熊野純彦『西洋哲学史』

「古代から中世へ」と「近代から現代へ」の2巻本である。
この本が一体どういう本であるかは、著者によるまえがきにはっきりと書かれている。
やや長くなるが、この本のコンセプトや特長が分かりやすくまとめてあるので、引用する。

この本は、三つのことに気をつけて書かれています。ひとつは、それぞれの哲学者の思考がおそらくはそこから出発した経験のかたちを、現在の私たちにも追体験可能なしかたで再構成すること、もうひとつは、ただたんに思考の結果だけをならべるのを避けて、哲学者の思考のすじみちをできるだけ論理的に跡づけること、第三に、個々の哲学者自身のテクストあるいは資料となるテクストを、なるべくきちんと引用しておくこと、です。(中略)ラテン語については、ときに原文も引きました*1
(中略)
古代・中世の哲学は、ただ過ぎ去って、いまは歴史的な感心しか呼びおこすことのない思想というわけではありません。それは現在でも哲学の現場にしばしば呼びもどされて、その探究をみちびく、なおも生きつづけている思考の運動です。本文では、その間の消息についても、できるかぎりあきらかにしていきたいと思っています。
なお、巻末に人名索引をつけてあります。本文中ではあまり説明できなかった人物については、かんたんな記述がありますので、ご利用ください。おなじく巻末に、簡略な年表を載せておきました。
(「古代から中世へ」まえがき)

哲学とは哲学史であるとはいえないかもしれませんけれども、哲学史は確実に哲学そのものです。
(「古代から中世へ」あとがき)

それぞれの哲学者の思考を辿ること自体が、すぐれて哲学的思考を要求することがらであるからです。本書も、個々の哲学者の思考への、また哲学自体へのおさそいとなることを希望しています。
(「近代から現代へ」まえがき)

まずは、巻末の人名索引と年表が、便利でよい。
あとがきによれば、これらを作ったのは、担当編集の古川、宮村氏らしいが、まさにgjである。
年表には、主要な世界史的な出来事と共に、本書で取り上げられている哲学者の生きていた時期が棒グラフで示されていて、誰と誰が同時代人であるかが一目で見てわかるようになっている。
また、人名索引が、簡易な人物紹介にもなっている。本文において、名前だけが書かれていたような人物*2についても、5行程度の説明がつけられている。
本文を読みながら、巻末の人名索引と年表を適宜参照しながら読んでいくのが、なかなか楽しかった。


新書二冊でできる限りの、哲学史が展開されているように思う。
まえがきで記されているとおり、テクストの引用も多くなされている。
初心者向けのキーワード集的な入門書とは全く違う、個々の哲学者の思考や論旨についてかなり詳細に紹介されている。それでいて、タレスからハイデガーウィトゲンシュタインレヴィナスまで、2冊で全30章、古代から現代までの哲学史を描き出しているのだから、実に壮大な本である。
さらに、全体を通して、大きな一つの流れを読み取ることができる。
哲学と一言で言っても様々な論点があるし、それは1人の哲学者の中ですらそうである。この本は、その中でも特に存在論を重視して記述している。なんといっても存在論というのはやはり哲学の中心であろう。
ある哲学者の問いが、他の哲学者に対してどのような影響を与えたのか、といったことも書かれている。
この本がまさに「哲学史」であるのは、個々の哲学者や学派や主義の紹介にとどまらず、それらがどのように関わり合っているのかを示そうとしているところにある。
例えば、古代ギリシアや中世スコラの哲学者の問いが、近代や現代の哲学者にとっても、やはり重要な問いとなっていることが、適宜紹介されている。


「古代から中世へ」は、そもそも古代哲学や中世哲学について知っていることが非常に少なかったこともあって、とても刺激的であった。
中世といえば普遍論争が有名であるが、「一つ」であることや「在る」ことを巡っての、流出や分有や類比などの議論やあるいは時間を巡っての議論などは、なかなか精緻で興味深いものばかりだった。中世が、哲学にとっての暗黒時代であるなどということが、全く違うと言うことがよくわかる。
プラトニズムとヘレニズムが出会うことによって、「神」や「永遠」といった概念が鍛え上げられていく。
古代に関しても、ソクラテス以前やヘレニズム期の哲学に関して、複数の章が割かれており、従来の入門書的な哲学史だと、近代哲学と比して短くなりがちなこの時期が、詳しく書かれていた。
後世への影響などという点で、ストア派がかなりフィーチャーされている。スピノザやカント、ひいてはフーコーにまでストア派の影響が見られるという説もあるという。また、ストア派というと倫理学が有名だが、彼らの論理学が紹介され、そこにフレーゲ的な意味と意義の区別のような区別が既になされていることなどが指摘されている。
また、古代懐疑論ストア派、あるいは教父哲学との関係なども書かれている。


「近代から現代へ」は、当然のことながら、デカルトから始まる。
とはいえ、大陸合理論vsイギリス経験論、そしてカント哲学へ、といった教科書的な哲学史の流れを必ずしも踏襲しない。
本書は、イギリスで大陸とは異なるものの考え方が生まれ育ったことを描きつつも、同時にイギリスと大陸が断絶していたわけではなく、相互交流が活発であったことも指摘する。
カントが重要な哲学者であるのは確かであるが、カントを中心とするかのような哲学史観を相対化するような視点も、さりげなく混ぜられている。
近代哲学の中では、ライプニッツというのが、やはりすごい偉大な人間だったのではないかと思う。「ラッセルは、ほとんど人類の知の歴史全体をつうじて、ライプニッツが「最高の頭脳」であったと評価する」らしい。
イギリス経験論というと、バークリとヒュームが一緒になってしまったりもしないわけでもなかったりするわけだが、本書では各人に一章ずつ割いている。個人的には、ヒュームが面白そうだなと感じた。
ルソーやヘルダーの言語論が紹介されている、というのもなかなか面白い。
そして哲学史は、ロマン主義ドイツ観念論ヘーゲルへと連なっていくわけだが、超越性や同一性というものがテーマにされていて、かなり難しかった。
新カント学派あたりが、近代と現代とを繋いでいくという感じだろうか。
さて、この本では、カント以降ほぼ一貫してドイツ系の哲学者ばかりが紹介される中で、ベルクソンに1章割かれている。しかし、このベルクソンの章は浮いている。ベルクソンフッサールと同年の生まれであること、あるいは算術についての考え方がフレーゲと比較されていることを除くと、本書で紹介されている他の哲学者とどのような関係にあるのかが示されておらず、その思考内容も、やや他の章とは異なる。
現代哲学に関しては、フランス系と英米系が全く紹介されていないのである。
ただし、ドゥルーズによるスコトゥス解釈が紹介されるなど、全く無視されているわけではなく、ラッセルやクワインの名も時折言及されている。

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

西洋哲学史―古代から中世へ (岩波新書)

西洋哲学史―近代から現代へ (岩波新書)

西洋哲学史―近代から現代へ (岩波新書)

*1:引用者注、英語、仏語、独語なども適宜引用されている

*2:たとえば、(○○宛への書簡)などというようにしか言及されていないような