日本について(東浩紀の一貫性)

『思想地図』の募集要項で

A : 日本語で思考することの意味を問う(東浩紀氏設定)
1970年代以降の日本の思想あるいは作品(ジャンル、メディアは問わない)をひとつ取り上げ、日本語で考え発表することの意味を軸として、作家論あるいは作品論を展開する。

ちょっと、これの言っている意味がよく分からなかった。
「日本語で思考することの意味」というのは何なんだろうか。確かに、最近ワールドコンとかで、もっと国外のことも見れよ的な発言をしていたと聞いたけど。突然、こういうことを言い出したのかと思った。
ところが、『存在論的、郵便的』のあとがきにこんな一節を発見した。

このような理論的な仕事が日本語で書かれ、そして読まれうると思わなかった。

ずっと前から、こういう問題意識はあったのか。
そう考えてみると、動ポモの第一部とか、村上隆との対談とか、椹木野衣八谷和彦との鼎談とかって、そういう意味があったのか、と考えたくなる。