稲葉振一郎『「公共性」論』

ハーバーマスアレントアガンベンあたりを中心にした、人文系啓蒙の書。
まず第一には、とにかく色々なものが紹介されている、入門書として読むことができる。
あまりにも多岐にわたっているため、説明不足となっていたりする部分もないわけではないが、人文知ないし現代思想のかなりの範囲に対して言及がなされており、様々な方面への導入にもなっている。
本書を貫いているのは、公共性とは可能か、もっといえば、公共性はあった方がよいのか、という問いである。
この問いを反復する前半部は見通しもよい。
しかし、この問いへの答えは必ずしもすっきりとはしておらず、後半の進むにつれて、分かりにくい部分も出てくる。
ただし、やっていることはずっと同じことの反復ともいえるので、決して難しい本ではない。


稲葉は、公共性を「生活世界」と「社会システム」のズレを克服しようとしていくことと定義する。
「社会システム」というものは、人工的なものであるので人為的に変化させることができる。だがその一方で、それは個人にとっては所与のものであり変化させることができない。「社会システム」のこの両義性への感覚を持ち合わせることが、公共性の感覚である。
ところで、「社会システム」が十全に機能しているのであれば、それをあえて変化させる必要はない。そもそも、いくら人工的なものとはいえ、個人にとって「社会システム」とは所与の環境である。「社会システム」の両義性に対する感覚を持ち合わせる必要性はないのではないか。言い換えるならば、「動物化」した生を送っても構わないのではないか。
稲葉は、この「動物化」を決して否定しない。むしろ、当然の選択肢として擁護する。しかし最終的には、完全な「動物化」は認めない。「動物」的な人間でも、いつでも「人間」的な人間になれるような、公共性の確立を目指すというような立場を目指す。


第三章人工環境のエコロジーでは、公共世界について論じられる。
ここがなかなか面白い。
アレントに則ってまずは「都市」や「建物」が挙げられ、さらに書物や出版といったメディア空間に触れ、コミュニケーションと言語についても論じられていく。
公共空間ないしコミュニケーション空間に関して、ゲーム理論、言語理論を通して論じるのは、いわゆる学際性を感じさせて面白い。
また、「公共空間の構造転換」が、ミクロなサイズでも反復されているということも述べられている。


続いて、リベラル・コミュニタリアン論争や、リベラリズムとリベラル・デモクラシーの違いなどを論じながら、リベラリズムとはどのような思想であるかを明らかにしていく。
そして、アレント全体主義論、アガンベンホモ・サケル、例外状態を使いながら、「幸福なホモ・サケル」「よき全体主義」の可能性を論じていく。
つまりそれは、「動物」的人間として生が一体どういうものであるのか、そしてそれを一概に否定することはできないのではないか、ということを明らかにしていく作業である。消費社会における「動物」的人間とは「幸福なホモ・サケル」ということなのではないか。全体主義環境管理型権力は、収容所型権力として機能する一方で、テーマパーク型権力としても機能するのではないか。
「よき全体主義」も「幸福なホモ・サケル」も理論的には十分にありうる。
それを認めた上で、しかし、そこからの脱出を目指す。
全体主義の被害者になることを想定すると、しかしそもそも「よき全体主義」が理論的に可能である以上、全体主義を拒否できない。一方で、全体主義の加害者になることを想定すると、そもそもそのような全体主義を維持する理由、必要性が全く思い当たらない*1
被統治者の立場から全体主義動物化を批判することは、実は難しい。
しかし、統治者の立場にたってみると、効率という点で、全体主義動物化は望ましくない。稲葉はそこに、動物化からの脱出の契機を見いだす。


最後には、左翼のあり方というものも論じられている。
さらに、憲法学や市場主義に関する論争もとりあげられている*2


何度も言うが、かなり多岐にわたるトピックが取り上げられているので、これ以外にも色々な論点はあった気がする。細かいところで、面白いところも色々ある。


追記(080322)
来日中止で、今何かと話題のネグリへの言及もある。
稲葉は、ネグリマルチチュードに否定的。どちらかといえば、マルチチュードの元ネタと思われる、ドゥルーズの「少数派(マイノリティ)」の方を評価しているよう。

「公共性」論

「公共性」論

*1:このあたりの議論で、パトナムの「水槽の中の脳」が何故か取り上げられている。人文知の多くの分野への導入としてこの本が機能するのであれば、分析哲学の議論が入っているのは望ましいが、果たしてこの議論の文脈の中で、必ずしもあれだけの頁数を割く必要があったのかはよく分からない。個人的には嬉しいけど

*2:最後のこの2つは、ちょっと難しかった