フィリップ・K・ディック『ヴァリス』

思っていたほど、読みにくくなかった。
意外とすんなり読める。


死と救済についての物語である。
救済とは、永遠のことでもある。
主人公(わたしかつファット)は、ある1人の女性の自殺を契機に、苦悩し始める。
この物語は、いかに死を受け入れるか、ということを考えていく過程だ。
ファットの友人のケヴィンは、死んだ飼い猫について考え続けている。
彼らは、各人各様に、死と神について考える。もし神がいるのなら、何故彼女は死ななければならなかったのか。
神の啓示を受けたファットは、神の存在を確信している。だからこそ、なおのこと、彼女の死は理不尽なものだ。
そこで、ファットが提示する世界観は、ある意味、伝統的な西欧の世界観で非常に単純なものではある。
仮象としての現象界と永遠なる超越宇宙の二層構造だ。
現象界には時間と狂気があるが、超越宇宙は永遠で理性的だ。そして、超越宇宙は、現象界を癒すために現象界に降臨する、それがキリストである。
永遠というのは、単に非常に長い時間、ということではない。
永遠とは無時間であるから全ての時間の出来事が同時である。だから、そこに死はないし、救済は完了している。
そして、その永遠に触れたファットは、1974年と古代ローマを同時に体験する。永遠にとって、全ては同時だ。
そして、降臨した「救済者」聖ソフィアは彼らに言う。
「あなたたちはあなたたち以外に神を持たない」


この物語は、主人公のわたし(=ディック)による、ファットについての語りによって進行する。
だが、聖ソフィアとの出会いとともに、ファットは消滅する。ファットとは、わたしの別人格であったのだ。
しかし、聖ソフィアの死とともに、再びファットとわたしは分離する*1
ファットは世界中に、わたしはテレビの映像の中に、救済者を探しつづける。
ここで、わたしが救済者を探す範囲が、テレビの映像なのは、この現象界とは情報である、という情報論的宇宙論によっているものと思われる。
神は、この世界に情報を送り込んでいる。キリストもまた、肉体に送り込まれた情報である。その情報は、かつてイリヤにも与えられたし、あるいは聖ソフィアにも与えられている。その情報こそが「不死人」(=永遠)である。
ちなみに、その情報を送信してくるものの名がVALISで、人工衛星の姿をしている。
東の「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」によれば、ファットというのは、キリストにして(キリストを探す)使徒なのである。神の啓示を受けている*2ファットは、キリストであるが、そのことには気付かず、救済者を探しつづけているのである。そして、聖ソフィアに出会う。聖ソフィアはまさに救済者であるが、それと同時に彼女から自分もまたキリストであることを知らされる。
時間的な現象と永遠の相が、ファットにおいて同時に体現されている、ともいえる。


神秘思想的、オカルト的などとよく言われる通り、グノーシス思想が全面に押し出されている。
グノーシス、ドラッグ、ニューサイエンス*3、仏教といった、ニューエイジの要素がこれでもか、というぐらいに散りばめられているので、それに面食らう人は読み進めるのが難しいかもしれない。
ヴァリス、というのは、作中に出てくる映画のタイトルで、この映画をきっかけにしてファット達は聖ソフィアと出会うことになるのだが、この映画を作ったランプトン夫妻がなかなか胡散臭い。
ファットの書いている経典なんかも、中二病的といえば中二病的なところがある。
そもそも、神の啓示が人工衛星から送られてくるってどうなのよ。
しかし、それらを全てネタ視して見ても面白くない。
かといって、全部ちゃんと読もうとすると、情報量が莫大で大変。
そこらへんのバランスを取りながら読むと、面白く読める。

ヴァリス (創元推理文庫)

ヴァリス (創元推理文庫)

↑創元推理になっているけど、もちろん創元SFです。

*1:訳者は、この分離は決して明白ではないと主張しているが、分離していると考える方が妥当な気がする

*2:かつ狂っている、神の啓示に触れて「帝国」と戦う者は、必然的に狂わなければならない

*3:ユングやら情報論やら