『ユリイカ2008年3月号』、『SFマガジン2008年4月号』

ユリイカ2008年3月号』「特集*新しい世界文学」

このブログを見ていれば一目瞭然ですが、僕が読んでる小説の範囲は、ほんとにごくごく狭いです。日本人の作家はまだかろうじて分かったとしても、海外の作家は全然分かりません。
というわけで、今月のユリイカを見て、これは好都合、これを機に勉強してみるかと思ったり思わなかったりしたわけです。


冒頭、若島正管啓次郎桜庭一樹の鼎談。
ぼーっと眺めていたのだが、途中でよく分からなくなってきたので飛ばす。
今月号のユリイカの見所はやはり、実際に9編の短編小説が翻訳されて掲載されているところだろう。
自分の知ってる名前は一つもない*1
作者の情報が載っていないので、一体どこの国の(どの言語圏のどういうエスニックの)人なのか、あるいは何歳くらいの人なのか、他には何を書いているのか、どういう経歴の人なのか、さっぱり分からない。
もちろん、そんな作者の情報など、当の作品には関係ないじゃないかといわれればそれはそうだし、知りたきゃググればいいんだけど。
とはいえ、ホントに何も分からない人の作品を読む、というのも普段はなかなかしない体験だと思う。
載ってるのは全て短編なのだけど、その中でも特に短い、見開き1枚とか1枚半くらいの掌編だけを読んだ。
『ジム』ロベルト・ボラーニョ、『動物小寓話』イグナシオ・パディージャ、『夕暮れの儀式』エドムンド・パス=ソルダンの3つ。
親父が娘のセックスを覗いてハアハアしてる『夕暮れの儀式』が、まあ一番読みやすかった。


千野帽子海猫沢めろんは、冒頭だけ読んで、具体的な作家の話になると分からなくなるので読み飛ばした。
グローバリズムのかげで、祈ること(二〇〇〇年代の若手アジア系小説家による小説を読んで)」江南亜美子
ジュンパ・ラヒリ*2以降、イラン系、中国系、マレーシア系などのアジア系作家が沢山出てきたらしい*3
彼らは、文化Aと文化Bの対立というような作品は書かない。彼らの作品の主人公は、みな文化Aに属している*4。だが、生活の何らかのきっかけで、文化Bが見え隠れしてあーだこーだ、というような作品が書かれている。
アメリカの中に孤軍奮闘するベンガル人、というのではなく、既にアメリカ人として普通に暮らしているのだけど、ふとしたきっかけでベンガルとしての特徴が浮かび上がるような。
やや雑な言い方をするのであれば、大きな物語ではなく小さな物語を書くとでもいえばいいのか。
自分の文化が絶対だと考えるのがプレモダン、文化、価値観はそれぞれなので統一した規範を持とうというのがモダン、規範の統一化も無理だから多元主義でいこうというのがポストモダンだとして、911はモダンとポストモダンの両方に限界を突きつけるような事件だった。
そんな中、このようなアジア系作家の作品は、ポスト911たらんとする作品なのではないか。


「チャイニーズ・イノセンス(郭敬明現象が語るもの)」福嶋亮大
まず、前半は現代の中国における、若者向け小説の状況が語られる。
これだけで実は結構面白い。
「日本化」と呼ばれる現象が起こっている。中国における日本の小説というと、村上春樹が有名だが、「日本化」というのは今ではほぼライトノベル化。
中国のライトノベルみたいなのが、「80後」という世代によって、書かれ読まれているらしい。郭敬明というのは、その中心となっている作家。
郭が『最小説』という雑誌を作って、ムーブメントを起こしているらしい*5。ネットでもばんばん自作を全文公開しているとのこと。
それからその次の世代は、少女マンガをそのまま小説にしたような作品が出てきている。
中国では、マンガ・アニメなどの視聴覚メディアに関しては、政府の援助がありながらもあまり伸びていないのに対して、マンガ・アニメの影響を受けた形での小説(ライトノベル)の方が伸びているらしい。
さて、後半は、郭敬明に絞って話が進む。
福嶋は直接この言葉は使っていなかったが、環境分析的な手法であった。
その1、郭敬明という作家は、かなり郭敬明自身を売りにしている。
デビュー作からして盗作疑惑のかけられた郭*6は、しかし逆にそのスキャンダル故に一気に世に知られるようになった。
さらには、共に『最小説』を立ち上げたデザイナーである友人と、壮絶なケンカをして、お互いのブログ上でも罵倒の応酬を行い、結果としてその友人の方は『最小説』をやめて別の雑誌を立ち上げたとか。
憧れのスター、としてではなく、身近にいる感じでキャラを立てて売っているとでも言えばいいんだろうか(^^;
その2、郭敬明という作家の文章には、独自の「変換の規則」がある。
中国では、郭敬明のように小説を書く方法という本が出されていて、その本に従うと郭敬明そっくりの文章が書けるらしい。
中国語が分からないのでよく分からないが、彼独特の言い回しがあるのだろう。
日本で言えば、村上春樹風の文章を書いてみたり、ケータイ小説風の文章を書いてみたりすることが比較的容易にできるように、郭敬明風の文章というのが書けるということなのではないかと思う*7
ここらへんのことは、福嶋が最近のブログでもよく書いていることなので、なかなか面白く読めた。
郭敬明の作品について、というよりは、郭敬明がいかに中国文学の環境を変えたのか、ということが論じられていた。
最後に一つだけ、中国人の名前にルビかなんかをふることはできないんだろうかなあ。

SFマガジン2008年4月号』

From the Nothing, with Love.」伊藤計劃

アクロイド殺しとかナイスボートとか。
あんまり見つけられなかったけど、そういうギャグというかパロディネタというかが結構しかけられていた模様。
何しろ、イギリスを舞台にしたスパイ+探偵ものだしね。
それから、リベットとか分離脳の実験とかそういうネタも出てきて、最終的には哲学的ゾンビの話になっていく。
虐殺器官の時からそういう作風だったけれど、今回はさらに詰め込むだけ詰め込んでいる感がある。
ネタバレながら、話の内容を書いてしまうと
意識なんてユーザーイリュージョンなんで、スパイとしての機能が異常に高められた主人公には、意識などという機能の必要性がなくなったので、最終的に意識がなくなって、主人公というか語り手は哲学的ゾンビになってしまいましたとさ、となる。
でもそもそも、語り手が哲学的ゾンビであるかどうかなどということは判断しようがないよね、という解説までちゃんとついてくる。
このテーマってすごく面白いテーマだし、意識がなくなることについての説明とかが面白かったので良かった。
ただ、私はクオリアを感じないとか、くどくどと言い過ぎなような気がしなくもない。
現象的意識と書き手、語り手であることとで、もっと色々と考えられそうな気がする。

The History of the Decline and Fall of the Galactic Empire円城塔

なんじゃこりゃ!?
ほんとわけわからんよ。
思わず途中で読むの辞めようかと思ったけど、途中まで読んでいったら読むのが辞められなくなった。
テキトーな文章を自動生成するようなプログラムがネット上にはよくあるけれど、その出力を延々と並べたような感じ。
編集部からのコメントで、『Boy'sSurface』を読み解くためのヒントが載っている。章番号に注目せよってことなんだけど。


あ、『ちくま』の伊藤剛のを読もうと思ってたんだけど忘れてた。ってかどこに行けばあるんだ。図書館に入るのを待つか。
ちなみに、ユリイカは図書館で、SFマガジンは立ち読み。

ユリイカ2008年3月号 特集=新しい世界文学

ユリイカ2008年3月号 特集=新しい世界文学

S-Fマガジン 2008年 04月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2008年 04月号 [雑誌]

*1:ケリー・リンク(訳=柴田元幸)、ミランダ・ジュライ (訳=岸本佐知子)、ヴラディーミル・カミーナー(訳=秋草俊一郎+甲斐濯)、ロベルト・ボラーニョ(訳=久野量一)、イグナシオ・パディージャ(訳=久野量一)、エドムンド・パス=ソルダン(訳=安藤哲行)、セサル・アイラ(訳=久野量一)、ヨハン・ハルスター(訳=西田英恵)、アニー・ベイビー(訳=泉京鹿)

*2:名前だけは知ってるぞ。でも、インド系だってことは知らなかった

*3:もちろんそれ以前にも沢山いるのだけど、筆者は一応区分線を引いてみせる

*4:作中の主人公と作者のアイデンティティは必ずしも一致しない。WASPの主人公を書いていることもあるらしい

*5:作家が雑誌作ってるみたいなんだよなあ、結構

*6:しかも敗訴している

*7:だから、その本は一種のジェネレータなんだろう、多分