グレッグ・イーガン『万物理論』

大作なので、あまり間をおかずに読めてよかった。
扱われているトピックの数が非常に多く、その点で他のイーガン作品と趣を異にしている感はある。
この作品では、万物理論というタイトルに違わず*1理論物理学が扱われている一方で、バイオテクノロジーもまた重要な科学的トピックスである。
だが、それとは別に、未来社会における様々な社会的問題も扱われている。他のイーガン作品において、このような要素がないということはもちろんないが、メインアイデアとなっている理論物理学ネタと同じくらいのウェイトを作中で占めている点は他の作品と異なるところだと思う。
この作品を分かりにくくしているとすれば、それはTOE*2の難解さではなく、作中で扱われているトピックスが多岐にわたる上に、そのどれもが重要であるためではないだろうか(TOEは確かに難解だが、そもそも内容を理解しなくても読んでいける)。

あらすじ

さて、そんなわけなので、この作品について一体どこから語ればよいのか、というのは非常に難しい。
まずは、あらすじから紹介しておく。
主人公のアンドリューはバイオテクノロジーを専門とする科学ジャーナリストである。
あまりに行きすぎたバイオテクノロジー*3の取材に倦んでいた彼は、専門外である現代物理学に関する番組の企画に携わることで、現実逃避を計ろうとする。
こうして彼は、3人の物理学者がそれぞれの万物理論仮説を発表する予定の学会へ向かうことになった。その学会の会場となるのは、ステートレスという人工の島であった。
島に着いた彼は、反科学カルトが大挙して訪れていることを知る。そして、彼が取材する予定の、万物理論仮説を携えた3人の物理学者のうちの1人、モサラが命の危険にさらされている、と忠告される。

ステートレス

ほぼ全編に渡って、この島がこの作品の舞台となる。
この島は、バイオテクノロジーによって人工的に作られた、成長する島なのだが、そもそもこの島を最初に作ったメンバーが、この島を作るためのテクノロジーに関して特許侵害をしていたという件で、世界中の多くの国から輸出入のボイコットをされている。
無政府主義者たちの島、などとも呼ばれるとおり、この島はどの国家にも属しておらず、どの国家にも属さない自由を求めた人たち(並びに、温暖化によって水没した島からの難民)が暮らしている。
この島についてだけでも、興味深いトピックスは非常に多い。
まずは完全な人工島であるということ。島の中心部は海底火山の上に乗っかっているのだが、それ以外の部分は、完全に海の上に浮いているだけなのである。
また、国際社会の中でこの島の占めている位置も特殊である。バイオテクノロジー系の勢力から嫌われてしまっているために、世界的な輸出入ボイコットを受けて、空路も限定されているし、医療装置などの資材も最新のものは揃っていない。
一方、それゆえにこの島は、島だけで自立してやっていけるような社会的な仕組みや工学的な仕組みを揃えている。アンドリューは、何故政府の管轄下にないこの島が混沌状態に陥らないのか、不思議に思っているのだが、少しずつこの島の社会が分かってくる。
ある意味で、非常に理想主義的な社会であるともいえるが、それが成り立っていることをイーガンは描く。
また、この島がボイコットを受けた理由は、特許侵害によるものであるが、いわゆる知的財産権に関してもこの作品では取り上げられている。
「テクノ解放主義」と呼ばれる考え方である。それは、科学に関する知的財産権の企業による囲い込みを否定する考えだ。
この考えに同調するモサラは、ステートレスに移住することを画策している。南ア出身でノーベル賞受賞者である彼女は、自分がステートレスに移住するということによって、南アがステートレスへのボイコットを解除し、他の国々もそれに続くことを望んでいるのである。

反科学カルト

作中では、無知カルトとも呼ばれている。
いくつかのカルト集団が作中に登場するが、その主張はおおむね、科学の発展は人間にとって何の益ももたらさない、というものである。
彼らに対する批判が、作中では数多く語られることになる。
最近のエセ科学*4とそれへの批判が盛り上がっているような状況を考えると、なかなか興味深い。
また、先ほど、物理学者モサラが南ア出身であることに触れたが、そのことも反科学カルトと関わってきている。
作中世界では、アフリカにおいて伝統復興運動が巻き起こっており、それは西欧に植民された以後のあらゆるものを否定しようとしていた。そうした運動にとって、科学とは西欧的、植民地主義的思考に他ならないのである。

ジェンダー

これを読んで読者が最初に戸惑うのは、汎性という語である。
訳者あとがきによると、これはasexの訳ということだ。
作品世界において、脳外科手術を含む性転換手術の技術が発達し、またそれが自由に行われていることもあり、「ジェンダー移行」と呼ばれることが頻繁に行われるようになっている。
その結果、男性、女性以外に、強化男性、強化女性、微化男性、微化女性、転男性、転女性、汎性といったジェンダーがあるのだ。
汎性とは、性的な特徴を身体的にも脳神経的にも除去してしまったジェンダーである。
イーガンは、人称代名詞も使い分けている。heでもsheでもなくveという性を問わない人称代名詞である*5。このveという語は、ディアスポラでも使われているらしいが、その際には訳出されていないが、本作では、汎という訳語が充てられている*6

万物理論とディストレス(ネタバレあり)

さて、ここまで来て、ようやく本題のSFネタに触れることになる。
いきなりネタバレになるが、
簡単に言えば、人間原理ネタである。
この宇宙は人間によって説明されているからある、というものである。
作中では「人間宇宙論」通称ACと呼ばれる集団がそれを主張している。
アンドリューは、ずっとこれをカルトの一種だと考え続け、また彼らは確かにカルト集団的な面を持っており、殺人なども厭わない。
だが、最終的にこの人間宇宙論はある意味で正しかったことが証明される。
ステートレスが一種のメタファーとして機能することで、この最後のオチを感動的なものにしてしまうのがイーガンのすごいところである。
最後に示されることになるTOEは、この宇宙の究極の根拠というものを、自己言及的なものにしてしまう。
しかし、イーガンの楽観主義は、その自己言及的なあり方を肯定するのである。

アンドリュー

TOEと人間宇宙論によって、宇宙と人類について描き
ステートレスや無知カルトやジェンダーによって、未来社会について描く。
それだけでも並大抵ではないが、
この作品はさらに、アンドリュー個人の物語でもある。
ものすごく端折っていうと、彼が自分の「身体性」というものを受け入れていく過程だともいえるし、社会的存在であるということ(しかも最終的にはすごいスケールが大きくなる)を自覚していく過程ともいえる。
また、彼は当初、ジェンダーについても、知的財産権についても、無知カルトについても、TOEについても、個人的な人間関係についても、(ジャーナリストであることを理由に?)判断を保留し続けていた。そうした諸々の問題について、自分の態度を少しずつ決めていく過程とも読める。

この記号は、行頭に来るときは使ってはいけないことになっているのだけど、最近では多くの出版社で行頭でも使うようになっている*7
東京創元は、このルールを守っていた。

万物理論 (創元SF文庫)

万物理論 (創元SF文庫)

*1:ただし、原題はDISTRESS

*2:万物理論TheoryOfEverythingの略

*3:フランケンサイエンスなどと呼ばれている

*4:作中の無知カルトとは異なるものではあるが

*5:訳者あとがきによると、辞書にも載っている語らしい

*6:「彼は言った」「彼女は言った」となるところ「汎は言った」となっている

*7:岩波が使っていてびっくりした