「哲学とは何か」という文章うp

「哲学とは何か」を読む
大仰なタイトルだなあ、と思う。
ほとんど衝動的に書いた文章で、その名の通り「哲学とは何か」について今思っていることをそのまま書いた。
哲学だけでなく、人文的な学問*1というのは、他の多くの人からは、一体何なのか分かられていない。
まあ僕自身、哲学とは何かについて分かっているとは言えないかもしれないが、それでも「あなたは一体何をやっているのですか」と聞かれたときに、答えられるようなものは用意しておきたいなあ、と思ったので書いた*2


哲学には、僕は大きくて分けて二つの要素があると思っている。
・ヨーロッパの知的伝統であるということ
・超経験的な事柄を扱うということ
これが僕なりの、哲学の定義である。
まあ詳しいことは読んでもらうとして。
哲学は徹頭徹尾ヨーロッパのものである、と考えているのだけど、この文章を書き終わったあとになってこの問題を偶然発見することになった。
東浩紀の「棲み分ける批評」を読み返してみると、まさに日本で、ヨーロッパの知的伝統*3と日本の知的伝統*4が二重化されているという実態が指摘されていた。


ところで、僕には時々、こうやって哲学とか何とかについて、突然「啓蒙」したくなる衝動が出てくることがあるのだけど
哲学とか人文系とかって、興味のある人とない人にすっぱり分かれていて(もちろん前者は圧倒的に人数が少ない)、興味のない人には「啓蒙」なんかしても全く通じないだろうな、という一種の諦めみたいなものも持っている。
で、逆に興味がある人は、僕なんかに「啓蒙」されてなくても、十分自分なりの考え方を持っていると思う。
そんなわけでこれは、哲学とか人文系とかに興味があるんだけど、なんかよく分からないんだよねという層に向けて書かれている。

*1:ひいては学問一般?

*2:とはいえ、現実の会話の中で、「哲学とはこういうものです」と語り出す機会などないだろう。だからこそ、文章で書いてwebにアップしているのだが

*3:これを東はアカデミズムと呼ぶ

*4:これを東はジャーナリズムと呼ぶ。そしてこれは、小林秀雄が、西田幾多郎を批判しつつ、文芸批評という形で成立させる。ちなみにこのアカデミズムvsジャーナリズムの構図は、東によると、95年頃に高橋哲哉加藤典洋の論争にも現れていたという