ここ1週間くらいのことを一気に書く

丸一週間ブログの記事を書かない、というのは、最近だと珍しい気がする*1
最近あんまり本も読んでいなかったし映画も観てないし、単にブログの記事にすることがなかっただけなのだが、一つの記事にするにはちょっと物足りない程度のことになると実はいくつかあったので、ここで一気にまとめて書いてみることにする。
まあ、夏休みの日記のようなものだ。

北海道大学総合博物館

かなり多岐にわたるジャンルのものが展示されており、意外と広く、予想以上に長く楽しめた。
北大の歴史、岩石、昆虫、宇宙、深海などだ。
北大の歴史のところでは、まだ札幌が開拓されていなかった頃の絵とかがあって面白かった。
そんな山奥だったのかというか。
それから、一番印象的だったのは、オホーツク人。
昆虫やら宇宙やら何やらは、まあ別に北大でなくてもいいけども、これは北大ならではといえは北大ならではと思う。
オホーツク人の、頭骨と生活の様子のジオラマが置いてあった。
これを見た他の客の反応として、「これ何?」「日本人の祖先だよ」というのがあったのが、非常に気になった。
オホーツク人は、日本人の祖先ではない。
パネルを読むに、どうも、未だに彼らの血縁関係ははっきりとは分かっていないようだ。アイヌの祖先なのかと思ったが、アイヌとの関係も不明らしい。
頭骨の化石が日本列島で発見されたからといって、その頭骨は必ずしも日本人の祖先というわけではないだろう*2。こと、北海道という土地においては。
僕は最近、自分が北海道に入植してきた人間の子孫である、ということを何となく意識するようになった*3
パトリとかエスニック・アイデンティティとかあるいは伝統とか、そういうことを考えるとちょっと複雑な気分になる。例えば、伝統と言った際に、それがどれくらい前のことを指すのか分からないけれど、仮に江戸時代より前のことを指しているのだとすれば、北海道人の僕の中にそれはない。江戸時代より前の北海道には、僕達とは別の人たちが暮らしていたのだ。
北海道は、日本とは異なる歴史を歩んでいる。
誰でもが学ぶことだが、日本の歴史は、先土器→縄文→弥生→大和→奈良→……→江戸→明治と続いていく。
一方、北海道には、先土器→縄文→続縄文擦文アイヌという歴史区分がある。これは、仮に北海道に住んでいたとしても、学校では教えられていない。
ここでようやく話が戻ってくるのだが、このオホーツク人というのは、続縄文や擦文文化とは異なるオホーツク文化を形成していたらしい。となると、北海道も、オホーツク海沿岸部には、また異なる歴史区分をすることになってくるだろう。
アイヌは、北海道だけではなく、千島・アリューシャン列島*4、サハリンなどにも住んでいたし、一方で、サハリン・シベリア沿岸部にはニヴフウィルタツングース系民族がおり、アイヌと交易し、日本海オホーツク海に北方文化圏を形成していた。
詳しいことは、実は自分もよく知らないのだが、オホーツク人の骨は、北海道の、日本とは異なる、固有の歴史の存在を主張しているように思う。
歩き疲れて、デスモスチルスをあんまりちゃんと見れなかった。
北海道大学総合博物館

旭山動物園

北海道は旭川にある、今や説明不要の超人気動物園。
あれだけの数のお客さんが入っている動物園というのは、初めてだ。動物園なのに混んでいる、というだけでも、もう未知の体験で面白い。
それから、旭川にこれだけ全国津々浦々から人がやってきていてすごいなーとか、警備員とか食堂のおばさんとか見て、旭川に経済効果をもたらしているのだろうなーとか思った。
もちろん、アザラシ館とペンギン館は見てきたが、3時間半の滞在時間ではとてもではないが、全部を見て回ることはできなかった。
アザラシ館やペンギン館は、確かにすごい並ぶんだけど*5、「アザラシやペンギンなんて水族館で見れるからいいよ」とか言って入ろうとしない男子高校生らしき一群には、ちょっとつっこみたくなった。
旭山動物園といえば、行動展示が有名で、アザラシ館、ペンギン館、シロクマ館、もうじゅう館、オランウータン館などがそうなっている。一方で、別にそのような特殊な展示方法を行っていない、単に檻の中に動物がいるというところもあるわけだが、人が多いせいもあって、そういう普通のところにも人が沢山入る。そして普通に見ていて面白い。大抵の動物園は全然混んでいないだろうけど、何かの目玉がなくても、動物というのはいるだけでも面白いものなのだなあと思った。

澁澤龍彦幻想美術館

澁澤龍彦の好んだ作品が並んでいる。シュールレアリストの有名どころはほとんど全員の作品があった。有名な作品がなかったり、それぞれの人の点数は少ないので、誰か特定のアーティスト目当てに行くとがっかりするかもしれないが、逆に、漠然と色々なものを見たいなあという人にはお勧め。
澁澤は、コラージュが好きだったらしく、コラージュ的な作品が多い。
それから細密画。ファンタジーな世界の奇妙な動物が細々と描かれている絵とか。
あるいは、澁澤が関わっていた、状況劇場とかのポスターなんかがあったりもする。
ベルメール四谷シモンがあった。
入るとすぐに、澁澤が子供時代に読んでいた漫画ということで、のらくろとタンクタンクローが飾ってあって、それでテンション上がって、そのあとは最後まで「面白いなあ、面白いなあ」というのが続いた。
何というか、アンチ印象派の人にお勧め?!

Perfume

youtubeでだらだらと見ていた。

後述するように、id:massunnkさんと会ったのだが、そこで思わず「かしゆか原理主義」などということを口走ってしまったが、かしゆかが一番かわいい*6
最初はポリリズムを探していたんだけど、fanserviceも結構アップされていたのでそれらも。

fanserviceの中で、ライブ用に設置された11個のカメラを数えるシーンがあるのだけど、のっちとあーちゃんがとりあえず勢いで数えていこうとする中、「4台目は2階に」とか「後ろにもあるんですよ」とか、カメラの位置を詳しく解説してくれるかしゆかかわいい。
それからその後、お客さんに手をちゃんと挙げるように、というところ、「信用しちゃうよ」というあーちゃんがかわいい。これまた後述するが、サークルでperfumeかけまくってたら、某女の子が、この「信用しちゃうよ」に萌えていたっぽいのでよかった。
さて、ここまではいわば前フリで、ここから先が本題。
実は最近、以下の命題を主張したくてしかたがない。
「のっちはサナカンに似ている」*7

読書

夏休みだというのに、本をあまり読めていない。
けれど、とりあえず上巻だけ読み終えたものとして

マインズ・アイ―コンピュータ時代の「心」と「私」〈上〉

マインズ・アイ―コンピュータ時代の「心」と「私」〈上〉

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

読み終わったら、感想を書く。

金曜から土曜

文芸サークル

僕の入っている大学の文芸サークルで、夏休みというわけで、サークル内部用のコピー本を作った。
それの編集作業で、金曜の夜から先輩の家に行って、編集やったり飲んだり騒いだりを朝までやっていた。
思いの外時間がかかって、朝までやってたのだが、その分わいのわいの騒げたのは楽しかった*8
それから、最近思い始めたことではあるのだけど、雑誌作りというのは楽しいなあと思った。
高校時代は、放送局活動をしていて、ラジオドラマを作ったり、学祭ライブスタッフなどをやっていて、何人かで集まってテンパりながら何か作っていく、というのは元々好きなことだった。
何か作るのが好きなのか、わいわい騒ぐのが好きなのか、どっちなのか詰め寄られると、騒ぐことの方です、と答えかねないが。
大学入ってから、ライブスタッフとかそういう放送っぽいものからは離れていたのだが、その代わりというか、文芸サークルで年に二回冊子を作る作業に従事するようになった。
日常的にそういうことをやるのはなかなかキャパが足りないのだが、年に何回かそういうお祭り的イベントがないと生きていけない。
相も変わらず段取りが悪く、やっぱり自分みたいな人間はリーダーっぽいことはやっちゃいけない、と反省するわけだけど。
まあとりあえず、雑誌というのは楽しい、と。
あと、この作業中、ずっと自分のPCからはPerfumeが鳴りっぱなしで、何人か洗脳した。
それから、夏コミ行った後輩から、波状言論号外をもらう。『キャラクターズ』抜粋を読み、これが『新潮』に載ると知り、矢野優の気が狂ってしまったことを遺憾に思う。

伊藤計劃円城塔トークショー、サイン会

それで徹夜明けのまま、サークルの人と連れだって、神保町へ。
どんな本を読んできたか、とか、どんなゲームをやってきたか、とかそんな話。
70年代生まれには「世界は当然滅びるもの」というふうに思っている。他の世代と話をしてみると、「幸せになる」という考えがあるのが、意外だった。(少なくとも伊藤、円城は)滅びる、それが当然、という感覚を共有している。
SREは、最初今の半分まで書いた。小松左京賞の募集要項みたら倍だったから、さらに倍書いた。もし、さらにその倍だったらその倍書いただろう。各章が別の章に変わっても問題ない。版が変わるごとに、章を入れ替えてみる? いずれ、全く別物になっちゃったりしてね。
虐殺器官は、ゴールデンウィークの終わりに要項見たら、五月末が〆切で、20日間くらいで一気に書いた。
円城は、長編がなかなか書けない。SREみたいだったら、いくらでも書ける。
依頼がくればそれに従って書く。「日本、現代、ラブストーリー」とか「少し不思議、ラブストーリー」とか頼まれているので、書いている。「少し不思議って、少女をかける時じゃないだろうね」と伊藤に言われる。「Boy'sSurface」は「数式の愛した博士」
伊藤は、別に軍事ものでなくても構わない。軍事ものに関する情報が一番アクセスしやすいから軍事もの(虐殺器官)を書いただけ。
今後の予定。
円城、SFマガジンに、例のラブストーリーが載る。文藝春秋から頼まれて書いたら、「SFはできるだけ避けること」という注意を受けて原稿が返ってきた。
伊藤、SFマガジン用に書いている。「〆切いつなんですか」と司会をやっていた早川の人に聞く。「〆切いつか聞いてないんですけど」「うーん、じゃあ、今月の終わりまで」「?!」
サイン会の時、円城に「北海道のどこ出身ですか」と聞いてみたところ、思いの外、近くに住んでいたことが判明。多分、出身小中学校同じっぽい*9
調べてみたら、このトークショーのレポ(END_OF_SCAN)があった。
このレポからちょっと引いてみる。

メタと世界は使わない

2000年頃にメタ断ちした、って言ってた。
前日のサークルで、何故だか「メタだベタだ」と騒いでいる人*10がいたので面白かった。あと、同じサークルの人で、俺はもうメタとか言わないって言っている奴がいて、「円城と同じ事いっている」「でも7年遅れだ」「いや、ということは、7年後に彼は芥川賞候補になるんだ」とか言ってまた騒いだ。

ドゥルーズとの関係は?
円城:
まさにそれのみ。非常に馴染み深い

質問は、ドゥルーズじゃなくてニューアカとの関係を訊ねているものだったけど、世代的に二人とも浸かっていたみたい。今となっては謝るしかない、とか言っていたような気がする。
で、ドゥルーズは最近河出が出しているから、今でも買ってしまうとかいう話で。次は、千のプラトー文庫化じゃないの? 人を殺せる文庫になるね、とか。
あとそれからレポはこちらにも。
見ての通り、「今日の早川さん」のビラを配ってました。


追記(070827)
伊藤が稲葉からの批判(?)に答えていた*11
すなわち「一人称の語り手は基本的に信頼できない」
まあその直後に、円城から「でもシェパードくんは信頼できそうなキャラだよね」って言われてたけど。
(追記終わり)



この写真は、札幌駅の本屋。
こんな手書きポップをつけて売るような類の本ではないと思うのだが*12
この「文学は変わる、あまりにもあっけなく」というコピーの帯、かっこいい。
自分の手元にあるのとはデザインが異なる。
二ヶ月たらずで、第三版までいっていて、売れているんだなーと思うのだが、こんな写真のように売り出してそんな風に売れる作品というわけでもないと思う*13

id:massunnkさんと会う。

この前突然、飲み会やるので来ませんか、というメールが来た。
メールマガジンCROSS+FIRE*14のお疲れ会だというが、そもそもこっちは、そのメルマガを知らない。だがそれで構わないというし、massunkさんとは会ってみたかったので行くことにした。
massunnkさん以外に来るメンバーは、オフはおろかネット上でも知らない人ばかり。id:emptiness(mu)さんやid:kingworldさんもいたが、ブログを何回か見たことあるというだけで知っているとは言いがたい。
期待の方が勝っていたとはいえ、心細いこともあって、一緒に伊藤・円城トークショーに来てたid:SuzuTamakiくんを引っ張っていく。しかし、SuzuTamakiくんにとっては、僕以上にアウェーなところなわけだし、徹夜プラス暑い中歩き回って疲れているという点では同じなわけで、正直、悪いことしたなあと連れてきてから反省した*15。彼にとっても楽しい場だったならよかったと願うばかり。
寝不足と暑いのとで、冷たいビールは美味しかったが、それ故に酔うのも早く、こんな状態で初対面の人と会うのどうよという状態だったけれど、楽しかった。
話題の引き出しの豊富さとか、特にmuさんの話す内容がいちいち濃いこととか、圧倒されっぱなしで、正直、話についていくのが精一杯なところも結構あったが、そういう方が楽しい。
この日は、神保町を歩いたり、こんな人たちと喋ったりしたので、やっぱ都内の学生生活は楽しそうだなあ、とも思った。都内にいると、色々な人*16と知り合いになれるのもよいなあとか。そういう人的リソースの点で、都内にいるかどうかは大きな違いになるんじゃないかと思う*17
そういえば、小さなことなのだけど、ハンドルの読み方に違いがあった。
muやSAKを、「えむゆー」「えすえーけー」と読んでいた。SAKは一応「さっく」と読むことにしているんだけど。まあ、SAKの読み方はとりあえずどうでもいいんだけど。
「えむゆーくん」「えむゆーくん」と呼ばれていたと思うんだけども、僕の中では「むーくん」だった。

帰り

の電車の中、何故だかSuzuくんに、『存在論的、郵便的』というか、否定神学批判と郵便的についての解説をする。
最初は、もうぐったり疲れていたのもあってグダグダだったが、途中から何かのスイッチが入って、我ながら会心の説明ができたように思う。そして、この「郵便的」というテーマは、自分の中に随分と深く根を下ろしているのではないだろうか、とも思った。今書いている文章のやろうとしていること、そしてそれはこれから自分がやろう*18と思っていることと綱が繋がってくることなんだけど、結局は「郵便的」「超平面的」ということについてじゃないか、と。
それで、自分がこれからやろうと思っていること、それを仮にフィクションの哲学と呼んでいる*19のだけど、それについて語りたいと思うのだが、いまだにうまく語ることはできない。

*1:5月以来

*2:そもそも、日本人の祖先って何? ということもいいうる。縄文人って日本人の祖先と言いうるのだろうか

*3:きっかけは、『辺境から眺める』を読んだためであろう

*4:アリューシャン列島、カムチャッカづたいで、アラスカのイヌイットとも繋がっていたかもしれない。少なくともカムチャッカの文化と、イヌイットやクリンギット・インディアンの文化は近いらしい。

*5:回転が速いので列の長さで予想するほどは待たない

*6:でもリニアモーターガールPVとかはよくない。どのPV、どの動画でも必ずかわいい、という点ではのっちにはかなわない

*7:困り眉毛が

*8:いつもすみません

*9:今は、同じ札幌でも違うところに住んでいるみたい

*10:id:SuzuTamaki

*11:ブログで既に回答している

*12:だってSFだよ

*13:だってフロイトだよ

*14:http://www.criss-cross.org/

*15:遅い

*16:あずまんとかw

*17:とはいえ、もし自分にそういう「コネ」的なものがちょっとでもあったら、学生のくせに業界人っぷりをアピールするというDQNなことしそう

*18:卒論とかで?

*19:前々から同じようなことはずっと考えいて、高校時代は「現代物語文化論」などとも呼んでいた。「フィクションの哲学」という呼び方は、「心の哲学」を意識していて、要するに分析哲学の流れをおさえたものということが念頭にある