刑事裁判について

最近気になっているので、エントリを立てることにした。
本文に入る前にいくつか前提を立てておく。


1、もとより僕は、刑事裁判に対する「世間」の理解に違和感を憶えていた。
2、『それでもボクはやってない』を見ることによって、その違和感を言語化する術を得た。
3、特に最近の光市母子殺害事件を巡る弁護士懲戒請求騒動は気になっていた。気になってはいたが、特に言葉を発する必要まで感じていなかった。ブクマコメへスターをつけるなどしてある程度表明していたつもり。だが昨日、僕としては好んで読んでいたブログで、僕から見ると見当はずれの意見を眼にした。
4、ただし僕は、法律に関して専門家ではないし、勉強もしていない。僕がこれから述べることは、僕がこれまで培ってきた「常識」に則っている。故にソースはない。あえていうならば、小中学校での社会科や、これまで接してきた様々な事件報道などだ。
5、このエントリを書く直接的なきっかけとして、光市母子殺害事件があることは確かだが、僕はこの事件についてよくは知らない。というよりも、この事件関係のホットエントリを時々眺める程度で、マスコミ報道にすらほとんど接してはいない。


それでもボクはやってない』の感想として以下のように書いた。

「疑わしきは罰せず」「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」という原則を、感覚的に実感してもらうために、多くの人に見て貰いたい作品
あと、裁判というのは、真実を明らかにする場所ではない、ということも*2。
日本人の多くは、裁判というと、大岡裁きのようなものをイメージしているような気がするが、あれを近代の裁判のイメージとしてもってもらうのは困る。

注2:さらにいうならば、「真実を明らかにするべき」場所ですらない。つまり、事実として真実を明らかにならないことがある、というだけではなく、そもそも裁判所は真実を明らかにするという機能を持っていない、ということ

http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20070813/1187011751


さてその後、klovさんから賛同エントリを書いてもらえた。彼も、光市母子殺害事件を巡る騒動に何らかの違和感を憶えて、僕の書いたエントリに賛同してくれたらしい。その点では非常に嬉しいのだが、彼にしてもややポイントがずれているように感じた*1

裁判は、自白や証拠を基にして、蓋然性の高い「真実らしきもの」を形成する過程に過ぎない。

http://d.hatena.ne.jp/klov/20070813/1187015484

法廷は、「真実」を明らかにするのみならず「真実らしきもの」を形成する場でもないのだ。
klovさん『それでもボクはやってない』は見ていないそうだが、最後の判決*2は、裁判官が「真実らしきもの」を形成しようとしてしまったからこそ下されたものである。
ではどのような場なのか。
これはおそらく、小中学校の「公民」の教科書に載っているのではないかと思うのだが、
司法とは「法律が正しく執行されているかチェックする」ものである。
これは、立法とは「法律を作る」ものであり、行政とは「法律を執行する」ものである、と同じレベルの知識である。
たとえ話をしてみる。
「国会の役割は何ですか?」という問いの正しい答えは「法律を作る場所です」であるべきだろう。
もし仮に、「国会議員が地元に利益をもたらすためにパフォーマンスをする場所です」と答えたとしたらどうだろうか。おそらくこの文自体は間違いではない。そのようなことが国会で行われていることは事実だろう。だが、「国会の役割とは何か」という問いへの答えとして適切ではない。
それと同様に、「裁判所の役割は何ですか?」という問いへの正しい答えは「法律が正しく執行されているかチェックする場所です」であるべきで、「真実を明らかにする場所です」*3や「悪い人に罰を下す場所です」は正しくない。
あるいは、そのようなこと*4は事実として行われており、また期待されているのは確かだろう。しかし、裁判所がもっとも優先すべき仕事ではないのだ。
刑事裁判の大雑把な流れを確認してみよう。
警察が犯罪者を捕まえ検察が起訴する。その際検察は「こいつは○○罪を犯しており、○○刑に処すべきです」と言う。
犯罪者に罰を下すのが目的であるならば、そもそも裁判は必要ない。
犯罪者を見つけ出し(警察)、その犯罪者の行為がどのような罪にあたりどのような刑が順当であるが判断し*5、そして刑を執行する(刑務所)のは全て行政が行っている。
裁判所ならびに弁護士が行うのは、警察と検察という行政機構*6の行ったことが妥当であるかの判断である。
それ故、警察・検察の主張、あるいは行動に何らかの問題点があった場合、検察の主張は却下されなければならない。
それでもボクはやってない』に出てくる、大森裁判官*7は、司法修習生に「無罪判決を出した被告が、実は有罪ではないかと思うことはないか」と聞かれて、「裁判官は、合理的な疑いがないかチェックするのが仕事であるから、そのように思うことはない」と答える。
彼の答えは、裁判所の理想的役割を述べている。
もっとも、このようなことは、やはり「理想」であり、事実として行われているか、というとそうではないのが実状のようである。


光市母子殺害事件であるが*8
弁護団が、突如として被告の一般人には理解不可能な発言を持ち出してきたわけだが、これらは一審、二審では出ていなかった発言らしい。
これはおそらく、警察・検察が被告の自白供述を創作した可能性があることを指摘しようとしているのだと思う。
以下は、この事件に関わっている弁護士のコメントである。

現在の被告人の発言は、弁護人が指示したり教唆したものではありません。被告人は旧1・2審では、訴訟記録の差し入れもしてもらっていなかったので、記憶喚起も曖昧であり、検察官の主張に違和感を唱えても弁護人に「下手に争って死刑のリスクを高めるより、反省の情を示し無期懲役を確実にする方が得策」と示唆を受けたと述べます。最高裁段階で証拠の差し入れを受け、記憶が整理され、今の主張に至っています。
 また、家裁での調査記録に「戸別訪問は孤独感が背景」「予想外に部屋に入れられ不安が増大した」「被害者に実母を投影している」「退行した精神状態で進展している」「死者が生き返るとの原始的恐怖心に突き動かされている」「発達程度は4、5歳レベル」などと書かれています。いずれも今までの認定と矛盾し、今の主張と整合しています。

http://t-m-lawyer.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_288f.html

弁護側が行っているのは、検察の仕事のチェックである。
今までなされてきた検察側の主張には、どうも合理的な疑いを差し挟む余地があるのではないか、あるいは、検察はちゃんとルールに則った仕事をしなかったのではないか、ということである。


警察や検察が、全くのノーミスで逮捕したり捜査したりできるのであれば、それは全く問題がない。
だが、人間はミスをする。
僕は、近代民主主義という奴は、この「人間はミスをする」ということを最大の前提にしているのだと思う。
「人間はミスをする」ではどのようにチェックすればいいのか。それで作り上げられたのが、ルール=法である。とりあえず、ルールに則って仕事をしていれば、それは「正しい」と見なすことにしたのである。だから、ルールに則っているかチェックすることも必要になる。ルールに則っていなければそれは「間違っている」ということになる。
よく、裁判官とか司法関係者は、法律オタクで現実社会を分かっていない、という批判がある。その批判を完全無視していいわけでは決してないのだが、そもそも司法は、「法律が正しく執行されているどうかチェックする」「ルールに則っているかチェックする」のが仕事である。であるならば、彼らは誰よりも法に詳しくなければならず、少なからず法律オタクになってしまうのは仕方がないだろう。
また司法は、「ルールに則っている=正しい」「ルールに則っていない=正しくない」という判断を揺るがしてはならない。何故なら「人間はミスをする」からだ。だからこそ、ルールという唯一の判断基準を作ったのだ。
もし、そのルールが現実社会を反映しておらず、正しいものになっていない、というのであれば、それは立法の仕事であって、司法の仕事ではない。立法に対して働きかけなければならない。
その結果として、少年法や道交法の厳罰化があるはずだ。


被害者感情が云々とか、死刑廃止論者が云々とか、そういう話もある。
被害者の保護に関していえば、これは民事裁判あるいは行政の仕事なのではないか、と思う。「チェックする」のが仕事の司法には、被害者を保護するという仕事する必要はない*9
ただし、やはり刑事裁判というのは、検察が「こいつを○○刑にしたいのですが」という主張が、ルールに則っているかどうかチェックするためにあるということまず第一だろう。
被害者は何らかの形で、生存なり財産なりを脅かされた存在である。そのような存在を保護するのは、国民の生存権財産権を守る仕事をする行政の役割だろう。これは様々な補助制度を作ることでケアしていけばいい。
死刑廃止に関していえば、当然これは立法の仕事である。
つまり、これらの主張は司法、ことに刑事裁判の場にて訴えたりするものではない。行政なり立法なりに訴える問題である。

*1:本当は直後にもう一個エントリを上げれば良かったのだが、まあそこまでする必要もないかと思って書いてなかった

*2:冤罪という設定になっている

*3:「真実を明らかにする」と「真実らしきものを形成する」はここではほぼ同義に扱う。klovさんが言うとおり、100%の「真実」を見つけ出すことはできない。そしてそうであるならば、(全知の神ではない)人間には「真実」と「真実らしきもの」の区別はつけられないからだ

*4:「真実を明らかにする」「悪い人に罰を下す」

*5:この役割は検察と裁判所、当然これらは行政機構ではなく司法機構である。だがここで言いたいのは、「○○罪を犯しており○○刑に処すべき」というのは、何も裁判所がなくても検察さえあれば判断できてしまうということ。そしてこれは、警察の機能を拡大すれば警察にも可能ではないだろうか

*6:検察は司法機構だが、ここでは警察という行政機構を法廷で代弁する組織として行政機構と捉えておく

*7:無罪病とマスコミに揶揄されている

*8:繰り返すが僕はこの事件について詳しいことは知らない。ネット上で少し見た情報程度しか知らない

*9:もっとも、司法がすべきだ、とみなが考えるならば、立法に訴えて法律をそのように変えればいいが