「国家・暴力・ナショナリズム」@東工大

1月22日17:30〜20:40くらい
東浩紀北田暁大萱野稔人中島岳志白井聡


レポートはすでにいくつか上がっているみたいだし、『思想地図』にも掲載されるっぽいので、ここでは書きません。
むしろここでは、シンポで語られた内容よりはむしろ、面白かったこととか雰囲気とかを書く。
一応、内容は書き留めていて、ルーズリーフ4枚半(9ページ)くらいの分量*1
東を筆頭に、喋るのが早いので、腕が疲れたw


東自身が、抽象的なことをやりたいと言ったとおり、抽象的というか原理的な話が聞けて、勉強になったし、とても面白かった。
書くのに必死で、あんまり聞きながら考えるということは出来なかったけれど(^^;
聞いていてとても納得した。


600人収容の講堂で、満席。
「立見の人は、前の方に空いてる席があるので休憩時間にそちらに座って下さい」ということを、話の途中に東が言うくらいの混み具合。
多分学生が一番多かったと思うが、どの年代も満遍なくいた。老若男女あわせて600人集まるっていうのは、シンポジウムとしては珍しいしすごいと思う。


基調報告
北田:社会構成主義的ではない、言葉、理論をやろう
白井:現状は、国民のいないナショナリズムとなっている*2
中島:原初性の偽装を退け、「方法としてのナショナリズム」を
萱野:国家とは暴力の権利の源泉である*3


18:40頃、10分間の休憩。
ロビーで本が売っているというので見に行く*4
NHKブックスばっかり売っているw
萱野の『国家とは何か』『権力の読み方』以外は、全部NHKブックスだった
東・北田とか東・大澤とか北田単著以外に、竹田青嗣西研大澤真幸宮台真司、仲昌正樹、稲葉振一郎立岩真也が置いてあって、白井、中島の本はなかった。
う〜ん、それってどうなんだ(^^;


ディスカッション
東が、「主権」とは何か、ルソーの一般意志とは何かという話から始める。
それに対して、中島、萱野が応答する。
ナショナリズムと主権の話になり、東がメンバーシップ抜きで政治はやっていけないだろうか、メンバーシップの話をすると循環に陥るとふると、ほぼ全員が、メンバーシップ抜きは無理だろう、と応答する。


東と中島・北田が対立(?)していて、その中間くらいに萱野がいるくらいの感じ。
白井は、どちらかといえば東よりなのかなあ。
白井は、東のことをメタ・アナーキズムと名付けていた。
やっぱり良くも悪くも、東は学者ではなく、白井、中島、萱野というのは学者なのだと思う。
その両者が議論することで面白い化学反応も起こるだろうし、話がうまく噛み合わないということもある。
東だけが、視点も語り口も全く違う。語り口に関して言うと、東だけは「〜みたいなそんな感じなんだけど」という口調で軽いし、喩えを多用する。
そんな東に対して、中島は途中からうまく応答できなくなっていったように思う。
一方で、萱野は何とか食いついていって、東の議論を、中島の議論とも接続できるようにしようとしていた感じがする。
休憩時間、お客さんの中にいた学生が誰かの雑談が耳に入ったのだけど、「難しいけど、萱野のが一番分かりやすかった」と言っていた。
これは勝手な想像にすぎないが、パリに留学していることが大きいのではないだろうか。
つまり、ディベートなり何なりの訓練をしてきたのではないか、と。
この5人の中で、萱野が一番話し方がうまい。
まず、声が大きい。
話し始める前に、言うことがある程度まとまっている。
話している途中で思いついたことを、不意に挟んだりしない*5


質疑応答は、休憩時間の間に、事前に配られていた紙に書いて提出しておくという方式で行われた。
そこでも、「難しい」という意見が多かったらしい。
「分かりにくくて難しい話をする」のが目的というのが東だが、そこまで難解な話をしていたかどうかは疑問。
難解に感じられた理由としては、彼らの話すスピードが速いせいと、北田や中島の場合はさらに、固有名詞を挟むことが多いせいだと思う。
確かに原理的で抽象的な話をしていたとは思うけれど、それは別に難しさとは関係ないと思う。
難しくない、といっても、やさしいというわけではない。
何を言っているか分からない、というレベルではない、ということ。
ルソーの一般意志云々は確かに難しい部分があったし、メンバーシップの話は多少話が噛み合っていなくて分かりにくくなっている部分もあった気がしたけれど、基調報告の段階ではそれほどそういうことはなかったと思う。


その他エピソード的なこと

  • その1

席の前に貼られている「萱野稔人」の名前が間違っている!
始まる前に誰かが気付いたらしくて、外していた。休憩時間には、修正版が貼られた。

  • その2

白井聡は、1977年生まれでこの中で一番若いのだが、時々「東さん」と言おうとして思わず「東」と言っているところがあった。
論文とかで人の名前に言及するときは、敬称を省略するのが普通だけど、口頭で話す時は「さん」付けする。というのは、当たり前といえば当たり前のことではあるけれど、何だかそこにギャップみたいなものを僕は感じることがあった。
だから、白井聡が思わず「東」と言ってしまうのに、親近感? じゃないけど、プロでも混乱してしまうことがあるんだ、と思った。

  • その3

ディスカッションの途中で、トイレか何かで席を立ったかやのんだったが、ステージの脇にある扉が鍵がかかっていて開かない!
東「萱野さんはどうしたんですか」
結局、客席のドアから出ていく。
東「このまま続けてもいいんですよね」

  • その4

ディスカッションの終わり頃、客席から小さい子供のむずかる声が。
東と北田、それを気にし始める。
東「すいません、多分僕の娘です」


*1:僕は大体、大学の1コマの授業の板書量がルーズリーフ1ページくらい

*2:ロバート・ライシュの議論

*3:社会構成主義との絡みでいうと、「フーコーは社会構成主義じゃない」と言ってた。かやのんはフーコー研究から研究を始めたらしい

*4:そういえば、東以外は単著を読んだことがない

*5:学者にはこのタイプが多い。話しながら、思い出したことを次々と付け加えていくので、途中でどこが本題で、どこがおまけの話なのか聞いていて分かりにくくなるタイプ