堀田純司『人とロボットの秘密』

何となく衝動買い。
表紙をめくると、石黒教授の作ったアンドロイドの写真が出てくるのだけど、やっぱすごいなこれ。
全てではないけれど各章の前フリが、いちいちロボットアニメなのは、仕方がないといえば仕方がないけど、またかって感じもする。アトムやガンダムだけでなく、マジンガーライディーンにも言及しているのは珍しいと思うけど。
本としはまあ普通で、1400円かーとちょっと思うんだけど、まあいいや。

各章で1人ずつ研究者が取り上げられる。
インタビューからの引用があるものの、それ以外の部分は、研究者本人の知見なのか、筆者の知見なのかちょっと分かりにくい。
第一章
この章は松原仁なのだが、むしろ今までのロボット研究やロボットのイメージについて多く割かれていて、特に目新しいものはないし、松原が今何やっているのかはさっぱり分からなかった。それがちょっと残念。
ロボットといえば、松原の名前を見ないことはないわけで、すごい。
僕が小さいとき、恐竜といえば小畠郁生だったのだけど、そんな感じなのかなと思ったり。
第二章
石黒浩。今、ロボット研究者といえば、この人。やっぱりこの人は面白い。
「人間らしさ」を最も完璧に模倣し、その後、引き算することによって、「人間らしさの原理」を見つけることを目的としているらしい。
今まで、インターフェイスのデザインは、デザイナーの直感によって任せられるところが大きかったが、それを工学的な技術として作れるようにするための「人間らしさの原理」である。
それから、2秒まではアンドロイドだと気付かないようなところまでは達成したとか。
不気味の谷」という言葉は、石黒の師である森政弘によるものらしい。
第三章
中田亨は、記号論理・言語表現にはよらない部分をロボットで再現しようと試みている。
ルドルフ・ラバンの舞踊理論を使って、ロボットに感情表現をさせようとしている。つまり、身体をどのように動かすと、どのような感情を表しているように見えるか、ということである。
言葉を持っていない動物や赤ちゃんは、まさに身体動作を用いて感情を表現するわけだから、ロボットにもそのようなことをさせることには意義があるだろう。
第四章
前野隆司の受動意識仮説というのは、トール・ノーレットランダーシュの『ユーザーイリュージョン』みたいなもんかなあと思う。意識というのは、身体を操作する主体ではないんだよという話。
この章は、チャーマーズデネット、ラマチャンドランにダマシオ、そしてスピノザやヒュームも出てきて、楽しい。
また、触覚の研究者でもあり、触覚センサーなどを作っている。視覚や聴覚は周波数によって、数値化できるが、触覚はなかなかそうできない。それを、いくつかの軸を使って数値化させることにしたのである。ここらへんは、科学哲学、というか哲学的科学だなあと思う。
クオリアという言葉も何度か出てくるのだけど、クオリアって大して重要な話ではないと思う。というか、前野のインタビューを読んでいても、それほどクオリアを重視していない気がする。
意識が主体かどうかという問題と、クオリア問題というのは、基本的には別の問題だと思う。
それから「生物がクオリアを獲得した理由」という節も、別にクオリアの話はしていないように思う。
ただこの節は結構面白くて、エピソード記憶ないし因果関係の認識が、進化の中で獲得され、それこそが意識である、という「受動意識仮説」の説明となっている。ここで筆者は、エピソード記憶や因果関係をひっくるめて、「時間概念」とまとめているけれど、まさに「時間」というのがどの段階で生じてきたのかが、心の研究において結構重要かなと思う。
それからあまり書かれていないけれど、感情の話も書かれている。
感情とか意識とかいうのは、進化論的に考えると、機能や役割によって説明するしかなく、ロボットに搭載するときもそうした機能を果たすものとして搭載するしかない。
やっぱり、クオリアって難癖のようにしか思えないなあ。
問題となってくるのは、クオリアよりも自己知だったりインナーアイだったりセルフアウェアネスだったり言われているものだと思う。永井均が哲学塾で指摘していたことと同じ*1
まあ、もう一つの問題として、進化によって生まれてきた有機体と、人間の手によってパッと作られた機械って本当に同じように心が出来るのかよ、というのはあるけど。
第5章
吉田和夫の機械の生命化。「if〜,then〜」のようなプログラムの仕方だとフレーム問題とかに陥るから、もっと違う方式にしようという話。
それで実際にバランスをとるロボットや、またロボカップのチームを作って3度の優勝で2連勝を果たしている。欧米のチームは、各ロボットの性能も高く完璧なプログラムを組んでいるのに対して、吉田のチームは、個々の判断力とチームワークによって戦うのである。
第6章
早稲田は、一時期、日本のロボット研究をかなり担っていたところであり、この章は、早稲田の高西敦夫が取り上げられる。
彼は、医者やフルート奏者など、工学者以外の人をプロジェクトメンバーに加えて、彼らの知見を採り入れたロボットを作っている。
科学は「還元的な」アプローチで、エンジニアは「構成的な」アプローチである。
また、様々な現象が微分方程式で記述できるのだから、心も情動方程式のようなものがあるのではないかと言う。


ロボットを何故作るのか、というと、二つの解答があるように思える。
一つは、便利な道具として。
便利な道具である限りは、ロボットは人型である必要もないし、心を持っている必要もない。
パワードスーツやユビキタスロボット(ロボットハウス)などは、まさにそのタイプである。
そしてもう一方は、人間を理解するために、である。
人間とは何か、ということを総合的に理解するための学として、ロボット工学というのはあるといえる。
ITにならってRTなどという言葉があったりするけれど、工学に限定せずに、哲学や認知科学、医学などと連携してロボット研究というのは行われているし、行われていく方向性がもっとあっていいと思う。対象が自然でも人文でもない、ロボット・人間科学というジャンルができるのもありだよね、と思いつきで思った。
それは如何にして、人間の様々な働きを定量化していくか、ということでもある。
触覚を定量化することはできるのか。
美しさを定量化することはできるのか。


人とロボットの秘密

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