『バベル』

これで、去年のメキシコ人監督三大映画(?)を全て見たこととなった。
すなわち、キュアロン『トゥモロー・ワールド』デル・トロ『パンズ・ラビリンス』、そしてイニャリトゥ『バベル』である。
これら3作品に共通しているのは、徹底して絶望的な状況を描き出すことで現実というものを映し出しながらも、最後にわずかな希望を感じさせるところである。
さらに、巧みなシナリオと三者三様の演出によって、そのようなテーマを映画化している。
付け加えるならば、痛い、つまり文字通り、出血したり刺されたりといったことによる痛いシーンがどの映画にもある。もしかすると、3つともPG12指定がかかっているかもしれない*1
この3作品の中で、僕が一番好きなのはやはり『パンズ・ラビリンス』だった。
エンターテイメント性があって、映像、演出もよかったと思うからだ。もっともファンタジックで、フィクションでしか描けないものだった。
また、もっとも変態的だったのもこの作品だ。例えば『バベル』には、菊池凛子の性的なシーンが多いが、それらは決してエロティックではない(あるいはエロティックになってはいけない)。それに対して『パンズ・ラビリンス』は、既にいくつかのブログで指摘があるとおり、まだ幼いヒロインがエロティックに撮られている。さらに「痛い」シーンへの拘りももっとも強い。
では、『バベル』はどうだったか。
残念ながら、この3作品で比較すると一番下かもしれない。もちろん、個人的な好みは大きい。SFとアクションの要素が強い『トゥモロー・ワールド』、ファンタジー・戦争映画の『パンズ・ラビリンス』の方が、ジャンルとして好きなので。
だが、見ごたえはとてもある。
そして、最後に描かれる希望の度合が、3作品の中で最も大きいのが『バベル』である。
他の2作品で描かれる希望が、本当にかすかで、絶望と両義的なものであるのに対して、かなりはっきりとした希望である。
これでもかと絶望的な状況を叩き込まれあとに、ほとんど奇跡のように現れる希望であるが、とにかく、この展開でよくもまあバッドエンドに落とし込むことなく決着をつけたものだと思う。
主要登場人物たちは、みな死の淵にまで追い込まれる。追い込まれながら、実は誰も死んでいないのだ*2。物語の展開上、誰かが死んでいてもおかしくはないし、「バベル=通じ合わない心」というテーマを描くにあたっては、死んだ方がむしろ自然だったかもしれない。しかし、この作品は誰のことも死なせなかった。


トゥモロー・ワールド』がドキュメンタリータッチなカメラワークを、『パンズ・ラビリンス』が特殊効果を、特徴的な演出として使っていたとするならば、『バベル』では音楽・音響効果が挙げられるだろう。
例えば、東京では、ハウスやエレクトロニカといったクラブ音楽が主要なBGMとして使われるが、聴覚障害の少女がクラブを訪れるシーンでは、少女が見るクラブの風景は無音であらわされる。聴覚障害を表現するにあたってはありがちな演出かもしれないが、ともすれば絵的には曖昧な雰囲気になってしまうクラブの風景を、音によってメリハリをつけたといえるのではないだろうか。
メキシコの結婚式シーンは、非常に楽しそうで、白人の子どもとメスティソ(?)の子どもが一緒に仲良く踊ったりしているのだが、白人の子ども二人は、祝砲の銃声に怯える。そのシーンの演出もやはり音である。

*1:パンズ・ラビリンス』はかかっていた。『バベル』はかかっていたような気がするけど記憶が曖昧。『トゥモロー・ワールド』は分からない

*2:生死不明の登場人物もいるが、少なくとも死んだと確定的には言い切れない