今月の文芸誌(『群像2007年12月号』『新潮2007年12月号』)

群像

創作合評「つぎの著者につづく
このR氏というのは、村上春樹のことなのではないか、という小池昌代の指摘。
つまり、SREのリチャードとジェイムスとリタの話が村上春樹っぽいと円城塔は実際に誰かに言われたのではないか、と仮定して読んだらしい。そういう個人的な感情を感じたらしい。
岡松和夫は、この博覧強記が知識自慢になっておらず、むしろ必然性を感じさせる、と指摘。知識が目的なのではなく、こうした知識が自然に集まってきたのだろう、と。
小池は、「オブザベースボール」を読んだとき、そこで描かれる感情に共感するが、共感するからこそ寓話化してほしくない、と思ったのだが、この作品を読んで、この作者は寓話化しているのではなく、そもそもこのように世界が見えているのだろうと思ったとのこと。
この合評を読んで思ったのは、円城塔は寓話として比喩として思弁としてこのような小説を書いているのでは決してなく、そもそも彼にとってはこのような書き方こそがリアリズム的な書き方なのではないか、ということ。知識が暗号的に並べられているのも同様。


映画評をやっている人のペンネームに驚いた。GraveGrinderという。
単行本の広告も載っていて、その写真を見る限りは日本人女性だと思われる。
ECDというペンネームにもびっくりしたけど。
と、今ちょっとググってみると、どっちも音楽活動をしているみたい。
音楽活動していれば、こういう名前でも問題ないというわけではないというわけではないし、日本人だから日本人的な名前をペンネームにしないといけないルールもないけど、びっくりすることはびっくりする。


侃々諤々
ヒロシネタは別に面白くなかったけど、なんか文学オタクか何かが集まって喋ってそうな感じだと思った。

新潮

対談 吠えるコンピュータ/佐藤良明+古川日出男
アメリカ文学の研究者佐藤が、古川を絶賛する対談。
日本に面白い作家いないなあ、と思っていたら出会ったのが古川だった、ということ。
『ゴッドスター』が楽しみになった。
アメリカ文学と比較しながら話しているので、アメリカ文学が分からないと分からないのだけど
獣(犬)になって描くということ、身体的な論理に従っていることなどの話が面白かった。
「吠えるコンピュータ」あるいはサイボーグ、それは獣や人やコンピュータをハイブリッドさせたような存在、そんな存在による、そんな存在のための、そんな存在の小説。それが古川日出男の小説だ。
円城塔が、円城のリアリズムによって小説を書いているのだとすれば、古川もまた、古川のリアリズムによって小説を書いている、といえそうだ。


関係と化学としての文学(十二)/斎藤環
「キャラクターズ」の整理。
この連載全く読んでないけど、「関係平面」「操作平面」「解釈平面」って面白いなあと思った。そしてそれらの平面に、3人の東浩紀が対応されている。キャラクター、プレイヤー、解釈者(?)。
朝日新聞社の襲撃」とは症状(サントーム)である、というのは面白かった。
そして、症状というのが何を指しているのが初めて読んだ。
対象aがないと三界がばらばらになる。これが精神病。にもかかわらず、精神病になってない場合、三界を繋ぎ止めているのが症状。父殺しがなされていなくて主体化されていないのに、偽の父殺し(症状)によって主体化が仮になされている。
それにしても、オチがとんでもない。
う、うーん、そうだったのか*1


仲俣暁生による『グレート生活アドベンチャー』書評
町も彼の生活も、否応なく「植民地化」していってしまうものなのだ、ということがよく書けているとしながらも、妹の存在が「植民地化」を免れるものとして機能しているのが欠点としている。確かに、あの妹のエピソードは、この話を急に「文学的に」ベタなものにしてしまっていると思う。


群像 2007年 12月号 [雑誌]

群像 2007年 12月号 [雑誌]

新潮 2007年 12月号 [雑誌]

新潮 2007年 12月号 [雑誌]

*1:「キャラクターズ」に斎藤環が登場していないと言われているが、実は登場していた。それは「○○○○○○」として