テッド・チャン『あなたの人生の物語』

最近、自分の中でプチSFキャンペーン。
ディックの次は、チャン。
センス・オブ・ワンダーってこういうものかということを感じた。

バビロンの塔

のっけから、舞台が古代バビロニア
バベルの塔を建設している人たちの話。大工たちが、塔の中で生活してる様子がリアルに描かれてる。
古代の世界観そのままで、塔を上っていくと、途中で星や太陽よりも高い位置に行く(山を登って雲より高い位置にいくように)。
そして、天空の丸天井を石工たちが掘り進んでいくのだ。
太陽よりも高い位置で暮らしている様子が面白い。日が足下から差すのだ。しかもそこで、家族で畑を作って暮らしていて、子供が生まれたりしている。

理解

超能力を使えるようになった主人公の話。
次第に能力がパワーアップしていく描写は面白かったのだけど、最後の超能力バトルの決着がよくわからなかった。

ゼロで割る

数学的な概念を、人間(関係)のアナロジーとして描いた作品。
こういうアナロジーは好きなので、後半になってそれが明らかになっていくところで「おお」と思ったけれど、最後のオチがやはりよくわからなかった、というか、性急な感じがした。

あなたの人生の物語

これは面白い!!
あんまり読んだSFの数が多くない自分がいうのもなんだかが、これはオールタイムベストといっても過言ではない。
SF的アイデアもさることながら、それと物語、構造、ナラティブが見事に調和していて、小説として非常に完成度が高い*1
ファースト・コンタクトもので、その接触によって認識が変化する*2
この認識の変化というものと、未来形で綴られた文体とが、マッチングしていく過程がとても面白い。
そして、そもそもSFのアイデアたる認識の変化に関しても、非常に面白い。
人間とエイリアンで、認識の枠組が全く逆転しているのだが、それを文字体系によって表している。その文字の解読過程なんかも、楽しみながら読むことができる。
よくこんな文字体系を考えたものだ、と思う。
それと同時に、もし実際にファースト・コンタクトが起こったときに、人類との間で言語を翻訳する作業は一体どのようなものになるのだろうか、とも思った。
実際には、こんなにうまくいくだろうか。

七十二文字

あなたの人生の物語」が、人類とエイリアンとの認識方法の差異を描くことで、センス・オブ・ワンダーを感じさせるとすれば、これは現実の科学と可能性の科学の差異を描くことでそれを感じさせてくれる。
ヴィクトリア朝イギリスを舞台にしているが、カバラが科学の地位を占めているようなパラレル・ワールドを舞台にしている。
手先の器用なゴーレムを開発することで貧困層全体の経済レベルを引き上げようと考えている科学者と、そのゴーレムが開発されることで職を奪われることを懸念する職人組合との対立が描かれている。
また、この世界では、前成説が実証されていて、精子を育てることでホムンクルスを作る技術が生み出されている。
ゴーレム開発をしている科学者は、こちらの世界でいうならば、ロボット学者やプログラマーにあたるだろうし、
ホムンクルスを作っている科学者は、バイオテクノロジストということになるだろう。
その二者がともに、人工的な人間を作り上げようとする話である。

人類科学の進化

超人類と人類に分かれてしまった未来で、人類の科学にはどのような役割があるか、ということを科学雑誌の記事風に書いたもの。

地獄とは神の不在なり

これは、SFとは言いにくいかもしれない。
Scienceは出てこない。それをいえば、「バビロンの塔」も「七十二文字」も、いわばこの世界のScienceは出てこないわけだが、パラレル・ワールドとしての古代バビロニアヴィクトリア朝のScienceが描かれているといえる。
この話は、キリスト教的世界観が現実のものだとしたら、という設定の上での作品といえる。
天国と地獄、天使が実在していて、実際に目に見えることができる世界なのだ。
また、そういう現象が起こることをのぞけば、現実の20世紀後半となんら変わりのない世界でもある。
テッド・チャン自身には、宗教的背景はないらしい。実際、この作品で描かれる天使の顕現は、神秘的現象というよりは自然現象のよう*3で、奇跡に恵まれる人間もいれば被害を被る人間も出てくる。そういう点では、確かに宗教とは関わりのない、ある種のクールさがあるといえばあるのかもしれない。

顔の美醜について

これは、ある意味非常にイーガン的。
脳のある神経回路に特定の操作をすることで、顔の美醜の判断ができなくなる技術が開発された。
さて、それを使うかどうか、という話。
イーガンの場合であれば、むしろそういう技術が当然のように使われている世界を描いているけれど、こちらはそういう技術が導入される際に、どのように論争が巻き起こるだろうか、ということが描かれている。


センス・オブ・ワンダーという言い方をしたけれど、思考実験のようなものかもしれない。
そんなこといったら、あらゆるSFがそうかもしれないけれど、この現実とは少し違うあり方というものをスマートに提示してくれる短編集。


あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

*1:SFというとアイデアがメインで、物語の技巧的工夫があまり見られなかったりもするけれど、テッド・チャンはむしろ技巧を色々と試している

*2:ただし、クラークのように進化が起こったりするわけではない

*3:実際、雷や地震などの自然現象を伴って天使は降臨する