伊藤計劃『虐殺器官』

日本文芸における2007年

というのは、もしかすると歴史に残る年になるのではないかと思い始めてきた。
佐藤友哉の『1000の小説とバックベアード三島賞受賞
東浩紀ゲーム的リアリズムの誕生』刊行*1
第137回芥川賞ならびに直木賞ノミネート作のリストを見ても、ちょっと今までとは違う雰囲気を出している。
そして、何より早川SFがすごい。
ほんの数年前であれば、講談社ミステリが文学の世界を揺さぶっていた。
だが、少なくとも今年に限って言えば、間違いなく早川SFだ。
つまり、円城塔の『Self-ReferenceENGINE』であり、宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」であり、そしてこの伊藤計劃虐殺器官』だ。

虐殺器官

裏表紙に書いてある解説には「近未来軍事諜報SF」とある。
最初は、まあ面白そうだけど別に買わなくてもいいや、くらいであった。
どこかのブログで、攻殻っぽいかも、と書かれており、また東浩紀がどこかで誉めていたような気がして、とにかくいくつかの感想が積み上がった結果手に取ってみた*2
帯にある煽り文を紹介する。

ポスト9・11の罪と罰を描く小松左京賞最終候補作


すごい男が現れた。
イーガンの近未来で『地獄の黙示録』とモンティ・パイソンが出会う。
日本SF史に残る衝撃のデビュー長編。
猛毒注意。あなたはこの結末に耐えられるか?――大森望

この煽り文で注目すべきは最後の一文「あなたはこの結末に耐えられるか?」
何にも知らない人が見たら、この煽り文はちょっと煽り文としては陳腐で、別に気を惹かれないのではないか、とも思う。
しかし、違う。
紛れもなくこの本には「猛毒」が仕込まれており、正直、耐えられるけど耐えられない。
そういえば、東浩紀ギートステイトの雑記でこんなことを書いていた。

セカイ系がある種のリベラルの文学であり(それはひとを傷つけてはならないという内向きの倫理の文学なので)、宇野さんが称揚するのがコミュニタリアンの文学であるとすれば、『ギートステイト』はリバタリアンの文学を目指しているということを意味しています。

であるならばこの作品は、その全てを嘲笑うような文学だ。


上で既にちらりと触れられているが、攻殻機動隊、イーガン、地獄の黙示録が好きならば、おそらく読んで損はない。しかし、そうしたものを期待して読むと、思わぬ毒を盛られる羽目に陥る。
ましてや「近未来軍事諜報SF」などを無邪気に楽しもうと思えばえらい目にあう。
いや正直な話、「近未来軍事諜報SF」を無邪気に楽しもうとして読んでいたのだ。
もちろんこの作品は確かに「近未来軍事諜報SF」としての体をなしており、そうした面を楽しむことも可能である。
高度情報化社会におけるアメリカの特殊部隊の兵士が主人公だ。
だけど、この作品はそういう非日常を味わうためのエンターテイメントではないのだ。れっきとした文学だ。
エンターテイメントと文学が如何に違うのか、というのはそれだけで議論を呼ぶ問いだが、ここでは差し当たって以下のように考えた上でのことである。
すなわち、エンターテイメントは読者が憧れるようなヒーローが主人公だが、文学は読者を投射したようなどこにでもいるような人間が主人公だ、ということだ。
つまり、この作品の主人公は、アメリカ特殊部隊の兵士ではあるのだが、それは決してヒーロー的存在ではなく、むしろ私たちに近い存在だ。もし攻殻で喩えるのであれば、素子でもバトーでもなくトグサにもっとも近いといえるかもしれない。
そして彼は、イーガン作品の主人公たちとよく似た苦悩を抱え込んでいるのである。


しかしこれはまた、未来社会のシミュレーションともなっている。
ダーウィンの悪夢』なんて目じゃないぜって感じに出来上がっている*3
とにかく、情報量だけでも結構なものなので、その情報量を味わうだけでもこれがまたなかなか面白い。
なんていっても、スティーブン・ピンカーまでもが出てくる*4


行くも地獄、戻るも地獄。
イーガン的苦悩とディストピアを非常にうまくこね上げている。
あるいは、遠藤浩輝の『EDEN』とも通じるところがあるかもしれない。色々な点でEDENとは相当違うのだけど、しかし色々な点でEDENとは相当似ている。


セリフ回しなんかはなかなか気が利いているのだけど、文章そのもののレベルはそれほど高くはない。決して、気になってしょうがないという程ではないのだけれど、そこは改行しなくてもいいんじゃないの、と思うところは結構あった。
パプティノコン社はわざとなのかと思ったら*5、ミスだったらしい。本人のブログ*6によると、他にもその手のミスが結構あるみたいだ。
いやしかし、そんなことはどうでもよくなってしまうくらいにとんでもない作品だ。


寄生獣』完全版発売の折、「全人類必読の書」という煽り文句がついていたのだけれど、この本こそ「全人類必読の書」に違いない。


何というか全く書き足りない、というか、この作品について何事かを述べた気に全くならない。
しかし、そのためには、この作品をかなり解説しなければならなくなる。そのためには、かなりネタバレしてしまうことになる。
まだ出たばかりの作品であるし、正直読んだ方が早いので読んで欲しい
一読してすぐに分かるのがエンターテイメント、何言いたいんだか考えないと分からないのが文学だとするならば、『虐殺器官』は間違いなくエンターテイメントであり、『Self-ReferenceENGINE』は文学だ。
こうなってくると、エンターテイメントと文学なんて区分は馬鹿らしいものだ、ということになってくるわけだが。
別に「文学的な」比喩もないし、こういう仕掛けになっていたのか、なんてこともない。読めば分かる。だけれども、そこに書かれているテーマは、間違いなく「文学的」だ*7


追記(070710)
もう一度、東浩紀ギートステイトブログで書いていたことを引くと
セカイ系=成熟の拒否(リベラル)
決断主義=あえて成熟
宇野の考えるポスト・セカイ系=小さな成熟(ゼロ年代の想像力コミュニタリアン
東・桜坂の考えるポスト・セカイ系=小さな成熟の林立(群像劇、リバタリアン
となるが、そうだとするならば
虐殺器官』=成熟の不可能性
だろう。
『EDEN』は、どちらかといえば小さな成熟を描こうとしているのだが、おそらくその可能性と不可能性の両方を提示して比較しようとしている。
それに対して『虐殺器官』が提示するのは、圧倒的な不可能性だ。
そこには、セカイもシャカイもない。


さらに追記
成熟の不可能性について、『物語の(無)根拠』第2章第3章に書いた。

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

amazonだと書影が出ない!?
というわけで、楽天も貼ってみる
[rakuten:book:12080686:detail]

*1:個人的にはギートステイトも加えたいが、ちょっと無理あるか

*2:さて次の企画は【私の本棚】

*3:ダーウィンの悪夢』見ていないけど

*4:「までもが」というよりも、ピンカーは相当メイン。ピンカー?ってことは、言語学ネタ?ってことは器官って……って思ったあなたは勘が異常に鋭すぎ

*5:今から考えてみるとわざとなわけないけど

*6:d:id:Projectitoh、ちなみに彼の名前は「いとうけいかく」と読む

*7:そういう意味ではイーガンもまた、表現は「文学的」ではないけれどテーマは「文学的」だ。SFとはそう言うジャンルなのか