『人物で語る物理入門』米沢富美子

物理学史の勉強。
アリストテレスアルキメデスから始まって、サンタフェ研究所を立ち上げたゲルマンまで、全15章で新書2冊に収まっている。この長さにこれだけの分量が詰め込まれているのはすごい。
物理学の理論や内容についてちゃんと知るのは、この本だけでは難しいけれど、物理学の門外漢にとってハンドブックとしてちょうどよい。
物理入門と銘打っているわけなので、もちろん多くのページは、〜の原理とか〜の法則についての説明にあてられているのだけど、「人物で語る」とあるように、各物理学者の伝記としても読めるようになっている。
また、本書の特徴としては、特に原爆開発を巡って科学者の倫理に関する作者の私見や、あるいは女性科学者に関する記述が多い。
人物伝の部分に注目して、以下まとめてみる。

ニュートン

学業の道に進むこと母に理解されなかったため、仕送りがほとんどなかった。そのせいで、チューターや下働きをしながら学生生活を送っていたらしいが、元が荘園領主の息子なのでそういう下働き的な立場が嫌で、孤独癖になっていった。
そのせいなのか何なのか、
後半生は、権力の40年などともいわれ、造幣局長官、王立協会会長の座を死ぬまで譲らず、また議論にあたっては非常に高圧的な態度だった。業績の先取権を巡り、何人もの学者と論争し、論破しまくったとか。

ホイヘンス

というと、土星探査機カッシーニのプローブの名前という程度の認識だった*1
彼は、土星の衛星タイタンや輪を発見した。
数学に非常に長けており、ガリレオが発見した「振り子の等時性」を理論化して、航海用の時計を作ったりした。
オランダ出身だが、パリに渡り、数学者のパスカルフェルマと交際、財務長官コルベールからの支援をうける。また、1666年に、ルイ14世によってフランス科学アカデミーが出来たときに、外国人会員となる。
ホイヘンスは、光学の分野で、「ホイヘンスの原理」という形で光の波動説を提唱する。
一方その頃、イギリスではニュートンもまた光学の分野を研究し、光の粒子説を唱える。
18世紀の科学の世界ではニュートン説が専制的となり、ホイヘンスの波動説は19世紀になるまで顧みられないことになる。

ボルツマン

マクスウェルの「気体分子運動論」をさらに鍛え上げ、統計力学の基礎を作る。
これは科学の世界に「統計的扱い」という方法を持ち込んだことになる。
さらに、エントロピーの法則の不可逆性を説明するために「確率論的に考える」ことを始める。
彼の熱力学、統計力学というのは、原子論を前提としている。
ところで、当時原子の実在はまだ証明されていなかった。とはいえ、英語圏では原子の存在は普通に受け入れられていたのに対し、ドイツ語圏ではエネルギー論という反原子論が主流であった。
エネルギー論の大御所が、かのマッハである。
マッハの影響力が非常に大きかったために、ボルツマンはドイツ圏内ではほとんど1人で原子論を擁護しなければならなかった。その心労のために、抑鬱症となり、62歳の時に自殺してしまう。
この本を読むと、原子論を頑ななまでに認めなかったマッハは完全に悪役である。
マッハが原子論を認めなかったのは、彼の実証主義という哲学に相反していたからである。
何を存在者として認めるか、どのような方法論によって存在者として認められるか、という科学哲学の問題である。
作者は、ボルツマンの功績の一つとして、ボルツマンがマッハと論争してくれたおかげで、以降の科学者は不毛な哲学論争に巻き込まれなくてすむようになった、と挙げている。
科学者から見ると、かような科学哲学のようなものは「不毛」でしかないのかもしれない。
とはいえ、哲学の世界では、いまだに実在論論争というのは続いているわけで、哲学者サイドから見ると面白いところだし、マッハの言い分も分からないでもない気がする*2


プランクアインシュタインにも影響を与えて、量子力学の祖父ともいわれる。
プランクはエネルギー論寄りだったらしく、自分のエネルギー量子仮説を作る際に、苦肉の策としてボルツマン的な考え方(量子)を取り入れた。そして、量子というのは理論のために導入した概念であって、物理的実体はないと終生思っていたらしい。
まあ確かに存在しているかどうか、というのは、科学として議論するのは不毛かもしれないけれど、かといって全く気にかけずにやる(いずれ実験で証明されるはず)というのもまた違うような気はする。

アインシュタイン

相対性理論の解説というのは、あちこちで読んだことがあるが、アインシュタインの人となりやら何やらというのはそういえばあまり知らないことに気付いた。
1905年、奇跡の年ともいわれるこの年に、「特殊相対性理論」「光電効果」「ブラウン運動」に関する3つの論文が発表される。
ここで、先取権の話を。ニュートンも先取権を巡って論争をしていた。
特殊相対性理論に関していえば、数学者のポアンカレアインシュタイン以前に同様のことを既に主張していたらしい。ところが、アインシュタインポアンカレについて全く言及しておらず、ポアンカレは、本来穏やかな人柄だったが、生涯アインシュタインのことを許さなかったとか。
あるいは、ブラウン運動。これは、先述のボルツマンがかなりいい線までいっていたらしい。また、ポーランドのスモルコフスキーという学者が、アインシュタインよりも早く同じ説に達成していたのだが、実験結果も用意しようとして発表が遅れてしまった*3
1915年、一般相対性理論が発表される。
これは、イギリスのアーサー・エディントンの観察によって検証される。ところで、当時はちょうど第1次大戦中であった。作者は、ベルリンのアインシュタインの仕事がイギリスで検証されるということに、科学が国境を越えるということを見ている。
さて、アインシュタインの人となりというのは、イメージを維持するために、ある時期までプライベートな資料が非公開になっていたらしい。結構、かんしゃくもちだったとか、あるいは妻に暴力を振るったという話もあるとかないとか。
この妻、ミレヴァ・マリッチアインシュタインと同じく、チューリヒ連邦工科大学で物理学を学ぶ才媛であった。学生時代は、アインシュタインと物理学の議論を交わすなどしていたらしい。だが結婚後、家事や育児に追われ研究からは遠ざかることになる。アインシュタイン自身が、家庭のことをほとんど顧みず、ミレヴァには全く物理学をさせなかった。
その後、アインシュタインは、従姉妹のエルザと不倫をし、ミレヴァとは離婚、エルザと再婚する。さらにその後も、女性問題は絶えなかったらしい。

オッペンハイマー

原爆の父として有名だが、実際のところ、どういう人だったのかよく知らなかった。
「トンネル効果」を発見、中性子星について研究し、ブラックホールの存在についての議論もした。
また、新粒子の存在を予言し、その際、湯川秀樹の論文を世に知らしめることに貢献した。
カリスマ教授として人気を博し、1943年、ロスアラモス研究所の所長に就任する。6000人が働くこの研究所で、リーダーシップを発揮した。
人望が厚く、奉仕精神に富んだ人だったらしい。
戦後、英雄として祭り上げられるが、マッカーシズムの時代の折、ソ連スパイ容疑をかけられる。
だが、プリンストン高等研究所は、オッペンハイマーを所長に再任、その他多くの科学者が彼を支持した。
彼は、原爆を開発した悪の科学者として語られることが多いが、ことは必ずしもそう単純ではなかったのではないか、と。
ところで、アメリカの原爆開発は、ヨーロッパからアメリカへ亡命してきた科学者達のナチスドイツへの怒り、警戒心からスタートしたものだが、アメリカ政府はナチスに原爆開発能力がないことが判明した後も研究を続行させた。政府は、投下先として日本を検討していたが、科学者達にはほとんど知らされていなかった。あるいは止める手段をもてなかった。
そんな中、ナチスに能力がないことが判明した時点で、計画から離脱した科学者にロートブラットという人がいる。彼はのちに、ラッセル-アインシュタイン宣言に署名、パグウォッシュ会議を創設した。

ハッブル

宇宙望遠鏡に名前を残しているが、やはりどういう人だったのかは知らなかった。
とにかく小さい頃から宇宙観測が好きで、天文台に勤めて、かなりハードな研究生活を送っていたらしい。
交友関係がなかなかすごくて、ストラヴィンスキーチャップリン、ディズニー、アインシュタインらを天文台に招いていたりしたとか。

バーディン

全く名前を聞いたことがない人だったが、ノーベル物理学賞を2度受賞している、「天才」である*4
彼の業績は、トランジスタの開発と超伝導の理論的解明である。
彼はそれだけの業績を残しながらも何故有名でないか。それは、アインシュタインファインマンのようにキャラが立っていないからだ。プライベートではごく普通のお父さんだった。それが実は天才科学者だったのである。

ゲルマン

これまた、名前を聞いたことがない人だった。
クオークを提唱した人である。
クオークが『フィネガンズ・ウェイク』から取られていたのは知っていたが、アヒルかなんかの鳴き声らしい。
素粒子物理学をやりながら、ジョイスを愛読する人って、とんでもないなあと思う。
80年代になって、素粒子物理から離れて複雑系に興味を持ち、86年サンタフェ研究所を設立、所長となる。

研究の仕方

17世紀の物理学者は、軒並み、学者であると同時に職人でもあった。
望遠鏡などの実験道具を手ずから作っていたからである。
優れた学者になるためには、優れた職人でもなければいけない時代だった、と。
実験と数学、この二つが必要になる。
この二つともを有していたのが、例えばホイヘンスで、職人としても有数であったし、数学にも長けていた。
時代を19世紀に移すと、電磁気学の分野にいて、ファラデーとマックスウェルがいる。
ファラデーというのは「最大の実験科学者」ともいわれるらしい。そして、ファラデーの発見した色々なことを数学へと落とし込んでいったのが、マクスウェルといえるのではないだろうか。
実験、というと、オッペンハイマーは優れた理論物理学者ではあったけれど、はんだ付けもうまくできず、それによって一時期かなり精神的にまいってしまったことがあるらしい。


20世紀以降の物理学史の中には、有名な研究所がいくつか出てくる。
1921年開設、コペンハーゲンのボーア研究所。
「世界に開かれた研究所」をコンセプトにし、20年代に17カ国63人が来訪、「コペンハーゲン詣で」なる言葉も生まれる。
この、どこの国の人間でも自由に研究できる「コペンハーゲン精神」が、のちに作られる研究所においても大いに参考にされてきた、と作者は述べる。
それは例えば、プリンストンであったり、サンタフェであったり、あるいは日本の仁科研究室であったりだという。


また、時代があとになるにつれて、共同研究が増えてくる。
例えば、バーディンは、分野の異なる学者との共同研究を行っている。
この本の中では、バーディンがチームワークによって業績を成し遂げたことが書かれている。
また、女性科学者の1人として、マリー・キュリーとともに紹介されている、リーゼ・マイトナーも共同研究をしている。彼女は、ボルツマンの講義を受けていたく感動したが、当時は女性が大学に入学できなかったり、研究所には入れなかったりもしていた中で、かなり粘って研究者となった。
ハーンという化学者と物理学者のマイトナーによる共同研究は、一度別離したこともあるものの、上手くいっていた*5。だが、ユダヤ人であるマイトナーは、ナチスの台頭によって亡命する。すると、ハーンは、マイトナーの名前を消して論文を発表した。
マリー・キュリーは、2度目のノーベル賞受賞に際して、あえて「私たち」ではなく「私」という人称を強調して使うことで、夫の単なる手伝いに過ぎなかったという中傷に応えた。
それに対して、マイトナーはハーンのことを抗議するようなことはまるでなく、自伝も書かず、生前は伝記も書かせなかった。
1966年、マイトナーが88歳の時、ハーンとフェルミ賞を共同受賞することで名誉は回復された。

個々の学者の生い立ち

生まれを見てみると色々な人がいる。
ホイヘンスは、祖父、父ともに大臣の名門で、デカルトがフランスからオランダへ移り住んできた際、客人として招いていた。それで、ホイヘンスは、デカルトから学んでいる。
ニュートンは既に書いたが、荘園領主の息子。
ファラデーは鍛冶屋の息子で、製本屋で働きながら論文を読んでいた。
マクスウェルは、スコットランドの領主の息子で、親に連れられてエディンバラの学会とかにいったことがあり、14歳の時には初めての論文を書いている。
エネルギー効率の限界(熱力学第2法則)を発見した、フランスのサディ・カルノーは、政治家にして数学者のラザレ・カルノーの息子で、諸国民戦争で対仏同盟と戦った。フランスの敗因は産業の遅れにあると考え、18歳で研究を始めた。
ジュールは、豊かな醸造家の息子で、学校には行かず、一生、独学で研究していた。
ボルツマンは、収税吏の息子。
アインシュタインの父親は、事業を興しては失敗していて、裕福な家庭ではなかった。中学を中退、16歳でチューリッヒ連邦工科大学に入学するが、真面目に授業を受けていなかったので、大抵の学生が研究職につくなか、卒業後就職先がなかった。
ボーアは、コペンハーゲン大学学長の息子。1人で考えをまとめたり、文章を書くことが苦手で、人と話しながら考えをまとめ、論文は全て口述筆記させていた。
オッペンハイマーは、父が実業家、母が画家で、メイド、執事、運転手のいるかなり裕福な家庭で育った。
バーディンは、父が医学者、母がインテリアデザイナーオッペンハイマーは1904年、バーディンは1908年生まれ。この時代のアメリカは、こういう共働き夫婦ってよくいたんだろうか。
湯川は、地質学者の息子で、兄弟も学者揃い。
朝永振一郎は、哲学者の息子。
ゲルマンは、ニューヨークの貧しい家庭に生まれるも、幼い頃から神童っぷりを発揮。先生が間違うと、すかさず指摘する子供だった。その攻撃的な性格は大人になってからも残っていた。


*1:本書でも、その話題が枕となっている

*2:原子論に関していえば、マッハは間違っていたわけだからその点は擁護できないだろうけど。あと、存在者かどうか、と、実在するかどうかはまた別の問題なので、必ずしも現代もマッハの時代と同じことが問題なっているわけではないが

*3:アインシュタインは理論と実験の方法のみを発表、1908年にジャン・ペランがアインシュタインの論文を受けて実験する

*4:ノーベル賞を2度受賞している人は他にもいるが、物理学部門を2度は彼1人らしい

*5:ただ、マイトナーが主の研究であっても、論文の筆頭にハーンの名前を挙げていたらしい