では、合理性と道徳性や人間性についての話にも、少しだけ及ぶ。この本では一応、道徳性の話は括弧にいれて考えよう、ということになる。
ただ、合理性、つまり理にかなっているとはどういうことか、というと、突き詰めていくとなかなか難しい。
例えば、進化において有利な戦略こそが、理にかなっていることだ、というのであれば、道徳とか感情とかというものが進化の上で獲得されたものである以上、道徳的ないし感情的ということが合理的とも言えるのではないだろうか。
この本では、チキンゲームでは、非合理的な選択が、合理的な選択になっているということが示されていたりするが。


第二章 科学の限界
この章では、相対性理論量子論不確定性原理、相補性、EPRパラドクスシュレディンガーの猫)、パラダイム論(クーン)、方法的虚無主義(ファイアアーベント)が紹介されている。


第三章 知識の限界
この章は基本的に、スマリヤンへのリスペクトで進んでいくw*4
最初に、ぬきうちテストのパラドックスが紹介され、それに対するいくつかの解決法が示された後、スマリヤン不完全性定理による解決法を示したということが言われる。
そこで、続いて不完全性定理についての紹介にうつる。
スマリヤンは、認知論理体系に不完全性定理を応用することで、ぬきうちテストのパラドクスを解決する。
さらに、チューリング・マシンが紹介され、人間の思考と不完全性定理の関係について話が及んでいく。


この本は買うかどうか迷ったのだが、あとがきを見て買うのを決めた。
というのも、この本はどうも、現代新書で上田哲之が担当した最後の本っぽいからだ。
上田哲之というのは、講談社の編集者で、哲学系の現代新書を読んでいると、必ずと言っていいほどあとがきに名前が出てくるのだ*5
どんな人なのかはよく知らないのだけど、そんなわけで名前を覚えていた。
最後の本っぽいとのはどういうことかというと、再び引用するとこうなる。

編集者だった上田氏は、その間に現代新書出版部長から選書メチエ出版部長と担当部署を移られた。それにもかかわらず、本書については自分の責任だからと最後まで編集を担当してくださった。

出版部長! 偉い人だったんだなあ。
選書メチエはあまり読まないから、ちょっと残念だな。

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)

*1:ちなみに、この「司会者」は本当に容赦がなくて、ちょっとでも議論がずれると、すぐさま「その話はまた別の機会にお願いします」と言ってくる。哲学や哲学史の話題に、特に厳しい

*2:筆者も何人出したかよくわからないと言っているので、誰々登場するか、書き出してみる。何度も登場する人もいれば、一度しか出てこない人もいる。本当にこんなに色んな人が参加しているシンポがあったら、面白いだろうけど、混乱必至だな。この「司会者」はすごいな。「司会者」「会社員」「数理経済学者」「哲学史家」「運動選手」「生理学者」「科学社会学者」「実験物理学者」「カント主義者」「論理実証主義者」「論理学者」「シェイクスピア学者」「大学生A」「国際政治学者」「フランス社会主義者」「フランス国粋主義者」「心理学者」「情報科学者」「急進的フェミニスト」「映像評論家」「ロマン主義者」「科学主義者」「科学史家」「方法論的虚無主義者」「相補主義者」「ロシア資本主義者」「数学史家」

*3:引用者注、投票方法のこと

*4:著者の高橋は、スマリヤンの翻訳者でもある

*5:今、僕の本棚を見る感じだと『これがニーチェだ』『これが現象学だ』『時間は実在するのか』『ロボットの心』『無限論の教室』『哲学の謎』あたり。僕は持ってないけど、この本の著者高橋昌一郎の『ゲーデルの哲学』も担当している。あと、今見てたら、科学系は堀沢加奈という人の名前をちらちら見かけた