トマス・ピンチョン

今日は集中授業で、別にピンチョン以外のことも色々やったのだけど、ピンチョンの話が面白かったので、書いておくことにする。
ピンチョンの経歴自体が、あまりにもお話じみている。


1937年、ニューヨーク州ロングビーチ*1に生まれる。
アメリカ最古の家柄で、最初に渡米してきたピューリタンの子孫。
ピンチョン家に関してはwikipediaがさらに詳しい。
家柄がよいだけでなく、頭もよく、16歳で高校を卒業しコーネル大学機械物理学科に進学する。
在学中に兵役に行くのだが、戻ってきたピンチョンは、英文科に転科する。
名門のいいとこの出だったわけだが、兵役から戻ると、カウンターカルチャー的なファッションである顎髭を生やしていた。
また、創作科のナボコフに師事していたらしい*2
最優秀な成績でコーネル大学を卒業。全科目がAだったらしい。
その後、ボーイングに就職、設計をやっていた。
1962年、メキシコでデビュー作『V.』を書き上げる。
そしてこれ以降、ピンチョンの経歴が分からなくなっていく。
どうも、メキシコとカリフォルニアを行き来しながら生活していたらしいが、はっきりとは分かっていない。この頃、ドラッグに関わることもやっていたということらしい。
1966年『競売品49号の叫び』*3
1972年『重力の虹
1984年『スロー・ラーナー』
1987年マッカーサー基金からGeniusGrant31万ドルを受ける。
1990年『ヴァインランド』
1997年『メイソンアンドディクソン』


ピンチョンがどういう生活を送ってきたのか、送っているのか、というのはほとんど明らかにされていない。
写真もほとんどない。
海軍時代の写真が、授業のレジュメに載っていたのだが、これがほぼ唯一の顔がはっきりと分かる写真らしい*4
もちろん、インタビューなどにも答えていないし、公の場には出てきていない。
ピンチョンの妻が原稿のエージェントをやっていたので、ピンチョンの正体を掴もうとその後をつけたが失敗したとか
コーネル大学で関係者にピンチョンについて聞こうとしたところで、答えてもらえなかったとか
さらにすごいのが、
高校時代の成績を調べようとしたところ、その研究者が高校に訪れる前日に、成績が保管されている倉庫が燃えたとか。


先生は、メタフィクションを書いてきているピンチョンのことなので、作家である自分自身をもフィクション化しようとしているのではないか、と解釈していた。
今、この記事を書く前にググって見たところ、
松岡正剛はそんなに気にすることではないということを述べている。
一方、山形浩生はピンチョンを日本案内したらしい。最後についている、編集部注がまた面白い。

*1:『グレート・ギャッツビー』の舞台

*2:50年代後半には、アメリカの大学には創作科がもうあったのか、と思った

*3:ピンチョンを最初に読むならこれがいいと言われた

*4:wikipediaにも載っている。同じく、wikipediaによると、98年に息子と歩いているところをパパラッチされたらしい