戦後としてのゼロ年代

『民主と愛国』を読んでいて*1、そこに書かれている戦後日本の社会状況というものに対しては、別世界だという感覚しか持つことができないし、戦争体験というのもまあ想像不可能なものだ。
それにもかかわらず、そこで紹介される戦後思想の方には、惹かれるものがあったし、あえて言うならば、共感もした。
それは彼らが、「観念と肉体の分裂」を悔恨していたからであり、また戦死者に対する「申し訳なさ」を感じていたからである。


さて、『文藝』で高橋源一郎は、ここ10年か20年の間の文学を戦後文学と呼んだ*2
あるいは、本谷有希子腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の文庫版解説でも同様のことをいっており、仲俣暁生はそれをブログに引用して批判している
しかし、高橋と仲俣共に、バブル経済が日本を「崩壊」させたと考えている点で近い*3
さて、僕もやはり、おそらく90年代初頭あたりで、日本は一種の「戦争」へと突入したのだろうと思う*4
僕の場合、年齢的にバブルの記憶は全くないので、この「戦争」がバブルによって引き起こされたものであるのかどうかもよく分からない。
一番古いニュースの記憶が、多分雲仙普賢岳のニュースか住専がらみのニュースで、
阪神大震災とオウム・サリン事件は、それなりに記憶がちゃんとある。
僕にとって衝撃的なのは、酒鬼薔薇事件で、それも正確に言えばその事件そのものよりは、その後何年か続く、一種の「少年犯罪」ブームである。
必ずしも直撃世代ではないのだが、まあかなり近い年齢である。


そして、中学生の頃、大体90年代の終わり頃だが、自分がなんでそういう「犯罪者」の側にいないのか、よく分からなくなっていた。
まあもちろん、今となっては、そんな「人を殺したい」とかそういうことは思っていないし、当時にしろ今にしろ、少年犯罪そのものを調べたりすることにはあまり興味がないのだが、
何というかそれが僕にとっては、「悔恨」や「申し訳なさ」を伴う一種の「戦争体験」となったといえるのかもしれない。
僕が、佐藤友哉鏡家サーガや『灰色のダイエットコカコーラ』を特に好んでいるのは、その「体験」をうまく表現しているように感じるからではないだろうか。


言語体系の転換を体験した鶴見俊輔は、そのような転換を超えて、普遍的で根本的な何かを探求しようとして、それを哲学と位置づけた。
僕は、鶴見のような体験もしていないし、ろくに勉強もしていないので、こんなこというのは大変おこがましいのだが、
僕も自分の体験の中から何か普遍的なものを見いだそうとして、哲学なんていうものをやっているのかもしれない。
一方で、自分の体験というのは、90年代という時代にも特徴付けられているところもあると思っているので、90年代以降の文学というものを読んでいるのかもしれない。


こんなふうに、自分のやっていることの動機の部分を物語化してしまうのは、ほんとはいけないのかもしれない。
つまり、ストーリーとしては確かに分かりやすいけど、そんな分かりやすくていいのってなことだけど、しかしとりあえず書いてみることにした。
ここに書かれていることは、『民主と愛国』と高橋源一郎という、あんまり関係ない組み合わせなのだけど、それが偶々組み合わさったために出てきた話、ということにしておこう*5

*1:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20080410/1207847241

*2:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20080410/1207847242

*3:ただし、仲俣はバブルそのものを、高橋はバブル崩壊をそれと見る点で異なっている

*4:その「戦争」が、08年現在、終わったか否かは定かではない

*5:それはそれとして、やはりこの「戦争体験」が自分の色々な動機となっていることは確かで、つい一ヶ月前にあったガンガン問答などには、それが色濃くあらわれている。僕はあの論争の中で、自分の主張の背景にあるモチベーションというか感情が、他の人から理解されていない感じを受けたので、それをいつか説明しようとも思っていて、それがこのようなエントリを書くことの一因となっている。来月公開することになるであろう文章は、見た目こそ全く異なるが、やはりそういうところは通底しているはずだ