『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー

ついに読みました、カラマーゾフを。
常々、自分の文学レベル(?)を上げるためには読まなければならないだろう、と思いつつも、ずっと前に読んだ『罪と罰』の「ただひたすらに長い小説だった」という印象が残っていて、なかなか手をつけられなかった。
確か、これを友達から借りたのは、4月か5月のことだったと思う。でも、8月末まで手にすら取っていなかった。
最初は、「長いし、とりあえず「大審問官」の章まで読めばいいか」という程度の気持ちで読み始めたのだが、読んでみるとこれが、止められない面白さ。
長い小説なので他の作品を読むよりは時間がかかっているとはいえ、思いの外早く読み終わった。あっという間、というわけではないけれど、ぐいぐいっと読み進められた。
「なんだこれは、すごい面白いぞ」とは思ったけど、果たして文学レベルが上がったかどうかは分からない(^^;
キリスト教とか出てくる登場人物達の思想とか何とかそういったことに関しては、よく分からなかった。特にイワンは、結局どういう人物だったのか。
まあイワンがわけわからんのは(多分)仕方がないとして、アリューシャとゾシマ長老にしても、計りかねる。この二人は、基本的に信仰篤い、善い人として描かれているけれど、本当にそれだけなのかよく分からない。それは僕の方が信仰を持っていないせいかもしれないけど。
そんなわけで(?)、ミーチャ、フョードル、スメルジャコフの方が、好ましい感じがする。圧倒的にミーチャが好きなわけだけど。フョードルやスメルジャコフが好きか、と聞かれれば、別に好きではないんだけど、彼らのキャラクターは掴みやすい気がする。(イワンは、結局神を信じているのかどうかという点で、読者には分かりにくい人物、だけどアリューシャやミーチャにとってすれば分かりにくくないかもしれない。グルーシェニカやカーチャは、誰を愛しているのかという点で、ミーチャやフョードルやイワンには分かりにくいかもしれないが、読者からすれば決して分かりにくいキャラクターではない。)
ただ、ミーチャでよく分からない点があるとしたら「ロシア」。ロシア的なるもの、というのがどういうものなのか、これがキリスト教と共によく分からなかった。
ミーチャといえば、あの要領を得ない、慌てたようなしゃべり方。
でもこのしゃべり方は、ミーチャに限らず、結構こういうしゃべり方をみんなしていた気がする。何なんだろうね、ロシア人はみんなあんな慌てたふうに喋るのか、それがロシア的なるものなのか(^^; でもこのしゃべり方は、小説として読んでいる分には意外と好ましい。
噂好きのホフラコワ夫人なんかも、すごく面白い。
ホフラコワ夫人の支離滅裂さはとにかくひどいけれども、面白い。
そういえば、ホフラコワ夫人と話していたアリューシャが、「ラキーチンなんて友達じゃないですよ」って言い放ったのに笑った。
それから一つ気になる点が。グレーゴリイは、11月の寒空の中、失血しながらもよく生きていたものだなあ。


出てくる登場人物みんながキャラが立っていて、彼らの会話や言動を眺めているだけで面白い。
ドストエフスキーってことで、何だか身構えていたけれど、別に深く考えなくても面白く読める(かなりエンターテイメント的に読んでいた気がする)。
こんなに長くて面白い小説を書けるというのは、すごいな、さすがだな。


最後にもう一つ気になったこと。
語り手は一体何者? 誰?


追記(070908)
昨日、後輩が三角関係の話をしていて、「俺、『カラマーゾフの兄弟』読んだんだけど、三角関係の話だったよ」といって、その後輩に『カラマーゾフ』のあらすじを紹介したのだが、
その時になってはじめて、3つの三角関係が絡み合っている話だということに気付いた。
あらすじを説明している最中、その後輩はずっと「それは昼ドラですよ」って言い続けていた。
グルーシェニカとカーチャのバトルっぷりは、確かに昼ドラだと思う。


新訳ではなく、原卓也

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)


台風について言うと
朝の5時半くらいにうるさくて目が覚めた。今うちのアパートは、塗装工事のためにビニールとかで覆われているので、よけいにうるさい。
昼頃、コンビニに行ったら、道路標識がぽっきり根本から折れていた。