佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』

どうすりゃいいんだ。
これをどう受け止めればいいんだ。
というのが、正直な感想だ。
ざっと感想を眺めると、みんな最後を誉めている、中には脱セカイ系、とか暗黒ビルドゥングスロマンとかいうことを書いている人もいた。
それはそれで分かる。
これはよく出来た物語だ。
でも、これを書いたのはユヤタンなんだぞ。
『世界の終わりの終わり』*1や『子供たち怒る怒る怒る』や『1000の小説とバックベアード』を書いたユヤタンが書いたんだぞ。
高橋源一郎との対談によると、『フリッカー式』から『水没ピアノ』まで、と本書が、いわば10代の頃の話を、『クリスマス・テロル』や『世界の終わりの終わり』『1000の小説とバックベアード』が、作家になってからの話となっているとのこと*2で、本書だけが時間軸の上でやや特異な位置にある。
佐藤友哉も、やっとまとまな物語を書けるようになった?
そうじゃないだろ、佐藤友哉は!
「僕は今年、二十一歳になる。あはは。」
この最後の「あはは。」が一体何なんだろうか。


しかし、これは確かに重要だ。
90年代に対してどんなオトシマエをつけてやるのか。
90年代なんてもうダサイ? 分かってるさ、そんなことは。でも、そこに何度だって拘泥してやる。
(そういうわけで、やっぱり「赤色のモスコミュール」が最高だと思ってしまう。「あと六時間で今日が終わり、代わり映えのしない明日が絶対にやってくる。」この一文が、僕と佐藤友哉との最初の出会いで、脳裏に刻みつけられている。「本格的に殺意が湧いた」の下りに匹敵する。)
『灰色のダイエットコカコーラ』は、間違いなく、そんな90年代への一つの決着だ。
佐藤友哉という作者に限っていえば、それは「妹」との決着かもしれない*3。『世界の終わりの終わり』と(執筆時期からしても)対になるといえるだろう。
細々としたイメージもちゃんと確認すべきなのかもしれない。例えば、ヒマワリが出てくるところとか。


ハサミちゃんが実にいいと思う。
妊娠前も妊娠後も、だ。


追記
最後の「あはは」を成熟の不可能性と解して、『物語の(無)根拠』第3章に書いた。

灰色のダイエットコカコーラ

灰色のダイエットコカコーラ

*1:こちらも、単行本化にあたって加筆修正があるらしい

*2:まあいわれなくても分かるけど

*3:これは、高橋源一郎との対談の中で示唆されていること